茨の少女を愛せるか

エピソード文字数 4,245文字

 刺々(とげとげ)しい――
 というのが初めて彼女を見たときの感想だった。私の行く手を(はば)み、ただひっそりと森の中に少女は佇んでいた。

 彼女は、守るためにそこにいる。
 それが彼女の存在意義であり、すべてだった。

 鬱蒼(うっそう)とした枝から月明かりが落ちる。照らされた彼女の肌は硬質(こうしつ)で、触れることすら許されない、冷ややかな神々しさを伴っていた。

 それでも私は通らねばならない。
 少女を押しのけ、森の奥へと行かねばならない。


  + + +


鈴乃宮(すずのみや)近代科学研究所〟――

 陳腐(ちんぷ)な名前であると思う。
 欧米列国に追いつけ追い越せと日本の先鋭なる頭脳たちが集められ、なにやら神秘的な実験を繰り返していると聞いていたが――事前に確認した資料ではおよそ正気とは思えない研究ばかりに、巨額の国家予算がつぎ込まれていた。


『科学』と名がつけば、どのような横暴もまかり通るというのだろうか。


 まるでそれは、科学という存在への信仰だ。近代化という名の呪いだ――ネズミの頭脳をいじり、間諜(スパイ)に仕立てあげようなどという、奇想天外な発想すら彼らにとっては正常で、有用で、真面目な達成目標なのである。

 さらに馬鹿げたことに、その〝研究成果〟を盗み出すこと――あるいはそれが叶わなくとも、研究を破壊することこそが、私に課せられた任務なのだ。

 むなしさが込みあげてくるが仕方ない。

 私のような末端には任務を拒否する権限も、進言(しんげん)の許可も与えられることはないのだから。


 ああ――そして。

 その研究所を守るために彼女は(つく)られたのだ。木々のあいだで身をこわばらせ、険しい表情で私と向かい合っている。

 背丈は私と同じくらいだが、研究所のその建物が建設されたのが十四年前であるから、どんなに長くても、彼女もまだ造られてそのくらいの年月しか過ぎていないのであろう。

 それからずっと――
 人を拒絶して生きてきたのだろう。


 夜の(あお)い風に、彼女はかすかに揺れる。

 幹と幹のあいだは、両手を広げた私が二人立ったくらいの間隔だ。
 向こうにも、その向こうにも――彼女はずっと伸びて(、、、)いる。何本も、何本も。私の顔の高さくらいでそれは円の連なった形状をしていて、厳しい拒絶を示しているのだが、それがなんだかとても悲しく思えた。

 通してくれないだろうか。私がつぶやくと、彼女は体をゆすり、するどい(とげ)誇示(こじ)してみせる。

 ――ああ、やはり意思があるのだ。
 生きているのだ。
 連中の研究は、既におぞましい成果を生み出していたのだ。


 彼女は有刺(ゆうし)鉄線であり――――
 有〝生〟鉄線であるのだ。


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 少女は曲線で構成されていた。
 棘のある鉄線は、木の幹にくくりつけられる前は、ぐるぐる巻きにされてあったのだろう。

 とても長い鉄線を、木の足下から足下へと渡してある。木の幹を一周してそれは、隣の木へと伸ばされる――というのを、人の背の高さまで積み重ねて、侵入者を阻む壁を形成しているのだ。

 これらすべてが一体となって〝彼女〟なのだ――生きた有刺鉄線なのだ。

 性別は、仕草から判断された。
 私の伸ばした手を避けるその動きが少女のそれだった。身を――鉄線をわずかにくねらせて、私を避ける。

 それでも彼女は警戒線を突破されないよう、幾本(いくほん)もの棘のついた鉄線を密集させ、侵入者を阻もうとする。そんな少女のいじらしさは、私に強行突破をためらわせた。

 つまり目の前の彼女は、有刺鉄線であって、有生鉄線である上に、有()鉄線だとも言えるのだ。

 上部を乗り越えての侵入は難しそうであったので、腰の高さの鉄線を掻きわけられないかと考えたが、鉄製の少女は慌てたように内側へとキュッと身をへこませ、大げさとも言える動きで反応した。

 はっと気づいた。
 少女の腰に、無遠慮に手を突っ込もうとした自分の愚かさを恥じた。すまない、と声をかけると、彼女はおずおずと元の位置までその身を戻す。ゆっくりとした動きだった。

 ――気が狂ってしまいそうだ。

 ――いや、すでに、
 この異常を受け入れつつある私は、とっくに狂わされているのかもしれない。この夜の森と、銀色にかがやく少女の魔力によって。


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 しばらく彼女に沿って歩いてみたが、どこまでいっても途切れることはなかった。木々がまばらになり、これ以上進むと夜間警備に発見されるという地点まで到達しても、この生きた有刺鉄線は私を阻んでいた。

 屈強な警備員を押しのけるほどの武装を私は備えていない。潜入道具の他には、自身の口封じ――つまり自殺するための毒薬しか持たされていなかった。

 仕方なく森の奥まで戻る。

 引き返したい思いで一杯だった。
 彼女に背を向け、任務を放棄し、一人の部屋に帰ってしまいたかった。

 しかし、私などはまだマシ(、、)なほうなのかもしれない。彼女はその場を離れることすら許されていないのだから。与えられた使命をまっとうすべく、冷たい森の中で立ち尽くすことを繰り返すばかりなのだから。

 しかも彼女はその特性上、誰かに()られるということはない。仮に整備の人間がいたとして、きっと分厚い手袋ごしに、()れ物に触るようにして彼女を扱うに違いない。

 ――なんてことだ。
 ――同情しているとでも言うのだろうか、私は。
 ――狂っている。

 私はいつしか、あわれな彼女を切断するという選択肢を頭の隅に追いやっていた。その身を、その命を絶つことに抵抗を感じていた――いや、抵抗などとは生ぬるい。拒絶。まさしく拒絶だ。断じてあってはならないことだと感じていた。

 もはや彼女に愛おしさすら抱きつつあった。
 棘を尖らせ威嚇し、誰にも触れさせることなく、錆びて朽ちるまでそこに佇みつづける彼女に、その悲哀に、私は強い憐憫(れんびん)を催していた。



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 ふいに、彼女の髪を撫でたい衝動にかられた。
 カールのかかった、棘のある髪だ。

 彼女が拒否するのも無視して、私は潜入用にはめていた手袋を取って捨て、じかに触れた。

 ばちん!
 激しい火花が弾け、全身を強い痛みがおそった。

 よろめき膝をつく。震える右手を開いてみると、肉が焦げていた。頭も朦朧(もうろう)とする。悲鳴を上げなかったのは訓練の成果であろう。

 しかし――なんてことだ。
 奴らは、連中は、狂った科学者どもは、彼女の細い体に、強力な電流まで流していたのだ。

 うずくまる私を心配するように、鉄線の一部がこちらへとせり出してくるが――頬に触れる寸前でぴたりと動きを止め、考えなおして身を引いた。

 震えている。

 彼女は――、
 彼女は、人を傷つけることを恐れているのだと私は知った。そのように造られたことを、嘆き悲しんでいるように思えた。

 そういう生き方しか許されない宿命を、彼女その儚い体に背負っている。朽ち果てるまで人を阻み、傷つけ、拒絶するしかない宿命だ。冬には冷たくなり、じりじり焼ける太陽の下ではその身を焦がし、ただそこにあるだけの運命だ。


 ああ、なんて――どうして――――私は。



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 私は研究所への侵入を果たした。
 研究成果を盗み、森を引き返す。誰にも気づかれることはなかった。任務は達成された。

 それでも虚しさは()まなかった。

 息を切らせて森を駆け、彼女がいた場所まで戻ってきた。そこには、侵入したときと変わらず、ぐったりとなった彼女の屍骸(しがい)があった。

 あのとき私は――

   ※

 私は、電流を(いと)わず彼女の髪に触れた。
 顔を撫でた。
 肩を抱いた。

 はじめ彼女は拒絶を示したが、やがて観念したように私に身を預けた。私は、少女を傷つけてしまわないよう、なるべく優しく扱った。電流で焼き殺されても、おびただしい棘によって肉をずたずたに切り裂かれても構わないと思っていた。

 長く、一方的な抱擁(ほうよう)が続いたあと、異変が起こった。

 まず電流が止まる。誰かに私の存在が知られたのかと考えたが、それは間違いのようだった。しばらくしても警備員の姿は現れなかった。

 電流は彼女が()めたのだ。

 拒絶した。
 彼女は、そのみずからの意思で、人を傷つけることを拒絶したのだ。その証拠に少女の鉄線は、ついには――いくつもあった棘を引っこめてしまった。

 それが、彼女の肉体にどれだけの負荷があったのかは知らない。だが無茶なことだろうとは分かった。

 やめてくれ、君が君ではなくなってしまう。無理をするんじゃない。私は大丈夫だ。絞りだすように私は叫んだが、彼女は、とうとう棘のない鉄線へとその身を変えてしまい、私のことを柔らかに抱きしめ、そして――しばらくして息絶えた。

 月明かりはどこまでも静かだった。

   ※

 彼女はもう動かない。
 力が抜けて、幾本もの棘のない鉄線が、落ち葉の上に横たわっている。彼女は私に触れるためだけに与えられた使命に抵抗し、命を失ってしまった。

 彼女は彼女でなくなってしまった。
 私がそうさせた――。

 私たちは、(せい)をまっとうし、正しく死なねばならない。命あるとはそういうことだ。たとえ与えられた役割が、どうしようもなく冷たいものであっても。

 彼女は寂しくなかっただろうか。
 私は寂しいのだろうか。

 死のある鉄線にもう棘はなく、言葉もなかった。


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