第1章 第2話

文字数 1,167文字

 三日ぶりに帰宅するとお袋と一人娘の葵が玄関まで駆けつけて来て、
「TV観たわよアンタ! ビックリしたじゃないさ!」
「パパっ 超カッコ良かったし!」
 こんな迎えられかたは初めてだ、ちょっと緊張してしまう。

「お、おお。取り敢えず、ただいま。疲れたわー」
「ハイハイハイっ ビールねっ」
「洗濯物出しなさい、ちゃちゃって洗っておくからさ」

 かつて経験の無いもてなしを家族から受け、少し照れる。いつもは俺は最後に風呂を使わされるのだが今宵は珍しく一番風呂を堪能する。パパの浸かった後は流さなくちゃ入れない、中三の受験を控えたナイーヴな葵の言うがままに風呂を使ってきたが、今宵は特別らしい。まあ、有難くゆっくり入らせて貰おう。

 父親の入った風呂には入れない! 一時期は『俺が稼いできた金で養ってやってるんだ。生意気言うな!』と叱りつけていたのだが、ある知り合いにこう窘められた…

「それはね、近親相姦防止の為に思春期の女子に備わった特殊能力なんだよ」
「は… 何だって?」
「父親の匂いに拒否反応を示すホルモンが出るんだって。娘に激しく拒否されれば父親は娘に手を出さなくなるでしょ?」

 いやいやいや… 俺はコイツのオムツを替えた事あるんだぞ、確か。覚えてないけど。いくら年頃となったってオンナを感じる訳ないって…

「でもキンちゃん、葵のこと余り構ってなかったでしょ?」

 今の旅行代理店の前は銀行員だった俺は忙しさに感け、育児を殆ど手伝わなかった…

「年少期にかけた愛情と思春期の反抗は反比例すんだって。どーするキンちゃん」

 甘んじてその反抗を受けよう。その覚悟はできている。気がする。もう既にこの春頃から俺に嘘はつく、本当の事を言わない、言葉遣いが悪くなる、父を蔑ろにする、等々立派な反抗期の真っ只中である。

 そんな彼女が今夜ばかりは俺を父と認め、崇め奉ってくれている。

「もーさー、さっきからトモダチからの連絡引っ切りなしだし! 葵のパパ、ニュースに出てるよって! メチャ渋くてカッケーって! チョー気分いいんですけどっ」
「はー。里子ちゃんに見せてあげたかったわー」
「それは言わない約束よ、お婆ちゃん…」

 三年前に急逝した妻をネタに漫才するなし。疲れ切った俺は笑う元気もなく、冷えたビールをただただ喉に流し込む。

 久し振りのお袋の夕食を平らげた後、『居酒屋 しまだ』に行くべく家を出る。四ヶ月前に骨折した左足のリハビリを兼ねて、ゆっくりと歩いて行く。昨日までの厳しい山梨の夜の寒さとは無縁の東京下町のホッとする寒さの中、ポツポツ見える星を見上げながら両脚に均等に力がかかるように歩く。

 20分ほどで店に着く。この四月から通い始めた居酒屋。この四月から知り合った女店主。そして今や俺の無くてはならないパートナーとなった、島田光子の一献を受けるべく、暖簾を潜る。
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