増える被害者(中)

文字数 10,645文字

 牧宮は、紗映子を連れて――紗映子にしてみれば連行された格好だ――被害者の日高が収容されている県立病院を訪れた。

 紗映子は病院が苦手である。
 まず、においが良くない。無論、病院施設は清潔そのものであり、この比較的新しい県立病院もクリーンであるのだが、この白い匂い(、、、、)が紗映子は苦手だ。そして、病棟に迷い込むと、方向感覚が狂わされるようにも感じる。

 そのうえ今日は、苦手な先輩刑事のお伴だ。
 さらに加えて、これから例の被害者に面会せねばならないのだから、本当に滅入ってしまいそうな気分だった。


 牧宮に従って病棟内を進む。
 エレベーターが止まったのは八階。このフロアは、『日高のために貸し切られている』のだそうだ。

 エレベーターホールでは、病院のスタッフのような白い着衣の男が四人、長テーブルに座って紗映子たちを出迎えた。なんだか健康診断の受付のような格好だ。

 だが、相手はおそらく同業者(、、、)だ。
 紗映子たちを睨めつけるその視線は、警官のものだ。

 牧宮はずかずかと男たちの前に歩み寄る。警察手帳を開示して、

「M県警捜査一課の牧宮。捜査班のメンバーだ。うしろも同じく、北原だ」

 言われて紗映子も慌てて手帳を見せる。

 受付の男は疑うような視線で手帳を見、それから顔を上げて、

「……県警が今更、なにか?」
「なにかもどうもないだろう。俺たちはこの事件の担当だ。捜査のために被害者に会いに来た」

 相手の眉がぴくりと吊り上がる。不穏な空気が流れたが、2人は廊下の先へ進むことを許された。

 おそらく、無関係の者は彼らによって追い返されるのだろう。この奥には『秘密』があるから――。

「あの人たちは?」
「警察庁特殊事件捜査室――か、それに類する部署の連中だ」
「はい?」
「俺もよく知らん。愛想の悪い連中だからな」
「…………」
「なんだ?」
「いえ、何も」

 廊下を進むと、フロアは厳戒態勢そのものだった。制服の警官もいる。どうやら、県警の範疇を超えた事件になっているらしい。ナースステーションや病室内は、会議スペースや、さながら研究室のように様変わりしている。

 警察のほかにも、スーツ姿の集団や、白衣を着た集団がそれぞれの部屋を占拠している。

 物々しい雰囲気。
 重苦しい空気。

 やはり、あの映像は事実ということなのだろうか。

 一晩寝て、あれは作り物だったのではないかという気持ちもしていたのだが、どうやらその儚い希望は打ち砕かれる運命にありそうだ。

「はあ、胃が痛いです」
「あとで内科にでも行ってこい」
「……優しいですね」
「褒めても何も出らんぞ」
「別に褒めてませんよ」

 先ほどの、牧宮の紹介には欺瞞(ぎまん)がある。
 紗映子は『ドリームランド強姦失踪事件捜査班』の正式なメンバーではない。牧宮が勝手に巻き込んだだけだ。たしかに、『牧宮と同じ捜査一課』の課員ではあるが。

 そもそも、県警はすでに手を引いているようにも感じる。先ほどの『受付』の態度もそうだし、署内での雰囲気もそうだ。あの映像が事実を映し出しているのなら、これはもう警察の所掌の範疇を大きく外れている。

 牧宮は学者や研究所がどうとか言っていた。それがどんな分野なのかは皆目見当がつかないが、警察官が知恵を絞るよりは解決に向かいそうなメンバーだ。
 
 では、やはりこれは牧宮の独断捜査なのだろうか。女性としての意見を聞きたいとか、そういうことなのかもしれない。

「ああ、私、減俸くらいで済みますかね」
「俺はいつでも辞めていい覚悟で仕事に臨んでいる」
「それは大層ご立派なことで」
「警官なら当たり前だ」
「…………」

 この人とは噛み合わないなぁ、と改めて思う。
 しかし、雑談が成り立つだけいつもよりマシのような気もする。もしかしたら、緊張している紗映子を気遣ってのことかもしれない。あるいは、牧宮自身の畏れを紛らわせるためか――。


 ■ ■ ■


 紗映子は昨日のことを思い返していた。
 あの薄暗い会議室で、牧宮はさらにこう続けた。

こいつら(、、、、)はな、次々と死んじまうんだ」
「死ぬ?」

 こいつら――
 増えた日高たちのことだろう。
 しかし、死ぬ、とはいったい。

「もしかして未熟児みたいな感じですか」

 成人女性の姿にまで成長したとはいえ、映像の中の『赤ん坊』は、なにせ生まれたばかりだったのだ。

 では、身体に何らかの欠陥があって、すぐに衰弱して死んでしまうのだろうか――と紗映子は考えたのだが、

「日高本人は随分と弱っている。あの事件があって、ロクに食事もとれていない。証言も途切れ途切れで、必要な情報を聞き出すのに苦労した」
「…………」
「だが、それとは別に、こいつらは――」

 言い淀んで、牧宮はさらに渋面を濃くする。

「命を絶つんだ」
「…………。それって」

 紗映子は眉をひそめた。

「自殺するってことですか?」
「死因はまちまちだ」

 牧宮は言った。

1番目(、、、)の日高は、窓から飛び降りた。他にも、近くにあったボールペンで自分の首を貫いた奴、夜中に着衣のヒモで首を吊った奴、中には、古風なことに舌を噛み切った奴までいる」
「…………」
「ちなみに、今おまえに見せた10番目がそうだ。舌は噛み切ったが、発見が早く、処置を経てまだ生きている。幸いなことに――と、この場合そう言っていいのかは分からんがな」
「は――」

 声にならなかった。

 病院で次々と自殺を図る被害者。
 そのどれもが、同じ姿の同じ人物なのだ。精神に異常を来しているとしか思えないが、それ以前に、この状況自体が異常だ。あってはならない。あり得ない。

「あの、さっき『1番目』って言いましたよね? 」

 わずかな引っかかりを感じて、紗映子は問うた。

「窓から飛び降りたって。その人は――」
「死んだよ。まだ今のように警備も付いていなかったからな。始めに入っていた病院でな、六階の高さで頭から落下した。即死だ」
「でも、そんなこと、一課には全然」
「ああ。秘匿されていたからな」
「そんな――」

 釈然としない気分でいると、牧宮が続けた。

「その時点で『異常』だったんだ。1人は飛び降りたんだが――もう一人が生きていたからな」
「え?」
「だから。飛び降りる直前、あるいは少し前、か。日高は『分裂』していたんだよ、さっきみたいにな」
「あ」

 飛び降り自殺するまで追い込まれてしまった、強姦事件の被害者。それはそれで十分な悲劇ではあるのだが、しかし、この事件の場合、彼女は(、、、)もう1人(、、、、)いた(、、)のだ。

「下手な探偵小説じゃないが、双子説まで飛び出してな、一応はきちんと鑑定もやったんだ。だがDNAも一致。歯形も、歯の治療痕も――あとは、ご丁寧なことに強姦被害の際につけられたであろう傷跡までもが、完全に一致した」
「…………」
「本人に聞いても、まったくの上の空だ。他のことに関してはまだまともに会話もできるんだが、自分がもう1人、ないしそれ以上いることについて、うまく認識できないらしい」
「認識できない?」
「そうだ。互いに顔を合わせても、『だからどうした』という表情を浮かべるだけだ。そこにいるのが当然だろう、何がおかしいのか、といった態度だった。まるで――」


 ――鏡を見ているように。


 と、牧宮は言った。

「そんな……。じゃあ家族は? ご家族はなんて?」
「ああ」

 牧宮は、左手の指でこめかみを揉むようにして目をしかめた。
 イラついているときの彼の癖だ。

 その薬指には指輪がある。
 四年前に離婚してそれきりのはずだが、牧宮はその指輪を外していない。周りには指が太って取れなくなったと言っているらしい。

「被害者の家族は、まあ、至って普通だ。体も、それから精神もまったくの正常。家庭環境もだ。もちろん事件のことを知って取り乱してはいたがな。そして、『1番目』の自殺を知って――さらに混乱していた」

 牧宮は重いため息をついた。

「はじめは、飛び降りたほうも『日高美奈』だと言っても信じなかった――これはまあ、言っちゃあ何だが、正常な反応だな。娘が死んだ。だが、病室ではもう1人の娘が生きている。元気にとはいかないが、それでも前日までと同じ様子でそこにいる。死んだ方も同一人物だなんて――信じられるわけがない」
「……ですよね」
「俺たちだって信じられなかった。だが――」
「……同じようなことが、続いた?」

 牧宮はうなずいた。

「彼女の分裂は――いや、増殖か――どっちでもいいな。その分裂だか増殖は、夜のあいだに起こる。だから交代で番を張って、自殺を食い止めた。……人道的ではないが、死にたがる彼女をベッドに拘束するようなこともした」
「…………」
「だから、被害者はどんどん増えた。そのうち、家族のほうが先に参っちまった」

 それはそうだろう。娘が、家族が日を追うごとに増えて、そして自殺を企図する――常人に耐えられる環境ではない。だから家族とは、しばらく接触させないことにしたという。このままでは、別の意味で被害者が増えてしまう。

 紗映子はもう胸焼けがするくらいの気分だったが、それでもなお、まだ引っかかりが残っているのを感じていた。

『1番目』――

 そう、1番目だ。

「その、最初の、えっと、飛び降りた子は」
「…………」

 瓜二つの、いや、完全に同一の人物。
 外見では見分けがつかず、科学的な手法によっても区別できない2人。

 では――

「はじめに死んだのは、どっち(、、、)だったんですか?」
「…………」
「先輩。牧宮先輩」

 牧宮は沈黙を貫いた。


 ――ああ、そうか。


 分からないのだ。

 1番はじめに死んだのは、本物の(、、、)日高美奈だったのか、それとも増えた(、、、)日高のほうなのか。

 もう誰にも、分からないのだ。


 ■ ■ ■


 紗映子たちは日高のいる病室にたどり着いた。

 その病室に至るまでのいっそう厳重な警備を、牧宮は口八丁で言いくるめて突破していった。もっとも、その厳めしい顔つきで有無を言わさず突き進んでいるだけのようにも見えたが。

 ともかく、その病室に牧宮と紗映子は無事に到着した。
 通常の大部屋よりもずっと広い。間仕切りの壁を壊して、2つだった部屋を1つにまとめているようだった。

 病室に足を踏み入れると、ぐらりと体が傾くような感覚に襲われた。

 ――ああ、嫌なにおいだ。

 ベッドが並んでいて、それぞれクリーム色のカーテンで仕切られている。2つの6人部屋を貫いているので、あわせて12台のベッドがある。そのうち、稼働しているのは10台だ。

 つまり――


 10人いる、のか。


 静かだ。医療機器の音と、巡回するスタッフのわずかな足音だけが響く。窓にもカーテンが引かれており、外から中の様子を窺うことはできないだろう。

 あの薄い幕の向こう側に、日高がいる。
 あの映像で見た、怖気のする光景が――。

「行くぞ。比較的しゃべれるのは『4番目』と『9番目』だ」

 牧宮が、カーテンで仕切られたベッドのひとつに歩み寄る。

「何をしている、来い」
「…………」

 重い足取りで紗映子も続く。
 カーテンの手前には、白衣のスタッフが立っていた。牧宮が目配せをすると、その男は軽くうなずいて、中へと誘う。めくられたカーテンの隅から、ベッドの端がわずかに覗く。

 ――嫌だ。

 立ち竦む紗映子の目に、
 黒髪が。

 ベッドに横たわる血色の悪い女性。2人が入ると、目だけが動いた。ぞっとするような視線が紗映子を捉える。映像で見た日高美奈だ。

「話せるか?」

 ベッド横の丸いすに腰かけ、牧宮が日高にたずねた。日高は仰向けになったまま、軽くあごを引いてうなずいた。紗映子は牧宮の背後でその様子を観察する。

「初めまして、で良かったな?」
「――はい」

 か細い声だが、割合しっかりしている。

「自己紹介をしてもらおうか」

 牧宮にうながされ、彼女は語り出した。
 自分の名前、年齢、血液型、家族構成、通っている大学――

「あ、ああ」

 唇が小刻みに震えだした。

「無理をするな」

 相変わらず無骨な口調だが、どこか労りを含んだ牧宮の言葉。

「大学のことは、いい」

 どうしても例の男子学生たちのことを思い出すのだろう。強姦の加害者。彼女にとっての忌むべき記憶。

 そのあとも、彼女は自身の個人的な記録を、ぽつぽつと語りつづけた。紗映子は、事前に日高の個人情報について牧宮から書類を渡され、頭に入れている。内容に齟齬はない。

『4番目』の彼女は、日高美奈のオリジナルの記憶を持っている。

『増えた彼女たち』は、それぞれ交流を持たない。互いに面通しさせるという実験を試みるとき以外に接触はない。だから、記憶をすり合わせて、口裏を合わせる時間などない。

「すまんな、少し休め」

 言って、牧宮はそのベッドをあとにする。紗映子も軽く会釈をして辞する。

 次に牧宮は、隣のベッドに――9番目の被害者のベッドに――向かう。

 カーテンを開け、同じようにして挨拶を交わし、同じような話をする。やはりその内容に食い違いはない。牧宮からの質問にも、似たような感性で応答し、似たような反応を見せる。まったく同一の記憶を持っている、としか思えなかった。

『4番目』と『9番目』のベッドは大部屋の対角に位置しており、会話の声も小さかったので内容を聞き取れるはずがない。

 紗映子は、牧宮と九番目の会話をどこか遠くで聞いているような気分になった。

「…………」

 頭痛が襲ってくる。
 この空間にいると狂ってしまいそうだ。

 牧宮が『9番目』に礼を述べて立ち去ろうとしたとき、病室に悲鳴が轟いた。甲高い奇声。牧宮が飛び出す。紗映子も続く。向かいのベッドだ。すでに数人のスタッフが駆けつけ、カーテンを剥ぎ取っていた。

「せ、先輩!」
「……ちっ」
 
 死にたがり(、、、、、)が始まったのだ。
 その何番目かの日高は、髪を振り乱し、みずからの爪を喉に突き立てている。がりがりと掻きむしったらしく、すでに首や病衣の襟は赤い。押さえ込もうとすると、獣のようなうなり声をあげる。

「こんな――」

 だが、紗映子が青ざめるのはその光景そのものに対してだけではなかった。

 振り返る。
『9番目』の彼女はベッドで上体を起こして、その壮絶な光景をぼんやりと見ていた。そして、

 ――笑っている?

 かすかに、口の端で笑ったように見えた。それがぞっとした。自分(、、)が死のうとしている姿を見て、ほほ笑むなんて。

「おい、手伝えこの阿呆!」

 牧宮は他のスタッフに混じって彼女を押さえ込んでいた。紗映子もやや正気を取り戻し、日高の細い足首を押さえる。強い力で暴れている。

 悲鳴と怒号が病室に響く。
 だがそれでも――誰かがそばで笑っているような気がして、紗映子の悪寒は消えなかった。


 ■ ■ ■


 夜の景色が車窓を流れていく。
 市内の住宅街を過ぎると建物はまばらになり、とうとう山道に入る。裏野ドリームランド跡地に向かう道だった。

 助手席の紗映子は、うろんな視線でその景色を眺めていた。

 事件解決に現場を踏むのは定石ではあるが、いかんせん紗映子はこの事件の担当ではない。だが、無関係だと言い張るには少々踏み込みすぎた。あの光景を見てしまったからにはもう簡単には逃げられない。

(なんだかなぁ……)

 牧宮の思惑通りに『共犯者』に仕立て上げられたような気がして、もやもやとする。運転席でハンドルを握る牧宮は、気の利いた言葉を投げかけるでもなく、ひたすら黙って前方ばかりを見ている。

 牧宮の薬指には指輪がある。特に意図があるでもなく彼の左手に視線を投げていると、牧宮のほうから話しかけてきた。

「別に、未練があるなんてしみったれたモンじゃないぞ」
「や、そういうつもりは――」
「今は距離を置いているだけだ」
「はあ……え、それって、まだ奥さんとは繋がってるんですか?」
「まれに料理を届けてくれたり、あとは部屋の掃除くらいか」
「へぇ――」

 物好きなもと奥さんですね、と言いそうになってやめた。しかしどういう経緯で別れたのだろうか。今の互いの心情は? 職業病というわけではないのだが、好奇心の虫がつい騒ぎ出す。

「俺のせいだからな」
「離婚が、ですか?」
「六年前に妹が死んだ」
「…………」
「ひき逃げでな。犯人は捕まっていない」

 六年前といえば、紗映子はまだ大学生だ。ちょうど被害者の日高と同じ年頃だった。県外の大学に通っていたのでその事故――いや、事件のことは知らない。

「相手は分かってるんだがな」
「分かってる? 犯人が?」
「ふん……」

 牧宮は左手をハンドルから離し、こめかみを揉む。

さる御方(、、、、)ご子息(、、、)でな。ストップが掛かった」
「…………」
「正直言って、その小僧のことはまだ殺したいほどには思っているが、私刑なんて時代でもないからな」
「まあ、ええ……」
「家族のこともあった。俺が殺人犯になって、嫁と娘を路頭に迷わすわけにもいかんだろうしな」
「まさか――」

 私的な復讐を果たすために、身軽になるために家族を――

「それで離婚を」
「阿呆」

 本気で苛ついた顔をして、牧宮はため息交じりに言った。

「そんな阿呆なことがあるか。それとこれとは別だ……いや。関係はある、か。俺は酒に逃げた。妹を失ったこと、犯人に罰を与えてやれないこと。警察にいながら、何もできない。無力だった」
「…………」
「家で荒れてな。あやうく娘を殴っちまうところだった。だから互いのために――なんてのは詭弁かな――ともかく、嫁と話し合って別々に暮らすことにした。それが四年前だ」
「そう、ですか」
「――ちっ。湿った話をするつもりじゃなかったんだがな」

 ではどういう話をするつもりだったのか。もしかしたら、この車内の重苦しい空気を紛らわそうとしたのかもしれないが、そうだとすれば逆効果だ。つくづく、不器用な男である。

「今回の事件――」

 紗映子は本題に踏み込む。

「もしかして、先輩、その……」
「なんだ」
「いや、怒らないで聞いてくださいよ?」
「場合による」
「うっ……。あー、その、不謹慎なのは重々承知なんですけど、もしかして、被害者の日高と妹さんを重ね合わせてる、とか」
「…………」
「あ、ごめんなさい、なんていうか」
「構わん。続けろ。どうしてそう思った」
「はい――」

 助手席で小さくなりつつも紗映子は続ける。

「年齢もちょうどハタチですし、加害者は捕まらないし、捜査は事実上、私たち県警の手を離れているようですし――どうにかしたいって、思ったのではないかと」
「…………」
「あと、それに――」 
 
 後部座席を振り向き、紗映子は言う。

「あんなものまで……よく許可が下りましたね」

 シートの上に、ホルスターに収められた拳銃が一丁、無造作に転がっている。

「まだ犯人が近くに潜伏してるとでも? そうだとしても、単独でこんな」
「ふん。お前にはまだ話していなかったな」
「は、はあ」
「聞きたいか」
「嫌って言っても話すんでしょう? いいですよ、もうここまで来たら」
「実は、今回の犯人――加害者はもう捕まっている」
「は!?

 驚いて牧宮の横顔を見る。

「ど、どういう――」
「『事件』は解決している。加害者のうち、1人は死体で見つかった」

 それは知っている。山道に駐まる軽自動車の車内で、その男子学生は死体で発見されている。

「――ことになっている」
「なっている? え、じゃあ本当は逃げて」
「いいや。3人とも死んでいた」
「は、え?」
「男が2人と女が1人だ。今回の事件、どうにも真相は、加害者4人に被害者が1人という構造らしい」
「え……」

 ためらいつつも、紗映子は牧宮の言葉を理解しようと考えをめぐらせる。

 肝試しに臨んだのは5人。
 男が3人に、女が2人。

 そして加害者は4人。
 車の中で死んでいたのは3人。
 逃げたのが1人。

 被害者は――1人。

「……まず、強姦の被害に遭ったのは日高1人だった、ということですか。その友人の女子大生も加害者側だった――日高美奈を罠にはめるための」
「そのようだ。外堀はおおかた埋まっているんだが、こんな状況になっちまったらどうにも、な」
「ええっと、それで、3人とも車内で死んでいた? どうして、そんなことになったんですか。事件後もそんな発表はなくて――1人だったって」

 となると、事件当初から警察は虚偽の発表をしていたことになる。

「特定できたのが1人だった――というのが、上の建前だがな」
「他の2人は特定できなかった? でも、男性2人に女性が1人なんですよね。少なくとも女性の死亡は確認できるのでは? どんな風に死んでいたのか分かりませんが――」
「圧死だ」
「は?」
「だから死因だ――圧死だった」
「ら、落石でもあったんですか? 車が押し潰されたとか」
「いいや、内側からだ」
「内側?」
「爆発的に増えたらしい」
「ふ――」

 増えた。
 また(、、)だ。

「3人が、それぞれ増えたんだ。ドリームランドから逃走する車内で、増えた。運転手も増えた。運転を誤り、道の脇の木の幹に衝突して車がストップ。混乱しているうちに、全員が増えた」

 ――増えた。
 加害者も、増えた。

「いち早く逃げ出した1人だけが山中へ消える。恐らく、車から逃げ出したときにドアを閉めたんだろう」
「……残りの3人は?」
「車中で増えたんだ。さらにな。状況からすると、あの日高の増え方の比ではなかったようだ。どんどん増えた。次々増えた。定員オーバーもいいところだが――あまりに加速度的に増えたせいで、ドアを開ける余裕すら失った」
「…………」
「肉と肉が密着して、骨は折れ、それでも増えるのをやめなかった。止まらなかった。内臓は破裂し、『同じ人間』同士で混ざりあって――」

 ぐしゃりと、
 潰れた。
 肉団子の軽自動車。

「遺留物――主に衣服から、その3人であろうとは推測できた」

 想像するだけでぞっとした。
 肉団子の中に混ざった衣服。
 それも、日高の例を見るにまったく同じ服が複製されていたのだろう。

 それを取り出し、検証する作業のことを思うと――うっと喉に込みあげてくるものがあった。

「吐くなら外に吐けよ」
「……優しさ、身にしみます」

 牧宮は淡々と続ける。

「発表された『1人』というのは、その車の所有者だ。『3人』であることはほぼ確実だとしても――そんな状況、まさか正式発表するわけにもいかんだろう」
「ですね。あ、じゃあ、逃走している1人――その車内から遺留物の見つからなかった最後の加害者だけが、行方不明なんですね」
「いいや」

 牧宮は小さく首を振る。
 あたりはすっかり山道だ。ヘッドライトの明かりだけが暗闇を頼りなく照らす。

「自首してきた」
「は?」
「事件発生の2日後、奴は麓の交番に自首してきたんだ」
「え、じゃあ事件解決してるじゃないですか!」

 超常的な現象は起こっているが――起きすぎているほど起きているが、しかし、犯人のうち3人が死んで、1人が自首。これはもう、本当に紗映子たちの出番はないのではないか。

「そうだ。だが、まだどこかに潜んでいるかもしれん」
「え……? あ」

 もしかして――

「その、出頭してきた加害者っていうもの、その」
「ああ」

 牧宮はうなずいた。

「奴も増えた」
「は、あはは……。なんですか、それ。じゃあ、そうなんですね、まだどこかに『加害者たち』が――その分裂した別の『その人たち』が潜んでいるかもしれない、と」
「そういうことだ」

 この暗闇の山中に、蠢いているかもしれないのだ。
 彼らが。
 加害者が。
 そして被害者も。
 増えて。

 紗映子はもう一度後部座席を振り向いた。
 拳銃を。

 ――ああ足りない。
 あんなものでは足りない。
 

 牧宮の運転する車は――
 裏野ドリームランドに着いた。



 裏野ドリームランドは、山中にありながら広大な駐車場を持っていた。
 車一台ないそこを突っ切り、入場ゲート付近にまで車を寄せる。途中にあった警告――『立入禁止』の表示――は無視して、車止めの鉄柵などは一旦停車して2人で解除して進んできた。

 牧宮が運転席から下りる。紗映子もそれに続く。

 満月の明かり。
 虫の音だけがする夜の森。

 そして、うち捨てられた夢の国――事件現場。

 紗映子はアスファルトの地面に立ち、巨大な入場ゲートを見やる。ゲートの上部には、マスコットである桃色のうさぎを(かたど)った巨大な看板。錆びて朽ちており、その笑顔も、やけに迫力があった。

「おい」

 背後から牧宮が紗映子を呼ぶ。

「北原、これを付けておけ」
「え」

 牧宮は、拳銃が収められたホルスターを手渡してくる。

「これ、私が?」
「お前の判断で使え」
「いや、でも」
「こっちもだ」

 紗映子が言うのも聞かず、牧宮はさらに大型の懐中電灯を手渡し、先に進む。不承不承、紗映子はシャツの上からホルスターを装着する。懐中電灯をかざし、前方を照らす。

 ――ひゅうと風が背後を通り過ぎた。
 人の気配がした。
 そんな気がした。

 だが振り向かなかった。
 紗映子は牧宮の背を小走りに追った。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み