1.青いスミレとワンピース

文字数 4,898文字

「お母さん、私、ワンピースなんて似合わないもん・・・・」
「そんなことないわよ。気に入ったの試着してみて。これなんてどう? このお店、ちょっぴり大きいサイズも(そろ)ってるのよ」
 いつもなら、地元のスポーツショップでジャージやTシャツを新調する程度の外出だ。だが、今日、颯香(そよか)が母に連れられ訪れた場所は、大都会のど真ん中のファッションビル街。行き交う人々も建物も緑も、全てがキラキラ(まぶ)しくて、普段通りのダボダボTシャツに幅広のジーンズ姿で来てしまった自分には、とても不釣り合いな世界に思われた。その上、着慣れないワンピースを勧められるなんて!
 試着室に入り、母が選んでくれた小花柄のベージュのワンピースに、渋々と袖を通してみる。ウエストにたっぷりギャザーが入っていて、スカートがふんわり広がり、ふくよかなお腹とお尻を優しくカモフラージュしてくれる。袖も幅広で、(ひじ)まで隠す長めのデザインだから、二の腕をしっかりカバーしてくれている。そして何より、布の肌触りがサラッとしていて着心地が良い。鏡の前の初めて見る自分。なんだか照れくさい。けれど、意外とまんざらでもない。颯香は、結い上げたお団子ヘアと前髪の乱れを手の平で撫でつけ、姿勢を正して鏡を見つめた。
(このワンピース、とってもかわいいじゃん! こんな自分も好きかも。でも・・・・もう少し痩せてたら、もっとかわいく着こなせるのにな・・・・)

 女子相撲と勉強に邁進する颯香の日常。この春、高校生になって、部活はますます厳しく本格的になり、必死で仲間とトレーニングに明け暮れていた。その中で一生懸命たくましく鍛え上げた大腿四頭筋(だいたいしとうきん)上腕二頭筋(じょうわんにとうきん)は、日々の努力の賜物(たまもの)だ。だが、母は、ふと、周りの女の子とは少し別の世界にいるのかもしれない娘を思った。母は知っていたのだ。颯香の本質はかわいいもの好きで、花柄のベッドカバーや、フリルの付いたフワフワのピンク色のクッションがお気に入りだということを。そして、母の化粧水をこっそり塗って試してみたり、自分のお小遣いで、小さなネイルカラーやリップ、アイカラーなどを買い集めていることを。小花柄のワンピースだって、本当は着てみたくて、こっそり姉の部屋のクローゼットを開けては、鏡の前で合わせていたことも。

 試着室から顔だけを(のぞ)かせ恥ずかしそうにしている颯香に、「見せて見せて」と母が手招きをする。
「あら、やっぱり颯香、似合ってる! いい感じよ。これ着てこのまま、お母さんとデートしようか」
「うん・・・・でも、お母さん・・・・この足元は・・・・?」
 古びたスニーカーは、このワンピースには似合わない。
「あら! そうね・・・・。うん。これがいい」
 母は店内を眺めると即、つま先の丸い黒のストラップパンプスと白いレースのソックスを選び、店員に話をつけ颯香の着こなしを整えてもらった。そして代金を支払うと、ワンピース姿の娘の手を取って店員に挨拶をして通りに出た。
「高っ! 値段、一桁(ひとけた)違うよ! よかったの?」
「いいのいいの。気に入った?」
「もちろん、気に入ったけど」
「気分上がるでしょ?」
 天頂から照り付ける太陽が眩しい。颯香は、さっきまで自分とは不釣り合いと感じていた街の景色が、今は『主人公颯香』の舞台になったような錯覚を覚えた。ミュージカル映画の一場面のように、両手を上げて空を仰ぎ、スカートを広げてクルクルと回ってみたくなったが、とりあえず母に促されるまま、ガラス張りの、新しそうなカフェに入る。店舗を囲む植栽の緑は、店内に差し込む陽光を程よく和らげていた。窓際の明るい席に座り、メニューを開く。そこには、まばゆいばかりのケーキの数々。迷って迷って注文すると、しばらくして、すらりと背の高い若い男性店員が、品物をスマートな手捌(てさば)きでテーブルへと並べた。
「本日の紅茶、セイロンディンブラでございます。お好みでミルクをお使い下さい。こちらピスタチオとベリーのケーキ、こちらはニューヨークチーズケーキでございます」
 一礼して男性店員は立ち去った。颯香は、ちょっぴりドキドキして(ほお)が赤らむ。
「お母さん、今の店員さん、かっこいいね」
「颯香、ああいうタイプ好きよね。いつか水族館へ行った時も。あれは中学校一年生の時だっけ? 『イルカショーのお兄さんかっこいい!』って夢中だった」
「あぁ、思い出した。そう、水に潜ったと思ったら、上半身が現れて髪を()き上げて、イルカに微笑みかけてたの。超かっこ良かったぁ!」
 店内には、心地よいボサノヴァが流れる。テーブルに運ばれた、花模様の素敵なティーカップとソーサー、真っ白なお皿の上の、ピスタチオグリーンとラズベリーのピンクが織りなす色鮮やかなケーキ。ケーキの周りには、赤いベリーのソースで描かれた模様に、青いスミレの花と黄緑色のミントの葉が添えられている。誕生日のデコレーションケーキを、家族で切り分けて食べるのも大好きだし、姉がたまに買って来てくれる、お気に入りのパティスリーのショートケーキも、とてもかわいらしくて美味しい。けれども、今日のこの瞬間の、目の前に置かれたこのケーキは、なんてこんなにも特別感があって美しいのだろう。ポットの中で程よくルビー色に色づいた紅茶を、母はティーカップに静かに注いだ。
「お母さん、この花食べられる?」
「食用だから食べられるのよ。紅茶熱いから気を付けて」
「うん。ありがとう。いただきます! うわっ! 美味しい~」

 颯香の相撲人生の原点は、自宅の庭先での相撲遊びだった。
父、栄一(えいいち)は、元力士で、現在は引退してちゃんこ鍋の店を経営している。埼玉県に生まれ、学生時代から相撲部で活躍し、大会で上位入賞して注目された。現役当時の四股名(しこな)は『豪傑道栄一(ごうけつどうえいいち)』。番付は前頭(まえがしら)まで上り詰めたが、腰痛と膝の故障により、相撲人生は若くして断念せざるを得なかった。いつか息子が生まれたら一緒に相撲をしたい、というのが夢だったが、栄一はやがて、かわいい三姉妹の父親となる。すると、「女子にも相撲はできる」と、幼い娘たちと一緒に相撲ごっこをして遊んだ。娘たちは、お揃いの黒いTシャツに短パンを履き、その上に(まわ)しを締める。背中と左胸には、白い筆文字で書かれた『豪傑ちゃんこ』のロゴ。栄一の経営するちゃんこ鍋屋の店名だ。同じTシャツを、栄一はいつも店のユニフォームとして着用していた。廻しと一緒に気持ちも引き締まると、娘たちはその気になり、父の見様見真似(みようみまね)で力強く四股(しこ)を踏んだものだ。
「はっけよ~い、のこった!」
 縄ひもで描いた円を土俵に見立て、小さな力士たちは父に立ち向かった。栄一は、関取としては小柄であったが、引き締まった筋肉質の体と足腰の安定感で技を駆使して勝ち昇ってきた。正しく『小よく大を制す』を体現してきた力士だった。当然、小さな女の子の力で三人同時にかかって行ってもびくともせず、子供たちは何度も寄り切られ、その度にキャッキャと笑い声を上げた。こうして子供たちと触れ合いながら、栄一は、少しぽっちゃりとした次女の颯香には、どこか足腰の力強さと粘り強い気概(きがい)を感じていた。
(この子はひょっとして、相撲に向いているんじゃないか?)
と、父の期待は膨らんだ。そんな栄一を、妻として、そして永遠の栄一ファンとして、美紗子は支えてきた。かつてはモデルとしてファッション誌を飾っていたが、今では第一線を退き、ファッションライタ―として執筆活動を続けながら、三角巾にエプロン姿で、夫と共にちゃんこ屋を切り盛しているのだ。
 でも、今日の母は、『ちゃんこ屋のおばちゃん』ではない。スラっと伸びた手足と長い首、そして美しい姿勢は、どんな服でも素敵に着こなし、きれいでファッショナブルでかっこいい。そんな誇らしい母と過ごす久しぶりのゆったりとした特別な時間、そして甘い味覚の幸せが、颯香を優しく包み込む。
「ここのケーキ美味しいね! 紅茶も最高!」
 美紗子(みさこ)は微笑み返して(うなず)くと、紅茶を一口飲んで言った。
「ところで颯香、相撲辞めたいって思ったこと、ない? 辛くない?」
 今日の母の目的は、もう一つ、そこのところを知ることでもある。
「ん~、ない訳じゃないけど・・・・。正直、友達ともっと遊びたいって思ったし、痩せてスタイル良くなりたいって悩んだこともある。このワンピースも、やせたらもっとかわいいよね。でも、お相撲がんばるとお父さん喜ぶでしょ。いつも応援張り切って来てくれるから、勝って喜ばせたい。時々、相撲のうんちく語り過ぎて、うざいなって思うけどさ」
「お父さん、お相撲のことになると熱心だからねぇ。自分の経験や知識を全部、颯香に伝えたいのよね」
「うん。部活、辛いこともあるけど楽しいよ。三年生引退しちゃったし、私たちも一年生だからってぼんやりしていられない。そしてね、先輩たちのレオタード、おしゃれなんだ。背中の(ひも)がクロスしていたり形や色や模様もいろいろなの。お母さんお願い! 私も新しいの欲しいな」
「あら、いいじゃない! 早速注文しよう」
 颯香自身が楽しんで、充実した毎日を送れているのなら、何も言うことは無い。そして、颯香のおしゃれ心が健在なのも嬉しかった。ウエアひとつで士気が高まり励みになるのなら、すぐにでも新調してあげたいと思った。
「お母さん、ここ、また来ようね」
「うん、また一緒にデートしよう。舞香と花香にもケーキ買って帰ろうか」
「じゃあ、私選ぶ! ねぇ、私の分も選んでいい?」
「今食べたのに⁈」
「だって・・・・ふたりが食べてるの見たら、食べたくなっちゃうじゃん。今食べたのは秘密ね」
「あなたはもう・・・・しょうがないわね」

 そもそも『大相撲』は、国技であり神事でもあるため、女人禁制(にょにんきんせい)の伝統があるが、『アマチュア相撲』の場合には、男女問わずスポーツのひとつとして愛好されており、全国で盛んに大会が行われている。競技人口を見れば、女子は決して多くはないものの、昨今では、外国人女性力士も出場して国際試合も開催されるほどだ。選手たちは、相撲を通して礼儀を身に付け、心・技・体を鍛え、集中力を養う。子供の相撲大会や女子相撲であれば、学年別や体重別、例えば軽量級なら六十五キログラム未満、重量級なら八十キログラム以上などの体型差で階級が分けられているが、本来の相撲には、体型別階級が定められておらず、また、柔道やレスリングのような寝技も無い。立ち合いから一瞬で勝負が決まることも少なくなく、技の繰り出し方によって、時に大きな力士に小柄な力士が勝利し、会場は大いに沸く。だが、力士はガッツポーズをしたりはしない。己と向き合い、相手を敬い、礼節の中で競技する、これこそ、栄一そして颯香が感じている相撲の魅力だった。父だけでなく、小中学校時代に教わった相撲道場の指導者も、『褒めて伸ばす』という指導方針だったから、颯香は楽しく伸び伸びと相撲ができた。また、高校の監督は、時に厳しく練習もハードだったが、武道としての相撲の心得を教えてくれ、
「勝負だから勝つ事は大事だが、そこまでのプロセスをどう積み上げるかが一番大事だ」と、繰り返し言っていた。
「日々の整理整頓や挨拶を怠らず、何か人のためになる行動をしなさい」
 そういう信条だから、部活の前には部員全員でよくゴミ拾いをした。校舎内は勿論のこと、校舎の敷地の沿道さえもきれいにする。
「野球の大谷翔平(おおたにしょうへい)さんも、『ゴミを拾うことは、誰かが捨てた運を拾うこと』って高校時代の監督から教えられたんだよね」
 そう言いながら、仲間と落ちているゴミを探した。
「よし‼︎ 運を拾いまくって、いつか宝くじ当てよう!」
「待って、颯香! そのための運じゃないよ。うん」
「あ、そうか。うん。勝つためか」
 相撲の世界も、時に勝負には運がつきものだ。立合いでの初めの一歩、先に出るか後に出るか、相手の呼吸を読み、踏み出したら相撲に後退はない。正々堂々、押して押して前に前に。引いて相手を(あざむ)くは良しとされない。そして、一瞬の(すき)が勝負の分かれ目となる。最後、土俵に残った者、または崩れ落ちなかった者が勝利するのだ。






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登場人物紹介

澤田颯香《さわだそよか》

澤田三姉妹の次女。小さい頃から、父の影響で女子相撲に打ち込んでいる。食べることと可愛いものが好き。



澤田舞香《さわだまいか》

澤田三姉妹の長女。忙しい両親やがんばる妹たちを支えながら、病院の管理栄養士として働いている。

澤田花香《さわだはなか》

澤田三姉妹の三女。大学で語学を学びながら、喫茶「ポラリス」で働いている。その美貌から、男性によく言い寄られる。

澤田栄一《さわだえいいち》

澤田三姉妹の父。埼玉県出身の元力士で、現在はちゃんこ鍋屋「豪傑ちゃんこ」を経営している。

澤田美紗子《さわだみさこ》

澤田三姉妹の母。岩手県出身の元ファッションモデル。現在は、夫のちゃんこ屋を手伝う傍ら、雑誌のコラムの執筆をしている。

木村臣《きむらじん》

清城学園大学女子相撲部のトレーニングコーチ。女子相撲部監督の甥。普段は、スポーツジムのインストラクターとして働いている。

川井壱《かわいいち》

舞香の大学の先輩。石川県金沢市の出身。大学時代は、軽音楽同好会でボーカルとして活動。舞香と同様、病院の管理栄養士として働く。

ユン・ジョンミン

韓国人留学生。花香の友人である絵理と同じ大学に通う。

森山裕太《もりやまゆうた》

花香の高校の先輩。高校時代はバレーボール部に所属。ジョンミンと同じ大学で、一つ上の先輩として世話をしている。

松田園《まつだその》

臣の元カノ。高校時代の実力を評価され、大学のテニス部にスカウトされる。やがてプロテニスプレイヤーとして活躍する。

吉田太一《よしだたいち》

栄一のちゃんこ屋のアルバイト店員。花香の幼馴染。

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