20.ラスボスとの対決
文字数 5,716文字
臣は、颯香に気持ちを伝えてから、まるで世界に色彩が戻ったかのように感じていた。朝日の差し込む部屋も、食卓のトーストした食パンも、通勤途中の木々の緑も、こんなに喜びをもたらすものなのかと、静かな心の平穏 を味わっていた。颯香とは時々、仕事帰りに約束して食事をしたり、休日は颯香のお弁当を持ってピクニックに出かけたり映画を見たりして過ごす。素直な自分でいられた。笑顔が増え、笑い皺 ができるほどだ。
満ち足りた日々を過ごす中で、同時に見て見ぬ振りのできない課題も浮き彫りになってくる。この幸せを、揺るがないものにするために、颯香にふさわしい自分になるために、その課題をクリアすることが必要だった。
「美味かった! 肉じゃが、こんなに腹いっぱい食べたの、久しぶりだな」
「ほんと? 味加減大丈夫だった?」
「ちょうどいいよ。料理上手 いんだな」
「姉に、お料理の特訓を受けたから」
颯香が微笑む。臣は、アパートの自室で時々颯香が作ってくれる家庭的な食事が、とてもうれしかった。
「じゃあさ、お父さんのちゃんこ鍋の特訓受けたことは?」
「ちゃんこ鍋は、うちではお父さんの特権 ですから。これからもお店で食べてあげてくださいね」
「なるほど。うん! そうするよ」
ふたりで食器を流しに運び、ふたりで洗って後片付けをする。そして、食後のコーヒーをマシンにセットしながら、臣は言った。
「颯香、今度の日曜日、俺に付き合ってくれないか?」
「日曜日? 大丈夫だけど、どうしたの?」
「うん・・・・。僕の両親に、会ってほしい。君を両親に紹介したいんだ」
颯香は、ドキッとした。『結婚』という幸せな二文字と同時に、『厳格な父』に相対 する緊張が心をよぎる。
「それは、つまり・・・・」
「親父 と和解しようとは思わない。だけど、両親にも会わせずに籍 を入れるなんて、君と君の両親に対して失礼だろ。そして、何より君に対する誠意の証 であり、自分にとってはけじめなんだ。親父に対して、自立して歩いて行くことを表明したい」
そして彼は、今後これを機に、父には二度と関わらない覚悟もしていた。父の愛情を実感できないままならば・・・・。
「臣さん、それはつまり・・・・私へのプロポーズですか?」
その言葉に、臣は動揺した。
「あれ? 俺は・・・・颯香がずっと一緒にいてくれると、勝手に思い込んで・・・・。違ったか? そうか、プロポーズかぁ・・・・」
「そういうところ、もう、笑っちゃいます。これは、立派なプロポーズです。そう思います。いいですよ。私、あなたとずっと一緒にいます!」
「それなら、よかったけど・・・・俺、何かしくじったかな・・・・」
臣は頭を抱え、困惑の表情だ。
「いいえ。ちょっと順番間違えたけど、あなたらしいプロポーズです」
「・・・・そうだ! これ、君に似合うかなぁ?」
臣は、気を取り直し、戸棚の引き出しから小さな箱を取り出す。箱を開けるとそこには、星が地上に舞い降りたかのような、キラキラ輝く指輪があった。
「うわ~!綺麗 な指輪・・・・」
「これを着けて、一緒に横浜へ行ってくれるか?」
「はい!」
そっと颯香の手を取り、左手の薬指にはめてみる。
「素敵だ。父に宣言できたら、君の両親に挨拶に行く」
「はい」
臣は、優しく颯香を抱きしめた。
横浜の実家は、洋館の趣 を持つ大きな家だった。帰るのは何年ぶりだろうか。母親が、玄関先に出て出迎えてくれた。
「お疲れ様。颯香さんね、こんにちは。臣から聞いております。臣の母です」
とても上品で、小柄で瞳の優しい人だった。
「はじめまして。澤田颯香と申します」
緊張のあまり小さな声で挨拶をする。応接室に通されると、ゴブラン生地 の高級そうなソファーにふたり並んで座り、父親が現れるのを待った。大きなアンティーク調の振り子時計が、コチコチと時を刻む。母がふたりの前にお茶を差し出すと、間もなく父が姿を現した。向かいのソファーにどっかりと腰を下ろす。ふたりは立ち上がる。初め、颯香は顔を上げられずにいた。だが、恐る恐るそちらの方向に目を向けると、ノーネクタイのワイシャツにスラックス姿の父親が、もともと背が高く貫禄 はあるが、まるでロールプレイングゲームの最後に立ちはだかる『ラスボス』の如 く、実際のサイズ感より遥 かに大きくそこに鎮座 していた。
「臣、久しぶりだな」
「ご無沙汰しています」
実の父親を前に、臣の態度は、固くかしこまっている。父はお茶を一口飲んでから切り出した。
「彼女は?」
「父さん、こちらは澤田颯香さんです。僕は、彼女と結婚します」
「ほう・・・・、そうか、結婚宣言か。まず座りなさい」
「はい」
「もし、私が、『許さん』と言ったら、どうするつもりだ?」
親子は、牽制 し合い、次にどんな言葉を相手に投げ込むか、慎重な駆け引きをしているかのようだった。
「父さんが反対しても、僕は彼女と一緒になります」
「臣、お前も聞いているだろう? 妹の結婚相手が会社を継ぐというのに、お前は悔しくなかったか?」
「・・・・僕には関係のない話です。僕の人生、もう父さんの指図は受けない」
「なんだ、お前には、欲というものが無いんだなぁ。 ところで、園くんはどうした? プロになった松田園くんは。聡明 な女性だった。とても活躍しているじゃないか」
「父さん、どうして今、園のことを持ち出すんですか? 彼女の前で!」
「颯香くん、と言ったね? 君は、臣の何を知っている? 挫折した男だぞ。何も成し遂 げていない。臣だって、園くんを味方に付ければ、まだステイタスも上がるというのに。颯香くんは何を持っているのかね? 相撲をやっていたと聞いたが、相撲は本来、男がするものだろう? 女子相撲なんて、あれはスポーツと言えるのか?」
颯香はいたたまれない気持ちになった。臣も逆上する。
「失礼じゃないか! そんな言い方ないだろう! 父さんはいつもそうだ。ステイタスって何だよ。社会的地位より、大事なものがあるだろう?」
母は父に、臣が今日どういう目的で帰って来るのか、予 め伝えてあったのだった。それにも関わらず心無い態度を取る姿に、母もおろおろするばかりだった。
「臣さん、私は大丈夫だから。落ち着いて」
颯香が、震える手で臣の肩に手を置く。
「父さんは、お前の幸せを思って言ってるんだ。期待してお前に夢を託した。いつか立派に会社を継いで、会社を盛り立てていって欲しいと願って、父さんは会社を守ってきた。なのに、それも叶 わず、テニスも、お前は手放しただろう。お前の財産は何だ? お前にいったい何が残っているんだ?」
「俺は、父さんのレプリカじゃない! 父さんは俺に自分の理想を押し付けただけじゃないか。俺の人生さえも自分の思い通りにしたかっただけだろう⁈」
「お父さんも臣も、やめて! 颯香さんがいるのに」
母もいよいよ我慢がならなくなり、どんどん激しくなる二人の語気を鎮 めようとしたが、臣は立ち上がると、
「俺はもうこの家には帰らない。彼女と彼女の家族こそが、俺の存在価値を高めてくれる大切な存在なんだ。後 はもう、俺のやりたいようにする。颯香、行こう」
そう言って、退席しようとした。すると、
「待って!」と颯香が静止する。
「お父さん、私は・・・・」
彼女の声が震えている。父親の怪訝 そうな視線が、こちらを向いている。
「私は、力士だった父の夢を背負って、女子相撲をしてきました。おしゃれでもメジャーでもないですけど、でも続けてみたら、素敵な立派なスポーツでした。しっかりとした体力と技術が必要で、お遊びではできません。素晴らしい仲間がいて、皆、真剣で、礼節を重んじる。だから、押し付けられてやってきたんじゃないです。好きで続けてこられました。実は私も怪我 をして、もう本気の相撲は、取ることができないかもしれません。でも父は、その続けてきた時間が尊 いんだって言ってくれました。私には、その打ち込んだ時間と父の言葉が財産です。臣さんも、その時その時を懸命にがんばってきたと思います。結果、テニスでプロにはなれなかったかもしれないけれど、大好きなものに一生懸命に打ち込んだ、尊い時間が存在したはずです。そして、彼は私たちの素晴らしいコーチでした」
「コーチの職だって、伯父 さんに頼まれただけだろう」
静かに聞いていた父だったが、なかなか臣を認めようとはしない。
「それはきっかけで、その後のコーチは、私たちの勝利に貢献 してくださいました。ふたりで次代のアスリートを手助けしたいという夢も見付けました。臣さんは、私にはとても勿体 ない方ですが、私は何もステイタスになるようなものは持っていませんが、一緒に歩んで行きたいんです。臣さんは、お父さんにただ・・・・」
臣は、ふっと颯香の肩に手を置き、自分の思いを言葉に吐き出した。
「愛されたかったんだ。父さんのレプリカでもコピーロボットでもなく、一人の人間の『臣』として、失敗しても挫 けても、手を取って欲しかったんだ。もっと一緒に遊んだり、酒を酌 み交わしたり、もっと素直に話がしたかった。父さんに、俺の、結果じゃなくがんばりを、認めて欲しかったんだ」
臣は、そう言って父の前で初めて涙を流した。そして母も、息子の手を握りながら、珍しく父に意見した。
「あなた、もうやめにして。やっと臣が自分の素直な気持ちをあなたに言えたわ。あなたの抑圧に負けまいと、私と臣は生きてきました。どうか息子を認めてあげて!」
そして母は、ふたりを帰らせようと促 す。
「おい、臣」
父が呼び掛けるも、臣は席を立ち部屋を出ようとした。
「父さん、後 は好きにするから」
「おい、臣! ・・・・父さんが、悪かったんだな・・・・。臣、成長したな。わかった。幸せになれ。いつの日か、孫が生まれたら・・・・会わせてくれ」
そう言った父の視線は、窓の外を見つめていた。颯香には、『ラスボス』が涙の向こうに霞 んで小さく見えた。ふたりは、父に小さく会釈 をして部屋を出た。
「お父さんの今の精一杯だわ。言葉以上に、何かを感じているはず。お父さん、あんな失礼なこと言って、本当に申し訳なかった。それに、孫だなんて言ってねぇ、ほんと不器用。プレッシャーに思わないでね。私は、颯香さんに感心したわよ。息子のよき理解者だわね。臣をこれからもよろしくね。親御 さんにも近々ご挨拶させてね」
臣の母は、手土産の菓子折りを颯香に手渡し、潤 んだ瞳で微笑んだ。
臣と颯香は、無言のまま駅までの道を歩いていた。ふたりともこの状況を、頭の中で整理しながら。この短時間で、心はかなり疲れ切っていた。
「お父さんにまた、いつか・・・・会えますね」
蟠 りは残りつつも、父の許しは得たのだと、ふたりはあらためてこの状況を振り返る。
「うん・・・・颯香が隣にいてくれたから、言えた。ちゃんと父に意見できた。欲しいものを『欲しい』と言えた。ありがとう。颯香は大丈夫?」
「私は、大丈夫。鋼 の心臓です」
「そう言う颯香の声が、まだ震えてるぞ」
臣は微笑み、彼女の手を繋ぐと、その手も少し震えていた。
「怖かったよな・・・・。悪かったな」
「次に会う時は、孫がいてもいなくても、お互い笑顔がいいです」
「うん。さぁて、美味いものでも食べに行くかぁ?」
「はい!」
「せっかくだから、中華街行くか?」
「熱々ジューシーな、小籠包 !」
「よし! 決まり!」
数日後、仕事を終えて帰宅した両親に、颯香は報告したいことがあった。リビングを覗 くと、夫婦は並んでソファーに座り、熱燗 をつけて寝酒を一杯交わしている。
「お父さん、お母さん、ちょっといい?」
「あら、颯香、もう寝てるのかと思った」
「どうした?」
「あのね・・・・私、プロポーズされたの」
「颯香が、か?」
栄一が、驚いた表情で尋 ねる。母は、興味津々 に言った。
「お相手は? もしかして? お父さんもお母さんも知ってる人?」
「うん!」
「え、誰だよ。知ってる人って。何⁈太一 か⁈」
「違う違う! もう一人、お父さんがよく知ってる人よねぇ、颯香」
「はい・・・・実は・・・・木村コーチです」
「おいおい! 本当か⁈」
母と娘は、満面の笑みで向かい合っている。颯香は、臣から贈られた眩しく輝く婚約指輪を両親に見せた。
「はぁ~そうか。いや、驚いたな。そうか、臣くんか。でも、あちらのお父さんは大丈夫なのか? お前との結婚は許してくれたのか? 厳しい方なんだろう?」
「この前、横浜の実家にお邪魔して来たの」
颯香は、実家での出来事を、父に詳しく説明した。
「そうか。臣くん、ちゃんとお父さんと向き合ったんだな。颯香も勇気が要 っただろう? 園さんと比べられたのか・・・・。ひどい仕打ちだが、お父さん、お前たちの覚悟を試したのかもしれないな。うん、ご両親に認められたのなら、父さんも何も言うことはない。ふたりとも立派だ。いいか? 颯香、臣くんを幸せにしてやれ。大事にするんだぞ。いい男だ。しっかり支えてあげなさい」
「う~ん、なんか逆じゃない? まぁ、いいか。言われなくてもそのつもりだから。絶対幸せにします!」
「颯香、良かったわね。やっぱりコーチは見る目があるわね」
「うん。颯香もだ。お前、よく射止 めたな。また、臣くんと酒が飲める。父さんはうれしいよ!」
「でも、もう一つ課題があってね・・・・臣さんにもう一度、テニスと向き合って欲しいと思っているの。余計なお世話かなぁ? でもテニスは彼の人生の一部だし、きっと、素晴らしい時間だってたくさんあったはずだから」
「そうだよな。喜びだってあったはずだ」
栄一も納得する。そこに美紗子がある提案を持ちかける。
「一緒に、テニスの試合、例えば、園さんの試合を見に行くのはどうかしら? 今度女子のツアーが大阪で開催されるはずよ」
「お母さん、園さんに気持ちが戻っちゃったら、私、生きていけないよ!」
「その心配はないわ。これは心のリハビリよ。颯香が隣にいれば大丈夫、乗り越えられる」
母の自信は、どこから来るのだろう?
「一緒に困難を乗り越えた経験は、元カノを凌駕 するの」
と、母は娘に耳打ちする。
「へえぇ~~」
後でこっそり、夫婦の逸話 を聞いてみよう。
満ち足りた日々を過ごす中で、同時に見て見ぬ振りのできない課題も浮き彫りになってくる。この幸せを、揺るがないものにするために、颯香にふさわしい自分になるために、その課題をクリアすることが必要だった。
「美味かった! 肉じゃが、こんなに腹いっぱい食べたの、久しぶりだな」
「ほんと? 味加減大丈夫だった?」
「ちょうどいいよ。料理
「姉に、お料理の特訓を受けたから」
颯香が微笑む。臣は、アパートの自室で時々颯香が作ってくれる家庭的な食事が、とてもうれしかった。
「じゃあさ、お父さんのちゃんこ鍋の特訓受けたことは?」
「ちゃんこ鍋は、うちではお父さんの
「なるほど。うん! そうするよ」
ふたりで食器を流しに運び、ふたりで洗って後片付けをする。そして、食後のコーヒーをマシンにセットしながら、臣は言った。
「颯香、今度の日曜日、俺に付き合ってくれないか?」
「日曜日? 大丈夫だけど、どうしたの?」
「うん・・・・。僕の両親に、会ってほしい。君を両親に紹介したいんだ」
颯香は、ドキッとした。『結婚』という幸せな二文字と同時に、『厳格な父』に
「それは、つまり・・・・」
「
そして彼は、今後これを機に、父には二度と関わらない覚悟もしていた。父の愛情を実感できないままならば・・・・。
「臣さん、それはつまり・・・・私へのプロポーズですか?」
その言葉に、臣は動揺した。
「あれ? 俺は・・・・颯香がずっと一緒にいてくれると、勝手に思い込んで・・・・。違ったか? そうか、プロポーズかぁ・・・・」
「そういうところ、もう、笑っちゃいます。これは、立派なプロポーズです。そう思います。いいですよ。私、あなたとずっと一緒にいます!」
「それなら、よかったけど・・・・俺、何かしくじったかな・・・・」
臣は頭を抱え、困惑の表情だ。
「いいえ。ちょっと順番間違えたけど、あなたらしいプロポーズです」
「・・・・そうだ! これ、君に似合うかなぁ?」
臣は、気を取り直し、戸棚の引き出しから小さな箱を取り出す。箱を開けるとそこには、星が地上に舞い降りたかのような、キラキラ輝く指輪があった。
「うわ~!
「これを着けて、一緒に横浜へ行ってくれるか?」
「はい!」
そっと颯香の手を取り、左手の薬指にはめてみる。
「素敵だ。父に宣言できたら、君の両親に挨拶に行く」
「はい」
臣は、優しく颯香を抱きしめた。
横浜の実家は、洋館の
「お疲れ様。颯香さんね、こんにちは。臣から聞いております。臣の母です」
とても上品で、小柄で瞳の優しい人だった。
「はじめまして。澤田颯香と申します」
緊張のあまり小さな声で挨拶をする。応接室に通されると、ゴブラン
「臣、久しぶりだな」
「ご無沙汰しています」
実の父親を前に、臣の態度は、固くかしこまっている。父はお茶を一口飲んでから切り出した。
「彼女は?」
「父さん、こちらは澤田颯香さんです。僕は、彼女と結婚します」
「ほう・・・・、そうか、結婚宣言か。まず座りなさい」
「はい」
「もし、私が、『許さん』と言ったら、どうするつもりだ?」
親子は、
「父さんが反対しても、僕は彼女と一緒になります」
「臣、お前も聞いているだろう? 妹の結婚相手が会社を継ぐというのに、お前は悔しくなかったか?」
「・・・・僕には関係のない話です。僕の人生、もう父さんの指図は受けない」
「なんだ、お前には、欲というものが無いんだなぁ。 ところで、園くんはどうした? プロになった松田園くんは。
「父さん、どうして今、園のことを持ち出すんですか? 彼女の前で!」
「颯香くん、と言ったね? 君は、臣の何を知っている? 挫折した男だぞ。何も成し
颯香はいたたまれない気持ちになった。臣も逆上する。
「失礼じゃないか! そんな言い方ないだろう! 父さんはいつもそうだ。ステイタスって何だよ。社会的地位より、大事なものがあるだろう?」
母は父に、臣が今日どういう目的で帰って来るのか、
「臣さん、私は大丈夫だから。落ち着いて」
颯香が、震える手で臣の肩に手を置く。
「父さんは、お前の幸せを思って言ってるんだ。期待してお前に夢を託した。いつか立派に会社を継いで、会社を盛り立てていって欲しいと願って、父さんは会社を守ってきた。なのに、それも
「俺は、父さんのレプリカじゃない! 父さんは俺に自分の理想を押し付けただけじゃないか。俺の人生さえも自分の思い通りにしたかっただけだろう⁈」
「お父さんも臣も、やめて! 颯香さんがいるのに」
母もいよいよ我慢がならなくなり、どんどん激しくなる二人の語気を
「俺はもうこの家には帰らない。彼女と彼女の家族こそが、俺の存在価値を高めてくれる大切な存在なんだ。
そう言って、退席しようとした。すると、
「待って!」と颯香が静止する。
「お父さん、私は・・・・」
彼女の声が震えている。父親の
「私は、力士だった父の夢を背負って、女子相撲をしてきました。おしゃれでもメジャーでもないですけど、でも続けてみたら、素敵な立派なスポーツでした。しっかりとした体力と技術が必要で、お遊びではできません。素晴らしい仲間がいて、皆、真剣で、礼節を重んじる。だから、押し付けられてやってきたんじゃないです。好きで続けてこられました。実は私も
「コーチの職だって、
静かに聞いていた父だったが、なかなか臣を認めようとはしない。
「それはきっかけで、その後のコーチは、私たちの勝利に
臣は、ふっと颯香の肩に手を置き、自分の思いを言葉に吐き出した。
「愛されたかったんだ。父さんのレプリカでもコピーロボットでもなく、一人の人間の『臣』として、失敗しても
臣は、そう言って父の前で初めて涙を流した。そして母も、息子の手を握りながら、珍しく父に意見した。
「あなた、もうやめにして。やっと臣が自分の素直な気持ちをあなたに言えたわ。あなたの抑圧に負けまいと、私と臣は生きてきました。どうか息子を認めてあげて!」
そして母は、ふたりを帰らせようと
「おい、臣」
父が呼び掛けるも、臣は席を立ち部屋を出ようとした。
「父さん、
「おい、臣! ・・・・父さんが、悪かったんだな・・・・。臣、成長したな。わかった。幸せになれ。いつの日か、孫が生まれたら・・・・会わせてくれ」
そう言った父の視線は、窓の外を見つめていた。颯香には、『ラスボス』が涙の向こうに
「お父さんの今の精一杯だわ。言葉以上に、何かを感じているはず。お父さん、あんな失礼なこと言って、本当に申し訳なかった。それに、孫だなんて言ってねぇ、ほんと不器用。プレッシャーに思わないでね。私は、颯香さんに感心したわよ。息子のよき理解者だわね。臣をこれからもよろしくね。
臣の母は、手土産の菓子折りを颯香に手渡し、
臣と颯香は、無言のまま駅までの道を歩いていた。ふたりともこの状況を、頭の中で整理しながら。この短時間で、心はかなり疲れ切っていた。
「お父さんにまた、いつか・・・・会えますね」
「うん・・・・颯香が隣にいてくれたから、言えた。ちゃんと父に意見できた。欲しいものを『欲しい』と言えた。ありがとう。颯香は大丈夫?」
「私は、大丈夫。
「そう言う颯香の声が、まだ震えてるぞ」
臣は微笑み、彼女の手を繋ぐと、その手も少し震えていた。
「怖かったよな・・・・。悪かったな」
「次に会う時は、孫がいてもいなくても、お互い笑顔がいいです」
「うん。さぁて、美味いものでも食べに行くかぁ?」
「はい!」
「せっかくだから、中華街行くか?」
「熱々ジューシーな、
「よし! 決まり!」
数日後、仕事を終えて帰宅した両親に、颯香は報告したいことがあった。リビングを
「お父さん、お母さん、ちょっといい?」
「あら、颯香、もう寝てるのかと思った」
「どうした?」
「あのね・・・・私、プロポーズされたの」
「颯香が、か?」
栄一が、驚いた表情で
「お相手は? もしかして? お父さんもお母さんも知ってる人?」
「うん!」
「え、誰だよ。知ってる人って。何⁈
「違う違う! もう一人、お父さんがよく知ってる人よねぇ、颯香」
「はい・・・・実は・・・・木村コーチです」
「おいおい! 本当か⁈」
母と娘は、満面の笑みで向かい合っている。颯香は、臣から贈られた眩しく輝く婚約指輪を両親に見せた。
「はぁ~そうか。いや、驚いたな。そうか、臣くんか。でも、あちらのお父さんは大丈夫なのか? お前との結婚は許してくれたのか? 厳しい方なんだろう?」
「この前、横浜の実家にお邪魔して来たの」
颯香は、実家での出来事を、父に詳しく説明した。
「そうか。臣くん、ちゃんとお父さんと向き合ったんだな。颯香も勇気が
「う~ん、なんか逆じゃない? まぁ、いいか。言われなくてもそのつもりだから。絶対幸せにします!」
「颯香、良かったわね。やっぱりコーチは見る目があるわね」
「うん。颯香もだ。お前、よく
「でも、もう一つ課題があってね・・・・臣さんにもう一度、テニスと向き合って欲しいと思っているの。余計なお世話かなぁ? でもテニスは彼の人生の一部だし、きっと、素晴らしい時間だってたくさんあったはずだから」
「そうだよな。喜びだってあったはずだ」
栄一も納得する。そこに美紗子がある提案を持ちかける。
「一緒に、テニスの試合、例えば、園さんの試合を見に行くのはどうかしら? 今度女子のツアーが大阪で開催されるはずよ」
「お母さん、園さんに気持ちが戻っちゃったら、私、生きていけないよ!」
「その心配はないわ。これは心のリハビリよ。颯香が隣にいれば大丈夫、乗り越えられる」
母の自信は、どこから来るのだろう?
「一緒に困難を乗り越えた経験は、元カノを
と、母は娘に耳打ちする。
「へえぇ~~」
後でこっそり、夫婦の