第3章 第10話

文字数 1,685文字

 厨房から大皿を抱えながら光子が現れる。その後ろではお袋がニヤニヤ笑いながら料理を作っている。

「オバちゃんによ、『アンタは人の為じゃなくもっと自分のために生きなさい』って昔言われてな。それからは『自分』と思えるヤツと『自分自身』の為に生きてきた。あ、オマエらは『自分』な」

 お袋が後ろでウンウンと頷いている。
「でな、隼人。この『キングさん』ってえのはよ…… あのね、私が初めて『自分』って思えた男の人なのよ」

 このヤンキーモードと山ノ手モードのギャップを知らない葵、青木ら数名が口を大きく開けている。
「オメーは一生アタシに甘えていい。曲作れなくなって解散して一文無しになっても一生養ってやる。でもね、私もこれからはずっとこの人に甘えて行きたいの……」

 隼人の視線が母とその恋人を何度も往復する。
「だって… やっと逢えたんだから… この歳になっても忘れることが出来なかったあの人に、ようやく出逢えたんだから…」

 お袋が少し手伝ったようだが、出てきたおせち料理はどれも目を見張るものばかりだ。まあ料理店を営んでいるのだが当然と言えば当然だが、所謂居酒屋メニューしか食べてこなかった俺は、光子の料理の手腕をこれまで以上に高く評価せざるを得ない。

 三人の子供たちと翔は毎年の恒例なのか、それ程感嘆していないのだが、純子さんと葵が大きく目を開け、ポカンと口を開いている。

 ふふふ。いいか君ら。君らが惚れた男たちは毎年正月にはコレくらいの料理を普通に期待しているのだぞ。今からでも遅くない、しっかり精進したまえ。

 そんな見た目も味も中々のおせちを突きながら、真琴さんが、
「まあ直ぐには納得出来ないでしょうが。ですが徐々にこの子の精神的自立が促される可能性は少なくないと思いますよ、キングさん」
「待てば甘露の日和あり。然し乍ら仮父よ。貴様は実際本当にあのお袋で承知の幕なのですか?」
 龍二が栗金団をつまみながら俺に伺う。
「側から見ていると女郎蜘蛛に絡め取られる哀れな蝶の様な… あいたっ」
 光子が割と本気で龍二の頭を叩きながら、
「ば、バッキャロー この人の気が変わったらテメー責任取らすぞコラ」
「お義母さま。と言うか、今後はどの様に金光さんと過ごされるのですか? 一緒に住まわれるとか?」
 純子さんが光子を少し見直したらしい、口調に尊敬の念が伺える。
「んーーー。真琴が春にここに戻って来て、取り敢えず三人で暮らして、そんで落ち着いてから考えっかなぁ」
「主人の出所はもう数年かかりそうですので。それまではここで三人で…」
「そっか。あれ… 真琴さんとご主人… 滝沢さんって、籍は入ってないんだよね?」
「ええ。彼の出所後、相談して。翔もその頃には分別ついた判断が出来るでしょうし」

 それにしても長年滝沢さん一筋で通してきた真琴は、間違いなく光子の娘だ。中々その様な生き様を通す事は凡人には出来まい。
「翔は… 実のお父さん、会ったことは?」
「ありません。でも、会ってみたいです。この母を愛した奇特な男性ですし」

 はにかみながら笑う翔の頭を撫でながら、
「ハハハ… まあ、もうちょっと先の話、だな」

 その頃には俺と光子はどうなっているのだろう。同棲、入籍… ずっと一緒に居たいこの気持ちがこの先どんな形になっていくのか。

 俺らだけではない。龍二と純子さん。今年中には籍を入れ式を挙げたい様な雰囲気を醸し出している。それが年内に実現するのが楽しみだ。

 由子と青木。これは… 由子の押しに青木がどこまで耐えられるか、によるだろう。案外早く陥落しそうとも思えるが、例の詐欺事件の残務処理も忙しそうだし。恋多き女だけにまたぞろ別の男になびいて行くかもしれないしーー

 翔と葵。これは葵の受験次第だろう。第一志望の都立高校に無事に合格できればきっと対等な付き合いが続くと思うが、そうでなければ翔の優しさが葵には重圧になってしまうのでは、と今から危惧している。

 何れにせよ。決して止まることの無いこの『時』だけは淡々と進んでいく。その中でもがき苦しみ歓び楽しみ、我々は生きて行く。

 今年もそんな一年が始まった。
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