第4章 第7話

文字数 2,047文字

 今更ながら、部下達に勉強させる、一方で受験間近の我が娘――

「パパお願い息しないで勉強の邪魔」

 帰宅してリビングで勉強している葵を眺めた瞬間排斥されてしまう。何も言わず俺は家を出て『しまだ』に向かう。今は葵の正念場。父は黙ってそっと見守ろう。吐く息が白いこの『しまだ』への道すがら。去夏骨折した左脚は順調に回復しており、通常の歩行にはほぼ支障はない。数日後の試験明け、早く娘を隣に歩みたいものだ。

 それにしても、葵の豹変振り。あれ程勉強を嫌っていたのがこの有様だ。地元の二流都立にでも入れれば御の字と思っていたのが、まさかの名門日々矢高校狙いとは。もし本当に合格したのなら、俺はどれほど舞い上がってしまうだろう。同時に、天国の里子にどれ程自慢してしまうだろう。生前は全く子育てに関与しなかった俺が、あの名門都立に葵を導いたのだぞ!

(え? 誰が導いたの? 貴方ではなくて、翔くんのお陰じゃなくて?)
 あはは…… いや全くもってその通りなのだ、面目ない……
(貴方、一つだけお願いがあります、どうか…)
 俺は唾をゴクリと飲み込む。
(連れてって 合格発表 会場に)

 俺は危うく転けそうになる。だから、季語がないっつうの!

 そんな白昼夢に酔いしれながら、『居酒屋 しまだ』のドアをガラガラあk―

「ハッピーバースデー!!!」

「おめでとうございます! 52歳ですか…」

「キンちゃん良かったねえ、みんなに祝って貰えてっ」

「ったく、いつからこんな人気者なの軍司さんよお」

 呆然… 何が… 一体…?

「やっとアタシに追いついたね。ふふふ。どーよ、52の気持ちはよ?」

 唖然… どうして…?

「ったくー。パパ歩くの遅いっ 危うく追いついちゃうとこだったじゃん!」
「あ、葵…… お前… 勉強――」
「うっさい! 今夜くらいいいじゃん!」
「で、でもさっき…」
「へへ。ここに誘導させるた…… うわ…ちょ、ちょっと… パパーー」
「コイツ最近涙もろいかんなあ。おい青汁! 試験落っこちてオヤジ泣かすなよコラ!」
「青汁じゃねーし。ぜってえ合格するし。あ、お祖母様、合格祝い楽しみにしていますわ〜」
「よしよし。0.01mmってヤツを一年ぶ… アイタっ 忍――テメーー」
「姐さん、生々し過ぎっす」
「よーーーし! 葵ちゃんの合格祝いはこのおっちゃんがパーッと旅行に連れて行ってあげ…」
「犯罪です、健太さん。やめましょう」
「ハイ… なんか翔の目が一瞬クイーンの目に見えたぞ… こわ」

 ようやく涙が収まり、カウンターに座る部下二人に話しかける。
「お前ら… なんで? ここに?」
「へへへ。来なかったら埋めるって言ったからなあ小僧!」
「ヒーーーー」
「島田の姐御、嘘はやめましょう… 彼のPTSD振りは私からみても相当…」
「オメーがもっとビシバシ鍛えてやれよ。雪山にでも引き摺ってってよ」
「成る程。それは名案と思われますが何か?」
「ひーーーーーーー」

「それより。これ、私達から専務への誕生日プレゼントです。どうぞ」

 亡き里子と葵以外から誕生プレゼントを貰うとは…
「なんか…… 有難う。開けていいかな?」
「どうぞどうぞっ」

 丁寧にラッピングされた袋からメッセージカードが顔を出す。そこには全企画部員のメッセージが書かれている。殆どが『勉強頑張ってます』的なものだ。なんだコイツら…
 そして肝心のプレゼントは…

「は? 国内旅行業務取扱管理者試験問題集 過去五年の傾向と対策〜 なんじゃこれ…」

 俺が目を点にしていると横から光子が、
「そりゃアンタが最近勉強サボってっからコイツらからの愛のムチってヤツだろ」

 庄司がニヤリと笑いながら、ってこの子本当に光子と合うんだよなあ……
「流石姐御。最近金光専務が我々にしつこく勉強を迫るものなので」
「言っときますけど、これ城島さんのアイデアですからね! 僕や智花じゃないですからね!」
「ハハハ… そうだな。お前らにやらせっぱなしっつうのもな。よし。いっちょやるか。お前ら、勝負だっ 落ちた方が受かった方に鰻奢り、いいなっ ハハハ!」

 久しぶりに心の底から笑ってしまう。久しぶりに本気を出すか、こんな若造どもに負ける気は一切ない。

「山本先輩。頑張ってください。冥福をお祈りいたします」
「おう、天国から見守ってやるからーって、こら!」

 会社では一切見せない仲睦まじい姿に心がポカポカしてくる。
「ハハハっ 庄司、お前とも勝負だからな。国立大卒を舐めるなよ、お前より上の成績で合格してやるから覚悟しておけ!」

 山本くんがキョトンとした顔で、
「そら無理ですよキンさん。絶対智花には勝てませんって。てか、勝負になりませんって」
「は? 何でだよ?」

 俺が首を傾げると山本くんも首を傾げる。
「あれ… 智花――、専務ガチで知らないみたいだぞ…」

 庄司がバツの悪い顔で、
「そう言えば、報告しなかったかも、です」
「??? 分からん。何故俺が庄司と勝負できないんだよ?」

「だって。コイツ、去年の秋に『総合旅行業務取扱管理者』を取ってますから」
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