OGC ~舞台に咲くは天下無敵の桃の花~

文字数 11,772文字

 これは彼らではない、誰かの物語。

 ********************

 ガラガラと特大のキャリーケースを転がしながら、彼女たちは未舗装の街道をひたすら進んでいた。先週から六十里ほどの距離を歩いている。目的地までは、残すところ二里といったところだ。

 サルエルパンツを履いた少女が、ねだるように言った。

「ねぇ桃っち……、アタシお腹減った。マカロンマカロン~」
「サリー、我慢して。もうマカロンはないのよ。今朝、貴女が食べたのが最後」

 桃と呼ばれた少女は優しくなだめる。
 長い黒髪に麦わら帽子。夏だというのに――いや、夏だからこそ彼女は日差しを気にして、手足の出ない格好をしている。それでも暑苦しさを感じさせないのは、ひとえに彼女の着こなしの妙があってこそだろう。そして、腰にはピンクのポーチ。

 桃はポーチを開いてサリーに見せる。ポケットティッシュ以外、そこには何も入っていなかった。

「うっきぃ……」

 サリーは肩を落とした。

 桃は『きびだんご風味のマカロンはもうない』という残酷な事実を彼女に突きつけたのだ。

 絶妙な甘みと、宝石のようなフォルムにカラーリング。いま最も女心をくすぐるお菓子――それがマカロンだ。

 本来は大陸渡来のお菓子だが、桃が持っていたマカロンは、彼女の祖母が日本人の舌にも合うよう和菓子テイストを加えたものだ。絶品と言っていいそのマカロンを旅のお供に、彼女たちはここまで歩いてきたのだ。

「OGCから帰ったらまた作ってもらうから。それに貴女(あなた)……そもそもダイエット中でしょ? 水を飲みなさい、水を」
「そうだけどぉ……」

 ただでさえ小柄なサリーは、落胆と空腹のあまりさらに小さくなる。茶色に染めたショートカットが下を向く。
 その姿を見て桃は、やれやれと軽く嘆息する。大丈夫なのだろうか、今夜は本番だというのに――と胸の中でこぼした。

 OGC――正式名称を鬼ヶ島ガールズコレクションという。
 大和国(やまとのくに)最大級のファッションフェスタだ。

 今年はモデルとして出演するだけでなく、ステージ上での、とあるイベントまで任されている。いくら冷静沈着な桃といえど緊張せずにはいられないのだ。

 すると今度は、二人の後ろから派手なメイクをした少女がぼやき出す。

「ああ~飛びてぇ。なんでウチまで歩かなきゃいけないのさ。暑っついし」
「キジー、貴女が飛んだら誰がそのキャリーケースを運ぶのよ」

 桃はキジーが引きずる緑色のキャリーケースを見やり、彼女のことをたしなめる。
 キジーは「分かってるけどさ」と言いながらも、溜まった鬱憤を晴らすかのように、背中に折りたたんでいた翼を広げて伸びる。桃は慌てて、

「ちょっと、日焼けするわよ!」
「羽毛で覆われてっから大丈夫だって」
「翼のことじゃなくって背中! ほら、Tシャツ破けちゃってるじゃない。肌がむき出し。変なふうに焼けちゃうから。……もう」

 ぶつぶつこぼしながら桃は、自分のキャリーケースを開く。中には、旅行用の着替えや小物がきちんと整理整頓されていた。几帳面な彼女の性格を表しているようだった。

 迷うことなくその中から日焼け止めを取り出して、キジーの背中に塗ってやる。彼女の赤いポニーテールが、まるで鳥の尻尾のように揺れる。何だか嬉しそうだ。
 
「お、これ清涼剤入りのやつ? ヒンヤリしていいじゃん。どこの薬屋で買ったん?」

 キジーは明るい声で訊ねてきた。

「さあ……おじいさんが芝刈りに行ったついでに買ってきてくれたから。今度聞いとくわね」
「さんきゅ。ウチ、暑いの苦手な人だからさ」

 まあ(キジ)だけどね――とキジーは、ケンケンと笑って付け足した。

「キャンキャン!」

 日焼け止めを仕舞おうとする桃に、トイプードルがすり寄ってくる。何かを訴えるように鳴く。

「ん? どうしたのCanCam(キャンキャン)? ああゴメンゴメン。お昼まだだっけ。ちょっと待っててね」

 桃はキャリーケースを再度まさぐって、固形状になった犬用のエサを取り出して与えた。CanCam(キャンキャン)はしっぽを振ってがっつく。
 それを見たサリーが、キャリーケースをほっぽり出して駆け寄ってくる。

「ちょっと桃っち! マカロンあるじゃん。食べさせてよぉ」

 サリーはCanCam(キャンキャン)からマカロンを奪おうとする。それを制して桃は、

「サリー、これは人が食べるものじゃないのよ、犬用のマカロンなの。もう鬼ヶ島に着くんだから……そうよ、控室にならきっとケータリングがあるはずよ。貴女の好きなバナナ饅頭だってあるかも……」
「ほんと! じゃあ行こう、すぐ行こう」

 サリーはぴょんぴょんと跳ねた。喜びのあまり、二度、バク宙した。

「はいはい……もう、現金な人なんだから」

 私は猿だけどね、と言って、サリーはキッキッキと笑った。

 こうして一行は、港に着くと渡し船に乗り、OGCの会場である離島へと無事に渡ったのだった。

 ■ ■ ■

「あら、桃さん? 今年も貧相な体でステージに立つのね? ふふふ、私なら恥ずかしくてとても耐えられませんわ」

 桃たちが控室で準備をしていると、大賀(オーガ)が桃に突っかかってきた。桃が鏡越しに目をやると、虎柄のチューブトップに身を包んだ大賀は、仁王立ちで腕を組んでいた。

 他のモデルも大勢いる広い控室だ。それぞれ鏡に向かってメイクや髪を整えていた。初めは何事かと注目を集めたが、桃と大賀の姿を捉えると皆、「ああ、あの二人か」と、すぐに視線を戻した。

 桃は大賀のこんな暴言には慣れっこだった。椅子に座ったまま、体だけ捻って彼女を見上げる。

「大賀さんこそ。また縦に伸びました? どんどん巨大になってますね……鬼みたいですよ」

 大賀は桃の言葉に、ピクリと片眉を吊り上げる。六尺以上はあろうかという長身に、パーマの掛かったボブカット。そして、モデルにしては主張のありすぎるバストが桃のほうを向いている。彼女が胸の辺りで腕を組むと、バストを更に強調するとともに、威厳というか威圧感が倍増する。

 大賀はトップモデルであり、また自身のブランド――『オーガニック・クローズ』を背負うデザイナーでもある。才女ではあるのだが、性格は鬼のように厳しい。目や鼻も攻撃的で、派手な造形をしている。柔らかな顔つきの桃とは対照的だ。

 ……しかし、彼女のブランドは名前のとおり肌に優しいオーガニックにこだわっているというのだから、桃は何だか可笑しくなる。

 可笑しくはなるが、笑顔で接することはない。
 とにかく大賀は、別ブランドのモデルである桃に何かと食って掛かるのだ。

「鬼ですって? ふん。貴女は桃みたいな下膨れ顔じゃありませんか。お名前の通りね」
「まあ、桃から生まれてますから。それでも、鬼瓦のような顔よりはマシですけど」

 普段は気の優しい桃ではあるが、なぜか大賀にだけは手厳しくなってしまう。
 なんでこんなに落ち着かない気持ちになるのだろう――
 掴みどころのない感情であった。苦手ではあるが、嫌いかと言われると違う気がする。天敵というのとも、また違う。しかも奇妙なことに、初対面の頃から既にこうした関係が出来上がってしまっていたのだ。

 大賀は鼻を鳴らして言う。

「ふん。貴女のようなちんちくりん、大人しく田舎で洗濯でもしてればいいのよ。……今日のステージアクト、せめて私の邪魔にならないように立ち回ってくださるかしら」

 文字どおり、高い目線から嫌味を投げかけてくる。
 しかし桃も負けじとやり返す。

「ええ、そうですね。ちゃんと手加減してあげますから、安心してください」
「――――! 言いますわね……」

 大賀はその吊り上がった目でしばらく桃を睨んでいたが、マネージャーに呼ばれ、「見てなさいよ」と捨て台詞を残して控室から去っていった。

「ケッケッケ、桃、また絡まれたわね」

 隣に座っていたキジーが楽しげに笑ってくる。

「……もう、勘弁して欲しいわね。他に取り合ってくれる人いないのかしら」
「桃のこと好きなんじゃない? 好きな子ほどイジめちゃうってやつ」
「やめて欲しいわね。…………二重の意味で」

 桃は肩を竦めて言う。

「きっきっき、キジー、桃っちも満更でもないかもよ?」

 キジーの反対側、桃の右隣に座っていたサリーも話に加わってきた。

「どーゆーこと?」とキジー。
「だってほら、あたしらにはあんな顔見せないもん、桃っちは。案外、気が合ってたりして」
「あー、なるほど」

 二人は目を見合わせて意地悪く笑う。間に挟まれて桃は、眉根を寄せ、

「もう! いいから、準備するわよ。ほら、CanCam(キャンキャン)を見習いなさいよ。大人しく毛づくろいしてるわよ? 舞台に向けて。――偉いわね、CanCam(キャンキャン)
「キャンキャン!」

 桃は足元で寝そべるペットのことを優しく撫でてやる。

 ■ ■ ■

「ほーら、桃ちゃん、みんな。何やってるの!」

 パンパンと手を打つ音がした。桃たちは声のしたほうを振り返る。桃は「岡山さん」と彼の名を呼ぶ。
 この男性にしては甲高い声の主は、桃たちが所属するブランド――『PeachBOY(ピーチボーイ)』のデザイナーである岡山だ(BOYとは言っているが、無論レディースブランドである。そして岡山の性別は中立である)。

 桃たちは立ち上がると軽く会釈をする。

「もう本番よ。まだ準備できてないの?」

 不満顔を見せる小柄な男に、サリーが弁解する。

「さっき大賀っちが桃っちに絡んで来たんですよぉ。だから遅くなっちゃって」
「言い訳は結構。貴女たち、緊張感が足りないんじゃないの? そろそろ契約更新の時期でしょ。今日が失敗したらモデル交替もあり得るわよ。下のコたちも、粒ぞろいなんですからね」

 岡山の言葉に、サリーとキジーは「マジすか」と頬を引きつらせる。しかし桃は、「大丈夫です。必ず成功させます」と、きっぱり宣言する。

PeachBOY(ピーチ ボーイ)の魅力を最大限に引き出して見せます。彼女――大賀さんのところにだって負けません」
「あの小娘……いいえ、大娘ね。まったく、何が『いまイチバン注目のブランド』よ。あんなの、ただその辺の布を引っ張ってきただけの安物じゃない。アレにだけは本当、負けちゃ駄目よ」
「はい」

 岡山は、桃の返事に頷くと男性ホルモンの象徴のようなアゴヒゲに手をやる。

「返事はいいけど、結果は舞台で見せて頂戴ね。頼んだわよ」

 そう言って控室を後にした。それを見送ってサリーは不安気に言う。

「うっきぃ……、モデル交替って本当かな」
「大丈夫よ。岡山さんの言うとおり、舞台で私たちの価値を見せればいいのよ」
「お、桃、戦闘モードじゃん」とキジーが囃し立てる。
「当たり前よ。さあ、ここからが本当の戦いよ」

 桃は、自身の目に闘志が燃え盛るのを感じた。

 桃の敵は大賀だけではない。
 これは単なるお祭りではなく、モデルにとっては戦場でもあるのだ。彼女たちの多くはブランドとの契約によりこの業界で生計を立てている。

 ちなみに、大賀のように自身のブランドを持っているモデルはごく少数だ。しかもOGCに参加できるほどの成功者ともなると、片手で数えて余りある。

 ともかく、OGCにおいてモデルたちは、いかにブランドの服が映えるように着こなすか、そしていかに服の魅力を観客に伝えるかに腐心する。つまりは、モデルとしての資質が問われる、半年に一度の大舞台なのだ。

 観客もそれを承知の上で厳しい批評の目を彼女たちに向けている。いまOGCの会場は、数百人の熱気と興奮により、地獄の釜よりも熱く煮えたぎっていた。

 ■ ■ ■

 たくさんの灯籠が照らすステージでOGCは開幕した。雅楽隊による演奏や、巫女たちによる演舞が行われ、次にモデルたちによるウォーキング。
 PeachBOY(ピーチ ボーイ)の面々は、まずサリーとキジーが舞台に上がり、次に桃とCanCam(キャンキャン)が華麗なウォーキングを見せた。

「桃っち! さすがだね」

 桃が会場を沸かせ舞台袖に引っ込むと、サリーがそう言って抱きついてきた。

「ちょっと、サリー、大げさよ」
「そんなことないって。会場も今日イチの盛り上がりだったよ」
「ありがとう。……でもまだ大仕事が残ってるから」

 一瞬笑みを浮かべた桃だったが、気を引き締め直し、口をきゅっと固く結んだ。
 今、舞台上では大賀が十人近くのモデルを引き連れて会場へアピールしているところだ。そしてこれが終われば、桃と大賀によるスペシャルイベントが待っている。

 剣舞――
 お互い真剣を持って、勇ましく舞うのだ。本日最大のイベントである。これを一番の楽しみにしている観客も多いと岡山は言っていた。失敗は許されない。桃は思わず手に汗を握る。

「桃、あんたならきっとバッチリやれるって。ほら、あたしらもここから見とくからさ」
「ええ。キジー、そう言って貰えると勇気になるわ」
「キャンキャン!」

 桃は仲間たちの応援をありがたく思った。

 ■ ■ ■

 舞台からほら貝の調べが聞こえた。
 桃は腰にした太刀の柄に手を当て、その感触を確かめる。一度目をつぶって、深呼吸をする。音楽の変わり目を合図に目を見開き、駆け出した。

 衣装はレースが施された桃花色(ももはないろ)のドレス。そしてハイヒールである。決して剣舞に向いた格好ではない。しかし、だからこそ(、、、、、)桃にとっては好都合なのだ。このミスマッチが舞台上で何より映えると、そう確信している。

 一方の大賀は、既に舞台上で抜身の長太刀を構えている。桃とは対照的に、体にピッタリと密着した――やはり虎柄のボディスーツだった。灯籠の明かりに照らされ、彼女の目が怪しく光る。桃にはそれが、鋭い刀身と重なって見えた。とてつもない切れ味を湛えた眼光だと思った。

(始めよう――)

 桃は舞台の中央へと進む。スローテンポな笛の音に合わせ、鞘から白刃を引き抜く。
 ――そしてそれが合図になった。
 途端、大賀の太刀が横薙ぎに払われる。桃はそれを避けない。刀で受け、いなす。返す刀で逆袈裟に切り上げると、大賀も受け太刀をし、舞台に火花が散る。

 テンポアップした音楽も相まって、会場のボルテージは右肩上がりになる。刀と刀が交差する度、赤い火花が飛び散り、客席からは悲鳴にも似た歓声が上がる。そして桃と大賀の名を呼ぶ黄色い声が飛び交った。

 ■ ■ ■

 異変があったのは、鍔迫り合いをしていたときだ。大賀は薄い唇を歪ませて言った。

「……貴女の太刀筋には殺気が足りませんわね。『美』にはほど遠い」
「? どういう――」

 次の瞬間、明らかに剣舞の域を超える怪力で、桃は弾き飛ばされる。

「っな――――!」

 よろめく桃。危うく刀を落としかけた。見ると、ドレスの胸の辺りが五寸ほど裂かれている。斬り裂いたのはもちろん大賀の太刀だ。客席から小さく悲鳴が響いた。

貴女(あなた)――!」

 これはあくまで剣舞であり、またファッションイベントである以上、相手の衣服を斬りつけるのはご法度だ。しかし――

 大賀さんは本気で斬りに来ている――?

 桃の背中に、冷たい汗が玉になって浮いた。
 殺気。紛うことなき殺気が桃を貫いたのだ。

「さあ桃さん」大賀の落ち着いた声が響く。「剣舞などと甘いことは言わず、本気で斬り結びましょう。本気の中でこそ、芸術は生まれるのですよ」
 
 それは大賀の矜持。
 そうだ、初めて会った日にもそう言っていた。本気にならなければ何事も成せはしない。だからこそ私財を投げ打ち、都に居を構えることで退路を断ち、自らのブランドを立ち上げたのだと。

「そうですね、それが貴女の……覚悟でしたね」

 初めてその言葉を聞いたとき桃は思ったのだった。敵わないかもしれないと。そして同時に、絶対に超えてみせる――とも思った。
 いや、思っただけではなく彼女に宣言したのだ。同じ道を歩まずとも、私なりのやり方で勝ってみせると言い放った。年老いた祖父母を置いて都へは行けない。大賀と同じ方法を選ぶことは出来ない。

 だからこそ桃は仲間を作った。犬、猿、雉。
 彼女たちと、ときに助け合い、ときに競い合うことで己を磨いた。そして今では彼女たちは他に代えがたい存在であり、自身の一部になっている。

 これが私の強さだ、と桃は思う。

 ■ ■ ■

「桃さん、貴女が本気になれないというのなら、これはどうかしら!」

 大賀が両手を広げると、上手(かみて)からオーガニック・クローズのモデルたちがぞろぞろと現れた。虎柄の衣装に、赤や青のフェイスペインティング。その数九人。手にはそれぞれ金棒を握りしめている。

「皆さん! あの軟弱な娘の服をズタズタにして差し上げなさい!」

 大賀の声とともに、鬼の格好をしたモデルたちは地を蹴って突進してくる。

「おおっと! そうはいかないぜ!」

 上空から滑空してくる物体があった。その物体――翼を広げたキジーの両手には、液体タイプの日焼け止め。指の間に挟んで計八本。すれ違いざまに、赤鬼の目に向け噴射する。

「うっ――目が!」

 赤鬼は思わず目を拭う。キジーは宙を舞いながら更に二匹の鬼を仕留める。

「この鳥女め!」

 背の高い青鬼がキジーに向けて金棒を振りかぶる。しかしその背後にサリーが忍び寄る。

「とうっ!」と背中に抱きつき、「そっちがその気なら――えいっ!」

 爪で青鬼の胸元を裂く。青鬼は破れた衣装を手で庇いながら、慌てて舞台袖へと引っ込んでいく。
「うっきっき」と快活に笑うサリーに、金棒を持った鬼女が迫る。しかし足を滑らせ転倒してしまう。先ほどサリーがバラ撒いておいたバナナの皮を踏んづけたのだ。

「甘い甘い! バナナより甘いよお前たち!」

 サリーは跳びまわって挑発しながら、キジーと連携して確実に敵を打倒していく。
 打ち漏らした青鬼が桃に向かおうとすると、

「キャンキャン!」
「うっぷ!?」

 顔面にCanCam(キャンキャン)が飛びついた。もふもふとしたソフトな感触に、青鬼は戦意を失う。

「キャンキャン!」

 トイプードルの愛らしい仕草は、他に二匹の鬼も骨抜きにした。

 ■ ■ ■

 しかし、この強力な防衛線を越えた鬼がいた。金棒を振り回し桃へと迫る。
 金棒と日本刀。正面から打ち合えば、質量と強度の差で桃が不利になるのは明白だ。しかし桃は流れるような太刀裁きで、振り下ろされる金棒を横に逸らして直撃を避けた。そして刀を反転させ、峰打ちで鬼の小手を打つ。

 くぐもった声を漏らす鬼には一瞥もしない。桃は大賀のほうを向き、

「この程度で私は討てません。――いえ、私は満足できません。大賀さん、貴女との決着を……私はつけたい」

 凛とした声でそう言い放った。
 大賀は不敵に笑い、

「そうこなくては。ギリギリの中でこそ、モデルも――そして服も輝くのですわ。貴女も少しはマシになったようね。それでこそ私の……いいえ。これ以上は野暮というものでしょう。あとは剣で語りましょうか!」

 巨躯を活かした強引な間合いの詰め方。一足で桃の前に立ち、桃が繰り出す剣撃を力づくで打ち払う。桃は体勢を崩す。

「くっ――! まだです!」

 深く沈み、大賀の足を払うが、避けられてしまう。だがそこまでが桃の狙いだった。着地の瞬間を狙い、大賀の胸を目掛けて神速の突きを繰り出す。
 避けようのないはずのその刺突を、大賀は恐るべき反射神経をもって受ける。切っ先を見極め、刀の腹を使って軌道を逸らした。

「――っふ、今のは少し冷えましたわよ!」

 大賀は楽しそうに笑う。
 桃は笑う気にはなれなかったが、それでもこの『剣舞』を楽しく思う。斬り結ぶ度、相手の心が透けて見えるようだった。大賀の心の内が感じ取られた。

 常に自身を追い込む、気高く強固な意志。誰に対しても居丈高に振る舞い、敵とすることで更に自身を高めようとする危うい精神。

「負けません!」

 叫びながら桃は、これだ――と思う。
 私が敵わないと思ったのはこんな彼女の精神の力だ。大賀は私にない物を持っている。そんな彼女を桃は畏敬する。

「はは! 貴女が私に勝とうなど、百年早いですわ!」

 大賀も吠える。 
 桃は知らなかった。大賀こそ、桃の心の強さを恐れていたことを。

 当時は名もない駆け出しのモデルであった桃が、本気で自分に勝つと宣言した。驚くことに、その目には驕りも侮りもなかった。無謀ともいえる勇敢さ。大賀はそんな少女を脅威に感じたし、敬意さえ抱いてしまったのだ。しかしそれは自身のプライドを酷く傷つけた。

 ――だからこそ全力で叩き潰さなければならない。大賀はそう思ったのだ。

 二人の体力は限界を迎えていた。気力も限界だ。次が最後の一合となることを、桃は自然と理解した。大きく息を吐き出し、刀を握り直す。

 舞台の後方では、サリーたちが既に鬼退治を終えていた。
 残る鬼は一匹――恐ろしくも欠き難い、私の宿敵(ライバル)だ。

「行きます! 貴女に――勝ちます!」
「さあ来なさい我が宿敵!」

 二人のシルエットが舞台の上で交差した。
 白刃がひとつ、宙を舞った。

 ■ ■ ■

「いやー凄かったわよ、桃ちゃんたちのアドリブ!」

 岡山は満面の笑みで抱きついてきた。大役を務め上げ、汗にぐっしょり濡れた桃は、やんわりとその抱擁を躱して言った。

「いえ、あれは大賀さんのお陰ですから……」
「何言ってるのよ! 間違いなく桃ちゃんの実力よ」
「ありがとうございます……でも本当に、何だか実感がなくて」

 謙遜ではない。だが、桃には観客や岡山の賞賛は届かない。本来は喜ばしいそれらよりも、大切なものを既に手にしている気がした。
 桃の中では、まだ燃え盛る炎は消えない。勝利の瞬間よりも、大賀と斬り結んでいたあの時間を貴重に思う。また何度でも、あの興奮を味わいたいと思っている。

 控室のドアが開いて、大賀が入ってきた。桃の視線と彼女の視線が、一瞬だけ絡み合う。が、すぐにお互い目を逸らす。桃は岡山に視線を戻した。

「あの、すみません、衣装ボロボロにしちゃって」

 紙一重で凌いだ剣撃の数々は、しかし衣装を切り刻んでいた。それほど大賀との実力が伯仲していたということだ。

「いいのよ、その傷すらもアート、むしろそれが完成形とも言えるわ。そのドレスのね」
「そうですか……この切れ端だけ、記念にもらっちゃいけませんか?」
「それだけでいいの? いいわよ、お好きにどうぞ」

 桃は謝意を示して、ようやく微笑んだ。

「そうだわ、ボーナスって程でもないけど、ご褒美ね。はいこれ」

 岡山が差し出した紙袋には四角い箱が入っていた。中身を確認すると、なんと金銀財宝――のような美しいマカロンだった。横で汗を拭いていたサリーが飛び上がって喜ぶ。

「うっきー! なになに、コレ食べていいの!?」
「もちろん、たんとどうぞ。あ、それから、帰りの牛車も手配しといたから。明日はゆったりと帰り道を楽しむといいわ」
「何から何まですみません」

 と頭を下げる桃に「私こそいいものを見せてもらったわ」と岡山は、ひらひらと手を振ってゴキゲンな気分でデザイナーたちの打ち上げへと出かけていった。
 桃たちもその晩は鬼ヶ島に泊まった。他のブランドのモデルたちとも会話を交わしたが、終ぞ大賀とは話す機会がないままだった。

 ■ ■ ■

 翌朝、桃たちは荷物をまとめ、渡し船で本土へと戻り、岡山が準備してくれていた牛車へと荷物を詰め込んだ。そこに桃を呼び止める声があった。大賀だ。

「桃さん。私に挨拶もなく去ろうなどと、随分と厚顔でいらっしゃるのね」
「……厚化粧なら大賀さんには負けますけど」

 いつもの憎まれ口を叩き合い、二人は口角を上げる。どうやら大賀は、ひと足早く渡し船で先着していたらしい。では、私のことを待っていたのだろうか――と桃は少しだけほころんだ。
 大賀は言う。

「てっきり貴女は、昨日のことでわめき散らすかと思っていましたが」
「どういうことです?」
「『打ち合せと違うじゃないですか!』なんて、お猿さんみたいに顔を真っ赤にして怒り出すかと思っていましたわ」

 桃は一笑に付したが、彼女の後ろでサリーはムッとした顔をしていた。――気づいたのは隣にいたキジーだけだったが。

「本気で思ってました? 私が怒るかもって。そんな無粋な女だと思いました?」
「……いいえ。まあ昨日の貴女は……そうね」

 少し躊躇いがちに大賀は、

「――ほんの少しだけ美しかったですわ」

 と恥ずかしそうにこぼした。それを見た桃は、

「大丈夫ですか? 熱でもあるんじゃないですか? お馬鹿さんは風邪なんて引かないって、あれは嘘だったんですかね」
「な、なによ! 人が少し褒めたら――」
「へぇ、褒めてくれたんですか」
「ちっ、違うわよ!」

 バツが悪そうに大賀は目線を外す。そして大きく息をついて言った。

「ふん。次はあんな簡単にはいきませんわよ。せいぜい首を洗って待ってらっしゃい。私も……私のブランドも、こんな程度だと思わないことね。じきに貴女など及びもつかない、世界的なトップブランドに駆け上がってみせますわ」

 先に行って待っていますわ――と大賀は言った。

「すぐに追いついて、追い越してみせます。負けません」

 桃は凛々しい笑みを大賀に返した。二人は別れの挨拶もなく、背を向け、互いの帰途へと一歩を踏み出した。

 ■ ■ ■

 彼女たちを荷台に乗せた牛車は、ゆっくりと街道を進んでいた。

「はい、CanCam(キャンキャン)。新しい服、どう?」
「キャンキャン!」

 Can Cam(キャンキャン)はしっぽを振って、嬉しそうに鳴いた。

「なんだ、桃っち。昨夜から何か作ってるかと思ったら、Can Cam(キャンキャン)の服だったんだね。それあれでしょ、昨日桃っちが着てたドレスでしょ?」
「そうよ。岡山さんから切れ端をもらったの。お下がりで悪いけど、可愛くていいでしょ」
「桃っちは器用だねぇ。これでお菓子作りも上手かったら言うことないのになぁ」

 サリーはご褒美のマカロンを口に含みながら牛車の揺れに身を任せている。

「でもさ」とキジーは言う。「歩かなくていいし、屋根ついてるから暑くなくていいし。私にとっては牛車は最高のご褒美なんだけどさ。桃はいいの?」

「どういうこと?」と桃は訊ねる。
「ほら、CanCam(キャンキャン)は新しい服、サリーはマカロンでしょ。桃だけ何もないじゃない」
「そういうこと。うん、いいのよ」

 満足そうな桃の顔を眺めて、キジーは首をかしげる。

「うっきっき。桃っちはいいんだよ、キジー」
「なにそれ、サリー。どゆこと?」
「だってほら……桃っちはアレじゃん。アレアレ。『ライバルとの絆』ってやつ? 手に入れちったもんね。うっきっき」
「ああ確かに。ケッケッケ」

 二人は桃のほうを向いて声を合わせて笑った。桃は目を白黒させ、次第に頬を紅潮させた。

「な、なによ……そ、そんなんじゃありません!」
「キャンキャン!」
「もう、CanCam(キャンキャン)まで!」

 桃は仲間たちから顔を逸らすように、外の景色に目をやる。痛いくらいの緑が道端に溢れていた。
 きっとまた冬には、大賀と一戦交える羽目になるのだろう。どんな形かは分からないし、その時、お互いどのくらい成長しているのかはもっと分からないけれど。

 今度も負けない。その次だって負けない。生まれ変わって別の誰かになったって、私は負けない。
 
 きっとまた、鬼ヶ島で会えるだろう。
 そんな風に桃は思った。

 賑やかな一行は、牛車に揺られて帰る。

 ********************

 これは彼らではない、別の誰かの物語である。

 時代が変われど世界が変われど、決して(ほど)けることのない因縁の物語である。しかし、それを彼女たちが嘆いているかどうかは……また別の話である。


 〈Onigashima Giant Colosseum is END〉
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