第4章 第6話

文字数 1,807文字

 その日から俺は徹底的に関連法を勉強した。
 三ツ矢の言う事は実に最もな事なのだ。旅行会社の役員なのに旅行業法すら何も知らないとは。前職の銀行員だった頃には考えられなかった怠慢であった。

 そして法を理解するに従い如何にこの会社が甘々だったかを痛感する。最低一名必要な旅行業務取扱管理者が退職している事に誰も気付いていなかった事。旅行業社としての登録更新に誰も気をとめなかった事。

 通常こういった役所絡みの事を専門に処理する部署があるはずなのだが、当社にはそういった部署は無く役員がその場凌ぎで対応していた事。

 特に経営陣が本業からかけ離れた役所案件に無関心であった事。これでは社員の資格管理なぞ到底不可能である事。

 その辺りの問題点をまとめてレポートにし、二月の役員会で発表する。

「金光専務。どうして今頃なんですか? 貴方は銀行から送られてきた人材でしょ、この様な小さい会社に来たら真っ先にコレをするべきだったんじゃないですか!」
 三ツ矢が俺のレポートを机に叩きつける。

「ハッキリ言ってここに座っている者は経営の素人。大学のサークル活動の延長のノリで会社経営している事は貴方もすぐに気付いたはずでしょ?」
 社長、各部長が深く俯く。

「それを今更―― もう遅いですよ。今度当社を吸収合併する会社はこの位の事は当然やっている、ちゃんとした会社組織ですから」

 ゆっくりと三ツ矢は俺の前に歩いてくる。
「この会社を潰したのは、貴方ですから!」

 鳥羽がガタンと立ち上がる
「それは違う! 金光さんがいたから、ウチは去年から最高の仕事をしてきているっ!」
「その通り! 今まで知る人ぞ知る程度の会社が、日本中に大勢のお客様を抱える会社になれたのは金光専務の力だっ!」
「去年の春からの専務のお陰で… それをそんな言い方ないだろ!」

 三ツ矢が役者掛かった仕草で皆に振り返る
「大した御人気で。それは重々承知しておりますよ。しかしです。どうするのですか? 今後の当社は? 社長。どうされますか?」
「……」
「田所常務。四月からのこの会社は立ち行けるのですか?」
「……」
「迫田部長。このままではキミも僕も失業しちゃうよーー」
「……」
「どなたか。四月以降もこの『鳥の羽』が営業できる可能性を持った妙案をお持ちの方はいないのですか?」

 一同が深く溜息をつく。社長の鳥羽が再度席をゆっくりと立つ。
「皆さん。先月三ツ矢部長が言っていた、他社との合併についてですが… 先日、さる同業他社より具体的な案を受けました…」

 その案によると、三月三十一日をもって『鳥の羽』は消滅。社員と田所常務は四月一日より神田にある旅行代理店『神田トラベル』に転籍。鳥羽社長と俺は三月三十一日付けで退職。

 回された資料によると、『神田トラベル』は創業四十五年の老舗で従業員八十名程。添乗員付きツアーを長らく提供してきたが、近年ネット販売に力を入れつつあるのでウチのスタッフはそのネット販売要員として受け入れられるという。

 待遇は当社よりも少し下がるが福利厚生が非常に充実しているので社員の不満は大きくはなさそうである。

 過去五年の企業会計をみてもなんら問題の無い優良企業であることが分かる。

 この話は翌週末までには全社員の知るところとなり、ちょっとしたパニックになっている。社員達には会社清算の理由を伝えておらず、あくまで経営陣の判断という事になっている。

 特に企画部連中のショックは大きく、連日誰かしらが俺の所にやって来てはあれこれ意見を吐き出していく。

「待遇は少し良くなるかもしれないけど… でも一体なんでこんな事になったんですか?」
 本当の事を言ってしまいたいのだが。心を鬼にして彼らにこう言う。
「お前、旅行業務取扱管理者試験、受けたか?」
「えーっとー、まあそのうちー」
「ダメだ。九月の試験に備えて、今から勉強始めろ!」
「は、はあ…」

 特に中堅社員以上は他業種からの転職が多く、この資格についてちゃんとした認識を持つものが少ない事に気付く。
「城島、お前みんな集めて勉強会開け」
「えええー、なんで今更… もおええですわ勉強なんて…」

 心を鬼にして怒鳴りつける。
「ダメだ! 馬鹿野郎! 村上や田所達のケツ引っ叩いて勉強しろ。させろ。いいなっ?」

 城島は初めて聞く俺の怒声に慄きながら、
「は、はいー、わ、わっかりましたあー」

 お前の為なんだぞ、心で呟きながら廊下の自販機に向かう。
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