第1章 第12話

文字数 1,532文字

 会社を終え、まっすぐに帰宅する。お袋の夕飯を何も言わず掻き込む。連日家で食べるなぞ数ヶ月ぶりの出来事なので、

「で。みっちゃんと何があったんだい?」
 元々鋭いお袋が見抜かぬ訳ないか。
「まあ、ちょっと、色々な」
 お袋は目を細くしながら、
「ふぅん。ま、今回はアンタの火遊びが原因じゃないようだね、それだけに」
「それだけに?」
「かなりの重症かもね」
 まあ、そうかな。
「みっちゃんが」
「おいっ!」

 お袋は吹き出しながら、
「まあ、じっくりと考えることだよ、焦って結果を出そうとするんじゃないよ、あんたは昔からせっかちでさ、高校生の頃にバイト決めてきた時のさーー」

 俺も数日ぶりにちょっと吹き出す。
『居酒屋 しまだ』に足が遠のいてから、久しぶりに笑った気がした。

 心身共に疲れ切った俺はすぐにベッドに入るのだが、結局朝方までまんじりとしない時を過ごす。光子との事。三ツ矢との事。そしてその周囲の人々の事。

 俺はかつて家族や友人、恋人そして政敵との事でこんなに悩んだ経験が無い。基本的に俺の対人関係は『来るもの拒まず去るもの追わず』、プラス『受けた恩は倍返し、受けた屈辱は三倍返し』である。近年流行りの『倍返しだっ!』なんて甘い。あれは小説やドラマだけの世界である。三倍返し以上に叩き潰さないと、敵はゾンビのように復活し又攻撃を仕掛けてくる、故に叩く時には骨にして土に還す位の勢いが必然なのだ。

 あの頃の俺ならば、さてどうやって三ツ矢を地獄に叩き落としてやろうか、とニヤニヤしながら眠れない夜を過ごしただろう。だが今は。

 光子との事が、棘どころか呪いの五寸釘の如く俺の胸に深く突き刺さり、活力が全く湧いてこないのだ。俺の胸中に泥のように渦巻く思いー どうしてこうなってしまったのだろう、どうしてあの夜俺は相模千秋氏と会ってしまったのだろう。どうして俺は光子の過去にこれほど執着してしまうのだろう、等々。

 どうして光子は肝心なこと、大事なことを俺に黙っているのだろう。どうして相模氏と会っていることを隠していたのだろう。どうして光子は自身の過去を俺に話そうとしないのだろう。考えれば考えるほど胸が苦しくなってくる。

 その一方で、『居酒屋 しまだ』の皆はどうしているのだ、健太はさぞや激怒しているだろうな、しろぶ… 忍はキレまくって毎晩包丁を研いでいるのでは? 翔は呆れ果てて俺の事を軽蔑しているだろうな、葵は… お袋は…

 目覚まし時計が味気なく寝室に鳴り響く。カーテンの外はすっかり明るくなっている、俺は重い身体をゆっくりと起き上がらせ、重い心を引き摺りながら洗面所へ向かう。

 師走の為だろうか、遅い朝なのに電車が混んでいる。ぶつかり合う他人の肩にうんざりしながら、明日こそは脚のリハビリに行かねば、と薄ぼんやりと思う。
 出社すると企画部の皆が集まり輪になっている。皆重い表情でヒソヒソと話し合っている、苦情の処理が破綻をきたしたのか、と推察し近づくと課長の上村が、

「お、おはようございます専務…… あの、これが…」

 ノートパソコンを俺に向ける。昨日の一般向けのネットニュースとは違う、もっとディープな一部のマニア向けのネットニュース、所謂、○ちゃんねる、というヤツだ。

「山本が今朝見つけたもので… まあ普通の人達は見ないサイトだとは思うのですが…」

 俺自身、存在は知っていはいるが見るのは初めてだ。だが若者を中心に一定のトレンドに影響力を持つことも知っている。

 無言でそこに投稿された記事を読む。読み進めるに従い胃に鉄棒を捩じ込まれる気分になってくる。記事を読み終え読者達のコメントに目を通していく。やがて心がバキッという音を立てて折れるのを感じ、目の前が真っ暗になっていった。
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