3.イケメンコーチ

文字数 3,168文字

 清城学園(せいじょうがくえん)大学女子相撲部の立花(たちばな)監督は、元幕下力士(もとまくしたりきし)だ。颯香の父親と直接の関わりは無かったが、力士としては先輩である。立花監督の指導力と学生たちの努力が実を結び、今や強豪校に並ぶ活躍を見せ、女子相撲部は注目を集めていた。由希先輩は、颯香のことを「強い後輩がいて、この学校を目指している」と監督に報告し、部員たちと共に入学を心待ちにしていたのだった。こうして待ちに待った『期待の星』の入部が叶うと、監督は早速、颯香をはじめとする部員たちの更なる強化を目指して、スポーツジムでトレーナーとして働く青年をトレーニングコーチとして招き、主に体作りを専門に指導してもらうことにした。その青年は、立花監督の(おい)である。
「今日から一緒に指導して頂く、木村臣(きむらじん)コーチだ」
 監督に紹介され、青年は緊張気味の固い表情で一歩前に出ると、深くお辞儀をした。
「主に、体力作りや体作りのアドバイスをさせて頂きます。何でも遠慮なく相談してください」
 部員たちがざわつく。精悍(せいかん)な顔立ちと逆三角形のがっちりとした広い肩幅。『イケメン』とはこの人のために存在する言葉だったか、とその場の乙女たちは思った。()れっぽい颯香もまた言うまでもなく、一瞬でときめいてしまっていた。カフェの店員でもイルカショーのお兄さんでもない、この人が一番だと思った。しかし、彼の(かも)し出すどこかクールな印象が、同時に警戒心をも生んだ。
(もしかしたら、とても厳しい人かもしれない。もしかして鬼コーチ⁉)

 コーチは、本業の傍ら、勤務時間のシフトを調整して週に二、三回程度、大学の部活動時間にやって来た。一日目は、部内をよく観察し、一人一人の特徴や癖などを把握した。体重管理が、出場する体型別階級を左右するため、身体測定結果をタブレットパソコンで管理する。そして、それぞれに合ったトレーニングメニューを考える。颯香については、期待の一年生部員だと監督から聞いているので、特に情報収集に力が入る。
 二日目、具体的なトレーニングを少しずつ実践した。強化ポイントが(つか)めてくる。本人たちも、弱点を自覚し始める。そして臣は、颯香の決定的弱点を見付けた。本来、伸びてそれぞれ独立しているべき五本の足の指先が、丸く縮こまって

になっている。そして足は、

気味である。重い体を支える膝が、中心ではなく外側に負荷を受けている。このままでは、踏ん張りが効かず余計な力が入って膝を痛めてしまうかもしれない。
「膝が痛むことはないか?」
「実は少しだけ、()(あし)の練習の後や疲れた時に痛みます」
「うん。颯香は自宅通いか? 食事はバランスよく食べてるか?」
「今、母が家にいないことが多くて、主に姉がご飯を作ってくれます。でも姉は今年就職して、病院で管理栄養士の仕事をしていて、料理、得意なんです」
 舞香が就職したのは総合病院で、そこで新人管理栄養士として働いていた。診療科目は、内科・整形外科・循環器科・小児科など多岐に渡り、そこで、病院食メニューを考え、入院患者の栄養管理や外来患者に対する栄養指導を行う役割だ。母、美紗子といえば、ここのところ、度々どこかへ出かけてしまうことが多かったのだが、颯香たちは「執筆のための取材で忙しいんだろう」と理解していた。そのため、近頃の食事支度は、(もっぱ)ら舞香の役目だった。
「そうか・・・・お姉さんは管理栄養士か」
「あと、父はちゃんこ屋を経営しています。だから、時々ちゃんこ鍋を食べることもあって。洗足池駅(せんぞくいけえき)近くの『豪傑(ごうけつ)ちゃんこ』っていう店なんですけど、お父さんのちゃんこ、自慢できます。コーチもいつか是非、食べに来てください」
「うん。そうだな。ところで、きつい靴を履いていないか? 毎晩、風呂上がりに足の指をマッサージしろ。足の指は自由に動かないとだめなんだ。五本の指が伸びて開くように、しっかり指の体操をしなさい。足首の筋肉は、このゴムバンドで負荷をかけて繰り返し鍛えろ。捻挫(ねんざ)の防止になる。そして、O脚である事を自覚して生活するんだ。まだ今からでも矯正(きょうせい)できるから。そして、特に大腿(だいたい)内転筋(ないてんきん)を鍛えるんだ。ストレッチも忘れずにな」
 彼は淡々と指示を出し、颯香にO脚改善用の筋トレとストレッチのメニュープリントを手渡した。颯香は目を丸くした。イケメンだからといって、一気にこの注文は抱えきれない。仕事ぶりは熱心だが、生真面目で表情が硬く(つか)みどころのないコーチの特訓に、果たしてついて行けるのか、一抹(いちまつ)の不安を感じた。
 三日目からはもう、地獄の日々だ。これまで意識の足りなかった筋肉を使うので、卒業したと思っていた筋肉痛がまた襲ってくる。それでも、コーチがいつも自分の変化を観察してくれ、次の対策はどうするべきかを真剣に検討した上でトレーニングを提案してくれているのを感じ取っていた。
(きっと、ただ厳しいだけの人じゃないよね。こんなに私のために熱心なんだもの。目の保養にもなるし、コーチと一緒なら、何でもがんばって乗り切れちゃうかも!)
 颯香は少し浮かれていたが、一生懸命さだけは確かだった。その負けん気の強さで、トレーニングメニューを必死でこなした。臣は当然、他の部員たちも細かく観察しコーチングしていたが、『期待の星の更なる進化』という使命を背負っている。それを実現するべく、様々な角度から改善点を模索した。

「臣、コーチの仕事はどうだ? 女子相撲部は、テニスとはまた違った世界だろう」
 伯父である監督に声を掛けられ、臣はデータ入力の手を休める。
「そうですね。皆、寡黙に何度も何度もコツコツと、トレーニングや練習に励んでいます。あの粘り強さは、とても感心します。声を掛けると(ほが)らかで明るくて、(いま)だ過去に(とら)われて目標も見出(みいだ)せない自分が、なんだかとても恥ずかしくなって・・・・。今、学生たちと真剣に向き合わなければ、と自分を奮い立たせています」
「ゆっくりでいい。少しずつ、自分を取り戻して行けばいいさ」
「はい・・・・。ところで監督、澤田颯香ですが、今後長期的な膝や足腰への負担を考えると、若干(じゃっかん)体重を落として筋力を高めたいと思うのですが、これまで軽重量級に出場していた者が、一つ下の軽量級に変更するのはリスクになりますよね? 対戦相手も戦略も当然変わってくるとは思うので」
「リスクばかりではないが、颯香の場合は、今の軽重量級のギリギリのところまで体重を絞って、筋力をアップさせるのはありだ。その方が、颯香の長所を生かせるかもしれないな。あいつは、瞬間の判断力が優れている。その判断を瞬時に体に伝達する、少しの身軽さが備わればいいな」
「わかりました。その方向で、考えてみます」
「どんどん君なりに提案してくれ。いやぁ、日頃、女子の指導は男子以上にメンタル面が大事だと実感しているよ。なかなかに難しいもんだなぁ」
 そう言って、監督が自分の胸の内をふと吐露(とろ)するのを聞くと、臣の心もほぐれ、ふたりは伯父(おじ)(おい)の顔になる。
「そういえば、颯香の親御(おやご)さん、ちゃんこ鍋の店を経営しているそうですね。伯父さん、ちゃんこ鍋ってどんな料理ですか? 寄せ鍋と違うんですか?」
「そうだったなぁ。颯香のおやじさん、豪傑道関(ごうけつどうぜき)だったな。ある日パタッと表舞台から消えたんだが、娘がこうやって相撲の道を歩んでいるとはなぁ。うん、ちゃんこ鍋と寄せ鍋の大きな違いか? 寄せ鍋が昆布やかつお節から出汁(だし)を取るのに対し、鶏ガラで出汁を取るところが大きな違いかな。塩や醤油で仕立てるのもありだが、俺は、味噌仕立てが最高に美味いと思う。一度食べに行ってみたらどうだ? 臣、ちゃんと食事してるか?」
「最近、コンビニ弁当ばかりで・・・・」
「うちにも時々、気楽に食事しに来ればいいさ。ワイフが喜んで腕を振るってくれるよ。あまり根詰(こんつ)めるなよ。体も休めて、無理するんじゃないぞ」

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登場人物紹介

澤田颯香《さわだそよか》

澤田三姉妹の次女。小さい頃から、父の影響で女子相撲に打ち込んでいる。食べることと可愛いものが好き。



澤田舞香《さわだまいか》

澤田三姉妹の長女。忙しい両親やがんばる妹たちを支えながら、病院の管理栄養士として働いている。

澤田花香《さわだはなか》

澤田三姉妹の三女。大学で語学を学びながら、喫茶「ポラリス」で働いている。その美貌から、男性によく言い寄られる。

澤田栄一《さわだえいいち》

澤田三姉妹の父。埼玉県出身の元力士で、現在はちゃんこ鍋屋「豪傑ちゃんこ」を経営している。

澤田美紗子《さわだみさこ》

澤田三姉妹の母。岩手県出身の元ファッションモデル。現在は、夫のちゃんこ屋を手伝う傍ら、雑誌のコラムの執筆をしている。

木村臣《きむらじん》

清城学園大学女子相撲部のトレーニングコーチ。女子相撲部監督の甥。普段は、スポーツジムのインストラクターとして働いている。

川井壱《かわいいち》

舞香の大学の先輩。石川県金沢市の出身。大学時代は、軽音楽同好会でボーカルとして活動。舞香と同様、病院の管理栄養士として働く。

ユン・ジョンミン

韓国人留学生。花香の友人である絵理と同じ大学に通う。

森山裕太《もりやまゆうた》

花香の高校の先輩。高校時代はバレーボール部に所属。ジョンミンと同じ大学で、一つ上の先輩として世話をしている。

松田園《まつだその》

臣の元カノ。高校時代の実力を評価され、大学のテニス部にスカウトされる。やがてプロテニスプレイヤーとして活躍する。

吉田太一《よしだたいち》

栄一のちゃんこ屋のアルバイト店員。花香の幼馴染。

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