23.Let’s グランピング!
文字数 6,530文字
「美紗子、あれどこだったかな? ランタンと焼き網 、どこだ?」
栄一が、自宅の外の物置の中で、何かをゴソゴソと探している。
「栄一さん、ランタンはこっちに出してあるわよ。焼き網 は、壱さんがいいバーベキューコンロ持って来てくれるんだって。私たちは、自分の着替えと洗面道具くらいで大丈夫よ。グランピングブームでしょ。なんでも手軽にその場でレンタルもできるし、今回借りるコテージは、四つのお部屋があるそうよ。一軒丸ごと貸し切りなんですって」
「そうか? キャンプは、自分でテント張って火を起こすのが醍醐味 なんだぞ」
「そうね。でも、花香とジョンミンさん、ほら、虫、大の苦手でしょ。じゃあ私たちはテント泊でもしましょうか? あなたと星を見ながらテント泊、ロマンチックねぇ」
「何言ってるんだよ。・・・・アウトドアもお手軽な時代か・・・・」
栄一は照れくさそうに、また物置の中に隠れるように入って行った。
五月の連休、澤田家は皆で森の中のコテージへと向かった。臣の車には両親が同乗した。
「颯香は順調? よく動く?」
後部座席の美紗子は、隣に座る颯香の少し膨 らんだお腹に触れてみる。
「順調だよ。すごく元気に動いてるよ」
「七月になれば、臣くんもパパになるか。楽しみだな」
助手席の栄一が言うと、後ろから
「栄一さんもおじいちゃんになるの楽しみでしょうがないでしょ」
と美紗子がからかった。
「僕、なんか、信じられないですね。もう、そこに命が存在してるんですね。いい父親になれるかなぁ?」
運転しながら、臣はしみじみ思う。
「もうすぐだな。臣くんなら大丈夫だ。いい父親になれるさ。悩んだり助けが必要な時は、いつでも俺たちを頼ってくれよ」
「心強いです。お父さん、いろいろ教えて下さい」
「あれからどうだ? おやじさん。結婚式では、話に聞いていたのとは大分違う印象だった。終始 柔らかい表情をしていたなぁ」
「丸くなったというか・・・・僕を認めてくれたんですかね」
「孫の顔見たら、とろけそうだな。俺もだけどな、ハハハ」
ふたりは陽気に、臣の父親の話で笑えるようになっていた。
臣と颯香は、昨年、横浜の教会で結婚式を挙げた。臣の父親は、自分自身で選択した道を歩む自立した息子の姿に、ある意味安心し、肩の荷が下りたのかもしれなかった。それは、『諦 め』の心境とは違っている。父の中に一つしかなかった答えが、颯香と初めて対面したあの日、臣と颯香の心の言葉に触れ、複数正解 に書き換えられたのだ。
「意味のない経験などないな。皆、何らかの実りをもたらす。これも息子の輝かしい生き方なんだな」
「幸せかどうかは、自分が決めることですもの。臣、幸せそうじゃないですか。あの子はもう、自分で人生を切り拓いています。あなた、お疲れ様でした」
結婚式の席で、臣の両親は、一人前になった息子の姿に安堵していた。現在の父は、孫の誕生を心待ちにしながら、経営の一線からは退いてもご意見番として、娘婿 の社長としての成長を見守っている。
壱の車の後部座席には、花香とジョンミンが乗っていた。ふたりは休暇を取り、韓国から日本へ戻って来たのだった。ふたりとも就職が決まり、韓国での新生活を始めていた。花香は、無事に留学を終え、韓国でメイクアップの国家資格を取り、韓国のテレビ局に就職することができた。まだまだ新米スタッフとしての下積み生活だが、ジョンミンと一緒にいられる喜びが原動力となっていた。
「韓国いいなぁ。私もいつか行ってみたい。壱さん、旅行しよう。その時は花ちゃん、見どころ案内してくれる?」
「私もまい姉と街を歩きたい! 面白いところたくさんあるから。まい姉にチマチョゴリ着せたいんだ。絶対似合うと思う」
「ジョンミンくんも就職おめでとう。就活大変だったかい?」
ハンドルを握りながら、壱が尋ねる。
「日本での経験と語学力が評価されて、就活は割とすぐに内定もらえました。化粧品メーカーのマーケティング部門なので、商品についてたくさん勉強しなくちゃならなくて、今、大変です。スキルアップしないと一人前として認められないから、自己研鑽 の継続ですね」
「これからは、花香ちゃんがそばにいてくれるから、良かったね」
「はい! お互い助け合ってがんばります」
「日々勉強、僕らもその点は一緒だなぁ。お互いがんばろう! でも今夜くらいはのんびり、仕事を忘れて一緒に飲み明かそうか」
「はい!」
「お兄さん、ほどほどにね。ジョンミンさんお酒めちゃくちゃ強いのよ!」
「そうなの⁈」
驚く壱に、舞香は真剣な面持ちで、
「ホントにほどほどにしてね! 壱さん、意外にお酒に弱くて、すぐその辺に寝ちゃうんだから」
と釘を刺す。
コテージは、お風呂・トイレ・キッチン付き。テーブルもソファーも揃っていて、今回は、八人宿泊用のログハウスだ。庭でキャンプファイヤーもできて、屋根のあるテラスでバーベキューも楽しめる。
「素敵なところね。花ちゃんたちも一緒に来られて、ホント良かったね」
舞香と花香は、キッチンに食材を運んだ。
「颯香さん、重い物は僕が持つよ」
「お兄さんありがとう」
壱が身重 の颯香を労 り、臣の車から荷物を降ろす。
「お兄さん、すみません。颯香、いいよ。先に中に入って休んで」
臣の方が年上だが、壱は確かに義理の「お兄さん」だ。そう呼ばれた壱の方が、とても照れくさそうだ。臣も、宿泊の荷物や薪 を車から降ろして運んだ。年功序列 で、手前の部屋から両親、姉、妹・・・・と個室に荷物を入れる。舞香は父に目配 せして、
「さて、お父さん、作戦決行 ね」
と言うと、父はグーサインを出す。それを見た花香も、父と舞香に指でOKサインをし、そして母を部屋に呼ぶ。
「お母さん、ちょっとちょっと、私の部屋に来てくれる? 早く早く」
「花香、何が始まるの?」
一番奥の花香たちの部屋に入ると、そこには、美しいウエディングドレスが飾られていた。
「誰の結婚式? 花香? 聞いてないよ!」
「まさか! 違うよ、お母さんのよ! これからこれ着るの。その前にメイクしてあげるね」
「ちょっと、何? メイクの練習?」
狐 につままれたような顔をしている母。しかし、次第に状況が飲み込めてきた。自分のための結婚式を、娘たちは企画してくれたのだ。正確には、栄一からの提案であった。
「韓流 メイクは、陶器肌 とアイラインが決め手になるからね」
「年相応 にね。あまり盛 らないでよ」
美紗子は、少し照れながらも本場韓国の女優メイクに期待を膨らませながら、花香にメイクを施 してもらう。
「お母さん、さすが、お手入れ行き届いてる。肌きれいね」
「あらそう? ここも皺 、ここも皺よ!」
そしていよいよ、ドレスに袖を通す。アイボリーのシルクサテンの上品な光沢。シンプルなノースリーブのAラインスカートのドレスに、レースのボレロを重ねる。
「お母さん素敵! これにしてよかった! ソウルのドレスショップの友人が、きっとこれが似合う、って貸してくれたの」
ベールと花飾りを母の頭に乗せ、首には真珠のネックレス。そして白百合のブーケを手渡すと、花香自身も結婚式用のワンピースに着替え、部屋の外の様子を見に行った。式場に見立てたコテージのテラスに皆、正装し勢揃いして、花嫁の登場を待っている。
「お義母さん、では僕がエスコートします」、と壱が美紗子の手を取り、栄一の待つ場所までゆっくり歩いていく。舞香は、キーボードで結婚行進曲を弾き始める。一気に、厳 かな雰囲気に包まれる。皆、登場した母の見違えるような美しさに感動のため息をついた。そして、一番目を輝かせているのは、栄一だった。
「美紗子! きれいだなぁ」
「栄一さんも、タキシード素敵じゃない!」
神父 役の臣の前に、ふたり並んで立つ。
「夫、栄一さん、妻、美紗子さん、あなた方おふたりは、これからも仲良くお互いを大切に思い、生活することを誓 いますか?」
「誓います」
ふたりは声を揃えて誓った。
「あなた方おふたりは、月に一度、カフェやレストランでデートすることを誓いますか?」
「誓います」
「栄一さん約束よ!」、と美紗子が笑う。
「あなた方おふたりは、健康に気を付け、幸せに長生きすることを誓いますか?」
「・・・・努力します」
見つめ合い、息の合った返答をするふたりに、皆の拍手が沸き起こる。
そして指輪の・・・・、交換ではないが、栄一は、美紗子に内緒で、二つ目の結婚指輪を用意していた。美紗子に贈る感謝の証だ。
「美紗子、これまでたくさん苦労かけた。申し訳なかった。これからは、もっと大事にするからな」
またまた拍手が沸き起こる。母が満面の笑みで「栄一さん、みんな、ありがとう!」と感謝を伝えると、花香が真相を明かした。
「お父さんの発案なのよ。『お母さんにこれまで何もしてあげられなかった。何か感謝を形にしたい』って言うから」
「何言ってるの、栄一さん! 何の不満も感じてないわ。でも、うれしい! モデルの仕事じゃないもの。本物の結婚式の本物のウェディングドレスだもの!」
感激して栄一の腕を掴み、肩にもたれかかる美紗子を真ん中に、家族は集まってふたりを囲み、皆で記念写真を撮った。
「美紗子、盛岡の両親にこの写真送ろう」
「そうね。ちょっっぴり恥ずかしいけどねぇ」
結婚式の後は、バーベキューパーティーだ。気楽な服装に着替え、女性陣は食材を切り分け串に刺し、バーベキューの準備をする。男性陣は火を起こし、薪をくべて、コンロには炭火を準備した。
「何か手伝いますか? 僕にできることありますか?」
手持無沙汰 なジョンミンが、キッチンを見に来た。
「ジョンミンさんありがとう。気が利 くのね。こっちは大丈夫よ。あっ、じゃあこれ持って行って。サムギョプサル用のレタスとエゴマの葉」
舞香が手渡した大皿には、深い緑のエゴマの葉とサニーレタスがたっぷり盛られている。
「お姉さんありがとうございます。サムギョプサル、大好物です!」
「よかった! 壱さ~ん、ジョンミンさんにもビールおねが~い! 花ちゃんも彼と一緒に飲んでおいで。これ持ってって、お父さん囲んで一杯やってて」
その大皿には、分厚い豚バラ肉が山盛りだ。
「まい姉ありがとう。サムギョプサルの準備してくれたのね」
「買い物しながら、そよちゃんとメニュー考えたの。本場の味には敵わないかもしれないけど、はい、これコチュジャン」
花香は感激して、大皿と共にテラスへ出て行った。
「昼からビール! 格別だな」
栄一は、美味 しそうにコップ一杯ビールを飲み干しながら、網の上のバーベキューの串をくるくる回した。
「いい焼き色だ。もう少しだな」
「お父さん、こっちのバラ肉もいい感じに焼けてますよ! 食べ頃です」
壱の作る炭火加減で、肉も野菜もこんがりいい焦 げ色に焼けている。トング捌 きも、とても手慣れていた。
「壱さん手慣れてますね。手際 がいいです」
ジョンミンが感心して見ている。
「大学時代にハマった、僕の趣味。舞ちゃんと喧嘩 したら、いつでもお一人様キャンプに逃げれるんだ」
「壱さん! それはダメ。私も絶対ついて行くからね!」
「あっ、聞こえてた⁈」
ちょうど、壱の言葉に頬 を膨らませながら、舞香がコンロのそばの席に着いた。
「でも、お兄さんたち、喧嘩すること無いでしょ?」
とジョンミンが言うと、「まあ、そうなんだけどね」と壱がビールで少し顔を赤らめながら、上機嫌で答える。
「お兄さん、いいですね。実は・・・・僕と颯香は、時々、喧嘩になるんです・・・・」
深刻そうな面持ちの臣の告白に、颯香は落ち着きなく、「えっ、私たち喧嘩する? えっ? そうかなぁ?」とみんなを見回す。
皆を代表し、壱もわざと深刻そうな表情をして、シリアスな口調で尋ねる。
「喧嘩の原因は?」
臣も、わざとシリアスな声色 で語る。
「それが・・・・僕が後で食べようと思ってたアイスを颯香に食べられてしまって・・・・。それで颯香が後で食べようと思ってたお菓子を、僕が食べちゃって・・・・」
「そんなことだろうと思ったよ!」と壱が笑い転げる。栄一も大笑いしながら、
「そりゃあ、喧嘩になるわな」
と臣の肩を叩く。
「なんだ! ふたりかわいいじゃん!」、と手を叩いて喜ぶ花香。
「臣さん、何言い出すかと思ったら! もう!」
と颯香が隣に座る臣に張り手を食らわし恥ずかしがった。
「そうよ! 私がつわりで苦しくて食べ物見るのも嫌になった時、臣さん、隣で『南部 せんべい』を何食わぬ顔で美味しそうにポリポリ食べてるんだもん。しかもピーナッツのほうね。あの時も本当に、あったまに来たんだから!」
「あぁ~、臣さん、やりそうだね~」、と皆、納得の表情だ。臣が頭を掻 く。
「颯香、悪かった悪かった。なぁ、俺たちも子供生まれたら、キャンプを趣味にしたくないか? 楽しいな。これからは、お兄さんを師匠 と呼びます」
「あっ、臣さん話逸 らした!」
臣もこのアウトドアの解放感にワクワクし、心から楽しんでいる。栄一と美紗子は、本当の家族に、そして兄弟になったかのような婿 たちを、微笑ましく見つめていた。
お腹を満たすと、それぞれのやり方で森の時間を楽しんだ。小鳥のさえずりを聞きながら、昼寝したり、森を散策したり、語り合ったりして、思い思いにのんびり過ごす。
そして、今夜のディナーは、真っ白なつやつやのご飯と栄一のこだわりカレー、鯛 のアクアパッツァとフルーツ盛り合わせ。ワインも開けて。臣は早速、栄一のカレーの味に感激している。
「お父さんのカレー、美味 いです! ちゃんこ以外にもこんなに料理が得意なんて、ほんと尊敬します。颯香、俺、お父さんのような父親になるよ」
「あんまりうんちく語り過ぎるとな、子供に嫌われるからな。気を付けろよ」
そう言いながら栄一は、うれしくてたまらない様子だ。
「俺、子供にテニス教えようかな。颯香は相撲教えるか」
「えっ、テニスと相撲の二刀流 目指す?」
「何? さっきから夫婦漫才 ですか⁈」
花香が、微笑ましい二人のおかしなやり取りを面白がると、舞香も不思議そうに
「花ちゃん、臣さん、なんだか一番弾 けてるね。結構な天然キャラね」
と腕を組みながら彼を見つめた。
「彼の心を解放したそよちゃん、たいしたもんだわ」
すると突然、「はい!」と臣が挙手をした。
「僕たち、子供が生まれて少し落ち着いたら、いよいよ相撲道場開こうと思っています」
それを聞いたみんなに、自然と拍手が沸き起こる。栄一もワクワクの表情だ。
「今に、女子相撲がオリンピック競技になるかもしれないし。そうしたら颯香、忙しくなるぞ。次世代の選手、育てなくちゃな。いいじゃないか。スポーツ道場。臣くんはテニスを教えて、ジョンミンくんは、ダンス一緒に教えるか?」
「あっ、それいいですね! 必要な時は呼んでください。韓国から飛んで来ます! そうだ! 花、あれ渡そうか」
「うん! ちょっと待ってて」
花香は、何か入った紙袋を部屋から持ってきた。
「あのね、みんなにプレゼントがあるの」
「僕たちからのプレゼントです」
ジョンミンが、皆にひとつずつ手渡したのは、色とりどりの組紐 の飾りだった。結び目に房飾 りが付いていて、ストラップのように携帯電話やカバンに付けることができる。
「韓国語で『メドゥプ』って言うの。この結び目には意味があって、この菊の花の組紐には、幸運と安全を祈る意味があるの。だから、お守りみたいなものよ」
「みんな、元気で健康で幸せに、ずっと一緒にこうして過ごせるように、祈ります。お父さんもお母さんも、いつまでも元気でいてください」
ジョンミンと花香の願いが込められたプレゼントだった。
「ジョンミンさん、花香、ありがとう。大事にするね」
美紗子は、美しい結び目に見入る。
「きれいだわ。家族みんなで同じ宝物を持つのって、素敵ね」
臣も、壱も、弟と妹の粋な贈り物に感動し、この場に皆で一緒にいられる奇跡を感じた。
「父さんも母さんも幸せだ。みんなありがとうな」
栄一が空を見上げる。涙がこぼれそうだった。
「栄一さん、泣いてるの?」
「いや、星を見上げただけだ。ほら、綺麗だろ?」
「そうね!」
そう言う美紗子の目も潤 んでいた。
栄一が、自宅の外の物置の中で、何かをゴソゴソと探している。
「栄一さん、ランタンはこっちに出してあるわよ。焼き
「そうか? キャンプは、自分でテント張って火を起こすのが
「そうね。でも、花香とジョンミンさん、ほら、虫、大の苦手でしょ。じゃあ私たちはテント泊でもしましょうか? あなたと星を見ながらテント泊、ロマンチックねぇ」
「何言ってるんだよ。・・・・アウトドアもお手軽な時代か・・・・」
栄一は照れくさそうに、また物置の中に隠れるように入って行った。
五月の連休、澤田家は皆で森の中のコテージへと向かった。臣の車には両親が同乗した。
「颯香は順調? よく動く?」
後部座席の美紗子は、隣に座る颯香の少し
「順調だよ。すごく元気に動いてるよ」
「七月になれば、臣くんもパパになるか。楽しみだな」
助手席の栄一が言うと、後ろから
「栄一さんもおじいちゃんになるの楽しみでしょうがないでしょ」
と美紗子がからかった。
「僕、なんか、信じられないですね。もう、そこに命が存在してるんですね。いい父親になれるかなぁ?」
運転しながら、臣はしみじみ思う。
「もうすぐだな。臣くんなら大丈夫だ。いい父親になれるさ。悩んだり助けが必要な時は、いつでも俺たちを頼ってくれよ」
「心強いです。お父さん、いろいろ教えて下さい」
「あれからどうだ? おやじさん。結婚式では、話に聞いていたのとは大分違う印象だった。
「丸くなったというか・・・・僕を認めてくれたんですかね」
「孫の顔見たら、とろけそうだな。俺もだけどな、ハハハ」
ふたりは陽気に、臣の父親の話で笑えるようになっていた。
臣と颯香は、昨年、横浜の教会で結婚式を挙げた。臣の父親は、自分自身で選択した道を歩む自立した息子の姿に、ある意味安心し、肩の荷が下りたのかもしれなかった。それは、『
「意味のない経験などないな。皆、何らかの実りをもたらす。これも息子の輝かしい生き方なんだな」
「幸せかどうかは、自分が決めることですもの。臣、幸せそうじゃないですか。あの子はもう、自分で人生を切り拓いています。あなた、お疲れ様でした」
結婚式の席で、臣の両親は、一人前になった息子の姿に安堵していた。現在の父は、孫の誕生を心待ちにしながら、経営の一線からは退いてもご意見番として、
壱の車の後部座席には、花香とジョンミンが乗っていた。ふたりは休暇を取り、韓国から日本へ戻って来たのだった。ふたりとも就職が決まり、韓国での新生活を始めていた。花香は、無事に留学を終え、韓国でメイクアップの国家資格を取り、韓国のテレビ局に就職することができた。まだまだ新米スタッフとしての下積み生活だが、ジョンミンと一緒にいられる喜びが原動力となっていた。
「韓国いいなぁ。私もいつか行ってみたい。壱さん、旅行しよう。その時は花ちゃん、見どころ案内してくれる?」
「私もまい姉と街を歩きたい! 面白いところたくさんあるから。まい姉にチマチョゴリ着せたいんだ。絶対似合うと思う」
「ジョンミンくんも就職おめでとう。就活大変だったかい?」
ハンドルを握りながら、壱が尋ねる。
「日本での経験と語学力が評価されて、就活は割とすぐに内定もらえました。化粧品メーカーのマーケティング部門なので、商品についてたくさん勉強しなくちゃならなくて、今、大変です。スキルアップしないと一人前として認められないから、
「これからは、花香ちゃんがそばにいてくれるから、良かったね」
「はい! お互い助け合ってがんばります」
「日々勉強、僕らもその点は一緒だなぁ。お互いがんばろう! でも今夜くらいはのんびり、仕事を忘れて一緒に飲み明かそうか」
「はい!」
「お兄さん、ほどほどにね。ジョンミンさんお酒めちゃくちゃ強いのよ!」
「そうなの⁈」
驚く壱に、舞香は真剣な面持ちで、
「ホントにほどほどにしてね! 壱さん、意外にお酒に弱くて、すぐその辺に寝ちゃうんだから」
と釘を刺す。
コテージは、お風呂・トイレ・キッチン付き。テーブルもソファーも揃っていて、今回は、八人宿泊用のログハウスだ。庭でキャンプファイヤーもできて、屋根のあるテラスでバーベキューも楽しめる。
「素敵なところね。花ちゃんたちも一緒に来られて、ホント良かったね」
舞香と花香は、キッチンに食材を運んだ。
「颯香さん、重い物は僕が持つよ」
「お兄さんありがとう」
壱が
「お兄さん、すみません。颯香、いいよ。先に中に入って休んで」
臣の方が年上だが、壱は確かに義理の「お兄さん」だ。そう呼ばれた壱の方が、とても照れくさそうだ。臣も、宿泊の荷物や
「さて、お父さん、
と言うと、父はグーサインを出す。それを見た花香も、父と舞香に指でOKサインをし、そして母を部屋に呼ぶ。
「お母さん、ちょっとちょっと、私の部屋に来てくれる? 早く早く」
「花香、何が始まるの?」
一番奥の花香たちの部屋に入ると、そこには、美しいウエディングドレスが飾られていた。
「誰の結婚式? 花香? 聞いてないよ!」
「まさか! 違うよ、お母さんのよ! これからこれ着るの。その前にメイクしてあげるね」
「ちょっと、何? メイクの練習?」
「
「
美紗子は、少し照れながらも本場韓国の女優メイクに期待を膨らませながら、花香にメイクを
「お母さん、さすが、お手入れ行き届いてる。肌きれいね」
「あらそう? ここも
そしていよいよ、ドレスに袖を通す。アイボリーのシルクサテンの上品な光沢。シンプルなノースリーブのAラインスカートのドレスに、レースのボレロを重ねる。
「お母さん素敵! これにしてよかった! ソウルのドレスショップの友人が、きっとこれが似合う、って貸してくれたの」
ベールと花飾りを母の頭に乗せ、首には真珠のネックレス。そして白百合のブーケを手渡すと、花香自身も結婚式用のワンピースに着替え、部屋の外の様子を見に行った。式場に見立てたコテージのテラスに皆、正装し勢揃いして、花嫁の登場を待っている。
「お義母さん、では僕がエスコートします」、と壱が美紗子の手を取り、栄一の待つ場所までゆっくり歩いていく。舞香は、キーボードで結婚行進曲を弾き始める。一気に、
「美紗子! きれいだなぁ」
「栄一さんも、タキシード素敵じゃない!」
「夫、栄一さん、妻、美紗子さん、あなた方おふたりは、これからも仲良くお互いを大切に思い、生活することを
「誓います」
ふたりは声を揃えて誓った。
「あなた方おふたりは、月に一度、カフェやレストランでデートすることを誓いますか?」
「誓います」
「栄一さん約束よ!」、と美紗子が笑う。
「あなた方おふたりは、健康に気を付け、幸せに長生きすることを誓いますか?」
「・・・・努力します」
見つめ合い、息の合った返答をするふたりに、皆の拍手が沸き起こる。
そして指輪の・・・・、交換ではないが、栄一は、美紗子に内緒で、二つ目の結婚指輪を用意していた。美紗子に贈る感謝の証だ。
「美紗子、これまでたくさん苦労かけた。申し訳なかった。これからは、もっと大事にするからな」
またまた拍手が沸き起こる。母が満面の笑みで「栄一さん、みんな、ありがとう!」と感謝を伝えると、花香が真相を明かした。
「お父さんの発案なのよ。『お母さんにこれまで何もしてあげられなかった。何か感謝を形にしたい』って言うから」
「何言ってるの、栄一さん! 何の不満も感じてないわ。でも、うれしい! モデルの仕事じゃないもの。本物の結婚式の本物のウェディングドレスだもの!」
感激して栄一の腕を掴み、肩にもたれかかる美紗子を真ん中に、家族は集まってふたりを囲み、皆で記念写真を撮った。
「美紗子、盛岡の両親にこの写真送ろう」
「そうね。ちょっっぴり恥ずかしいけどねぇ」
結婚式の後は、バーベキューパーティーだ。気楽な服装に着替え、女性陣は食材を切り分け串に刺し、バーベキューの準備をする。男性陣は火を起こし、薪をくべて、コンロには炭火を準備した。
「何か手伝いますか? 僕にできることありますか?」
「ジョンミンさんありがとう。気が
舞香が手渡した大皿には、深い緑のエゴマの葉とサニーレタスがたっぷり盛られている。
「お姉さんありがとうございます。サムギョプサル、大好物です!」
「よかった! 壱さ~ん、ジョンミンさんにもビールおねが~い! 花ちゃんも彼と一緒に飲んでおいで。これ持ってって、お父さん囲んで一杯やってて」
その大皿には、分厚い豚バラ肉が山盛りだ。
「まい姉ありがとう。サムギョプサルの準備してくれたのね」
「買い物しながら、そよちゃんとメニュー考えたの。本場の味には敵わないかもしれないけど、はい、これコチュジャン」
花香は感激して、大皿と共にテラスへ出て行った。
「昼からビール! 格別だな」
栄一は、
「いい焼き色だ。もう少しだな」
「お父さん、こっちのバラ肉もいい感じに焼けてますよ! 食べ頃です」
壱の作る炭火加減で、肉も野菜もこんがりいい
「壱さん手慣れてますね。
ジョンミンが感心して見ている。
「大学時代にハマった、僕の趣味。舞ちゃんと
「壱さん! それはダメ。私も絶対ついて行くからね!」
「あっ、聞こえてた⁈」
ちょうど、壱の言葉に
「でも、お兄さんたち、喧嘩すること無いでしょ?」
とジョンミンが言うと、「まあ、そうなんだけどね」と壱がビールで少し顔を赤らめながら、上機嫌で答える。
「お兄さん、いいですね。実は・・・・僕と颯香は、時々、喧嘩になるんです・・・・」
深刻そうな面持ちの臣の告白に、颯香は落ち着きなく、「えっ、私たち喧嘩する? えっ? そうかなぁ?」とみんなを見回す。
皆を代表し、壱もわざと深刻そうな表情をして、シリアスな口調で尋ねる。
「喧嘩の原因は?」
臣も、わざとシリアスな
「それが・・・・僕が後で食べようと思ってたアイスを颯香に食べられてしまって・・・・。それで颯香が後で食べようと思ってたお菓子を、僕が食べちゃって・・・・」
「そんなことだろうと思ったよ!」と壱が笑い転げる。栄一も大笑いしながら、
「そりゃあ、喧嘩になるわな」
と臣の肩を叩く。
「なんだ! ふたりかわいいじゃん!」、と手を叩いて喜ぶ花香。
「臣さん、何言い出すかと思ったら! もう!」
と颯香が隣に座る臣に張り手を食らわし恥ずかしがった。
「そうよ! 私がつわりで苦しくて食べ物見るのも嫌になった時、臣さん、隣で『
「あぁ~、臣さん、やりそうだね~」、と皆、納得の表情だ。臣が頭を
「颯香、悪かった悪かった。なぁ、俺たちも子供生まれたら、キャンプを趣味にしたくないか? 楽しいな。これからは、お兄さんを
「あっ、臣さん話
臣もこのアウトドアの解放感にワクワクし、心から楽しんでいる。栄一と美紗子は、本当の家族に、そして兄弟になったかのような
お腹を満たすと、それぞれのやり方で森の時間を楽しんだ。小鳥のさえずりを聞きながら、昼寝したり、森を散策したり、語り合ったりして、思い思いにのんびり過ごす。
そして、今夜のディナーは、真っ白なつやつやのご飯と栄一のこだわりカレー、
「お父さんのカレー、
「あんまりうんちく語り過ぎるとな、子供に嫌われるからな。気を付けろよ」
そう言いながら栄一は、うれしくてたまらない様子だ。
「俺、子供にテニス教えようかな。颯香は相撲教えるか」
「えっ、テニスと相撲の
「何? さっきから
花香が、微笑ましい二人のおかしなやり取りを面白がると、舞香も不思議そうに
「花ちゃん、臣さん、なんだか一番
と腕を組みながら彼を見つめた。
「彼の心を解放したそよちゃん、たいしたもんだわ」
すると突然、「はい!」と臣が挙手をした。
「僕たち、子供が生まれて少し落ち着いたら、いよいよ相撲道場開こうと思っています」
それを聞いたみんなに、自然と拍手が沸き起こる。栄一もワクワクの表情だ。
「今に、女子相撲がオリンピック競技になるかもしれないし。そうしたら颯香、忙しくなるぞ。次世代の選手、育てなくちゃな。いいじゃないか。スポーツ道場。臣くんはテニスを教えて、ジョンミンくんは、ダンス一緒に教えるか?」
「あっ、それいいですね! 必要な時は呼んでください。韓国から飛んで来ます! そうだ! 花、あれ渡そうか」
「うん! ちょっと待ってて」
花香は、何か入った紙袋を部屋から持ってきた。
「あのね、みんなにプレゼントがあるの」
「僕たちからのプレゼントです」
ジョンミンが、皆にひとつずつ手渡したのは、色とりどりの
「韓国語で『メドゥプ』って言うの。この結び目には意味があって、この菊の花の組紐には、幸運と安全を祈る意味があるの。だから、お守りみたいなものよ」
「みんな、元気で健康で幸せに、ずっと一緒にこうして過ごせるように、祈ります。お父さんもお母さんも、いつまでも元気でいてください」
ジョンミンと花香の願いが込められたプレゼントだった。
「ジョンミンさん、花香、ありがとう。大事にするね」
美紗子は、美しい結び目に見入る。
「きれいだわ。家族みんなで同じ宝物を持つのって、素敵ね」
臣も、壱も、弟と妹の粋な贈り物に感動し、この場に皆で一緒にいられる奇跡を感じた。
「父さんも母さんも幸せだ。みんなありがとうな」
栄一が空を見上げる。涙がこぼれそうだった。
「栄一さん、泣いてるの?」
「いや、星を見上げただけだ。ほら、綺麗だろ?」
「そうね!」
そう言う美紗子の目も