プールサイドの桜子さん
文字数 9,749文字
「これは――」
私はベッドに腰かけて、スマートフォンの画面を穴が空くほど見つめました。今日のクラスマッチ終わりに、3人で撮った写真です。
……誰かに相談するべきでしょうか。
けれど、誰に。霊能者の知り合いなんて、いるはずもありません。ユウナにはともかく、リサには話さないほうがいいでしょう。
体育館で撮った写真。
笑顔の3人。
ピースサイン。
ハーフパンツの体操服。
すらりとしたリサの足首に、ひたりと這う青白い手。
周りには、私たち以外、誰もいないのです。
「心霊写真……ですか」
私のため息は、エアコンの低い音にかき消されました。
+ + +
翌朝、教室で会った2人には、
「すみません。昨日の写真、間違って消してしまいました」
と嘘をついて、写真の存在――『あってはならないもの』の存在を隠しました。知らないほうがいいこともあるのです。
「マコトは抜けてるからなあ」
リサは私のことを咎(とが)めるでもなく、大きな口で、にかっと笑います。私の横で椅子に座り、頬杖をついてそう言いました。
言いながら無造作に組んだリサの足は、健康的で、白くて、そして長いのです。バレー部である彼女にとって、それは商売道具のひとつです。
「なによ、ジロジロ見て」
「いえ、なんでも――」
あの青白い手が写っていたのは、リサの右足。
足首を包み込むように、長い指が伸びていました。がしっと、掴んでいたのです。拡大すると、筋張ったその手には、恐ろしいほどの力が加えられているように――私には見えました。
けれどリサの足には、その痕跡らしきものは見受けられないのです。やはりあれは、人ではない、なにか。
「ま、見られて恥ずかしいような足はしてないけどね」
私の気も知らず、そう言ってリサは足を組み替えます。リサのスカートは短くて、周囲の男子がちらちらとこちらを窺っています。ええ、間違いなく視線を感じます。
「恥ずかしいのは、足じゃなくてそういう振る舞いだと思うけど」
ユウナが横から茶化すように言いました。
栗色のショートボブ。とろんとした二重まぶたに、ぷっくりした唇。いわゆる『男好きのするタイプ』――でしょうか。フルートの達人でもあるユウナは、私から見ても、とても可愛い女の子です。
「ねえ、バレー部の試合って日曜日でしょ。何時から?」
ユウナは、リサにたずねます。
「なに、応援に来てくれるの? 吹奏楽部も忙しいんじゃない?」
「大丈夫。こっちは大会までまだ少しあるから。マコトも一緒に行くでしょ?」
もちろん。
私は答えます。
「じゃあ決まり。リサ、負けたら承知しないからね」
「頑張ってくださいね」
私たちの激励を受けて、リサは明るく笑いました。
+ + +
どこのクラスにも、うわさ好きな生徒はいるものです。
私のクラスの場合は、放送部の進藤さん。写真の件を誰に相談していいか分からず、2限目が終わった休み時間、彼女の席に近づき、たずねてみました。
ただし、私のスマートフォンに心霊写真などという、格好のうわさのネタがひそんでいることは伏せたまま。
「この学校で一番、オカルト話に強い人って誰ですか?」
そんなふうに、聞いてみたのです。
「そうねえ、……ふふっ、こんな話、知ってる?」
眼鏡の奥で、進藤さんの目がきらりと光ります。これは、うわさ話フリーク特有の眼光です。
「プールサイドの桜子さん」
「はあ……」
もちろん、私の知らない人です。
「プールの横に、桜並木があるでしょ。昼休みになると、そこにパイプ椅子を置いて、ひとりで本を読んでいるの。校舎からだと陰になって見えないから、知らない人が多いんだけどね」
プールサイドの定義が広すぎる気がします。大雑把です。まあ、あくまでうわさ話ですから、その辺りは仕方がないのかもしれません。
「その人が、その……お化けとか、幽霊とか、色々と詳しいんですね」
「まあね。なんでも、学校の七不思議をひとりで解決したとかなんとか。でもね、桜子さんの姿って、その場所でしか目撃されないの」
「というと?」
「校舎で見かけた人はいないし、学年も分からない。けれど確かに『いる』のよ」
なんだか、その人のほうが怪談めいています。
+ + +
昼休みになると、私は『プールサイド』に足を運びました。
……いました。
じりじりと焼けるような日差しのなか、木陰にパイプ椅子を置いて、桜子さんの後ろ姿がありました。
背中に垂らした黒くて長い髪が、そよそよと風に揺れています。セミの声がやかましく鳴り響いているのに、彼女の周りだけは、まるで外界と切り離されたように静かです。近づくと、ひんやりとしました。
「あの、『桜子さん』ですか?」
私はおずおずと口を開きます。
「そうよ。あなたは?」
振り向いた桜子さんの横顔は、とても綺麗でした。黒目がちな眼。細い眉。すっきりとした鼻筋に、桜色した薄い唇。彼女はわずかに――本当にわずかに、息を呑んだような顔をしました。
私は、立ちあがる気配のない桜子さんの側(そば)まで歩み寄り、自己紹介をしました。そして、心霊写真のことも。
「……それで、桜子さんならこういう心霊方面に強いと聞いたもので。お邪魔かなとっも思ったんですけど」
「そんなことはないわ」
手にしていたハードカバーの小説をぱたんと閉じて、桜子さんはそう言いました。彼女の声はとても澄んでいました。
「私はあなたみたいな人を待っているの。学校で起こる恐ろしい話や、怖い話。怪奇現象や都市伝説、すこし不可思議なできごと……そういうものを解決するのが、私の生きがいなの。……そう、生きがい」
桜子さんはふふっと笑って、肩まで垂れた黒髪を耳に掛けます。
細くて白い指。写真の手とは違う白さ。あちらはおぞましく感じられるのに、桜子さんの手は透けるように儚げです。夏服の白いブラウスよりも、ずっと白い肌。
――ああ、やはり怪談の登場人物のように、現実離れしています。
私が見とれていると、桜子さんは、
「じゃあまずは報酬の話から」
急に、現実的なことを言い出しました。
+ + +
「お金をお支払いすればよろしいでしょうか」
「ううん……いや、まあ、半分は当たりかな。本が欲しいのよ」
「本、ですか」
「そ。私はワケあって この場所から動けないから。新しい本が読みたいのよ。解決したらでいいわ。面白そうな本を一冊、買ってきてちょうだい」
それくらいなら、まあ私のお小遣いでなんとかなるでしょう。
「分かりました。お約束します。あの、それで……」
「嫉妬よ」
桜子さんは、はっきりとした声で言い放つのです。私は、わけがわかりません。
「嫉妬って、ジェラシーですか」
「他に何があるの? その心霊写真の正体は『嫉妬』よ」
「はあ……」
「なによ、気のない返事ね。ほら、解決したでしょう。本をちょうだい」
なんということでしょう。たった一言で私の依頼を片付けたと言い張るのです。さすがに、これは横暴が過ぎます。
「それでは何の解決にもなっていませんが――」
「なぜ?」
桜子さんは首をかしげます。
私も、首をかしげました。
「いえ、ですから。お祓(はら)いとか、して頂かないと――」
「できないわよ、そんなの」
当然のように桜子さんは言い切ります。これは、私の早とちりでしょうか。『七不思議を解決した』などという話から、てっきり、霊能力のようなものを期待していたのですが。
「というか、無理よ。もう手遅れ」
「手遅れ?」
「写真に写った時点でもう、遅かったのよ。呪いは放たれた 。あなたたち3人に向けてね」
「3人?」
どういうことでしょう。リサだけでなく、私とユウナにも?
「妬(ねた)みに、嫉(そね)み。強い念は、呪いの矢になって対象に突き刺さる。その写真を見る限り、あなたたち3人はそれぞれ嫉妬の対象になってるみたいね」
「でも私は……」
私は、特にこれと言って何の取り柄もありません。嫉妬される覚えなどないのです。
リサはバレー部のエース。明るくて、男の子とも気さくにやり取りができて、口は悪いところもあるけれど、とても優しい。
一方のユウナは、吹奏楽部で誰よりもフルートが上手。料理も出来るし、バレンタインデーが近づくと、彼女からチョコをもらおうと男子はソワソワしはじめる。
それに引き換え、私は至って平凡。帰宅部で運動神経はゼロ。料理もできない。いびつな切り口の野菜炒めがせいいっぱい。音楽なんて、もってのほか。2人とは違って、自慢できることなんて――
「あなた、モテるでしょう?」
桜子さんは、口元を歪めて言いました。
「そんなことありません」
「ふうん……ま、いいけど。これ、返すわね」
つぶやいて、桜子さんは私に、スマートフォンを投げて寄越します。慌ててキャッチ。もっと丁寧に扱ってもらいたいものです。
「ともかく。もう私にはどうしようもないわ、あなたたちのことは。――それ は私にも経験があるけれど、私の探しているものとは違ったから」
「そう、ですか」
よく意味が分かりません。
「……納得がいかないんならいいわよ。報酬の件はなかったことにしてあげても」
そういうことではないのですが……いえ、ほんのちょびっと、報酬のことも引っ掛かってはいますけれど。
「ひとつだけアドバイス。これは、あなたの精神衛生上、気をつけておいたほうがいいって話」
桜子さんは、じっと、私の目を見ます。
「その写真はもう見ないこと。どうしようもないことで、あなたが気に病む必要はないわ。それから、写真を消してもダメ。呪いが余計に強くなることがあるから。あ、これはサービスだから。無報酬でいいわよ」
「……霊能力者じゃないのに、詳しいんですね、桜子さん」
「もちろん。当たり前でしょ」
それだけ言って、桜子さんはふたたび小説を開きました。
お話は終わり。
そういうことのようです。
その日の放課後のことでした。
リサが、バレーのできない足になってしまったのは。
+ + +
練習中、アキレス腱を切ったのだそうです。
私がそのことを知ったのは、翌日、学校でのことでした。リサは欠席していました。
少なくともこの夏のあいだは絶対安静なのだそうです。
『せっかく応援に来てくれるはずだったのに、ごめんね』
病室から送信されてきたそのメッセージは、リサらしい心遣いが込められていて、痛々しかったです。こういう時は泣いたっていいのに。わめき散らしたっていいのに。
けれど、そうしないのが――できないのがリサなのです。だから、今度お見舞いに行くときには、彼女の大好きなメロンを差し入れようと、そう思いました。
+ + +
嫉妬の心霊写真。
どうすることもできないと、桜子さんは言いました。
悔しいです。
リサのことがあって、どうにかしないと思いつつも、何も出来ないまま2日が過ぎました。
『写真を見てはいけない』――
日曜日の夜、家で無為に過ごしていたとき、ふと、桜子さんの言葉が思い出されました。
なぜなのでしょう。リサを救えなかったことを、後悔するから? そんな感情は、写真を見なくても、嫌というほど味わっています。私は、何もできなかった。せめてリサに教えていれば、何かが変わったかもしれない。
けれども私は、そうしなかった。
いや。
そういえば。
3人、と桜子さんは言った。
――これから私とユウナの身にも、何かが起こる?
――リサと同じように、嫉妬の呪いが振りかかる?
そう考えると、居ても立ってもいられなくなり、写真を見てしまいました。
桜子さんのアドバイスを無駄にしてしいました。私は恐怖の誘惑に負け、スマートフォンを開き、3人で撮った写真を見てしまったのです。
――後悔と、おぞ気(け)が走りました。
リサの足首は、血まみれになっていました。
手があった辺りが赤く染まり、ただれていました。それはまるで、彼女に対する呪いが執行されてしまったことを示すようです。
――それだけでも、嫌なのに。
ユウナの指が青白い手によって、ぐちゃぐちゃに握りつぶされていました。ピースをしていたはずの、右手の指。
私は夢中で電話を掛けていました。
出ません。
ユウナは電話に出てくれません。
呆然として、私はもう一度、写真を眺めます。
笑顔の3人――リサと、私と、ユウナと。
リサの、血まみれの足首。
ユウナの、つぶれた指。
青白い手は、今度は私の首に掛けられていました。
+ + +
「桜子さん。写真、見てしまいました」
月曜日の昼休み。私はそう告白しました。
ユウナは日曜日――つまりは昨日、自転車に乗って買い物に行く途中、交通事故に巻き込まれたのだそうです。右手が軽トラックとブロック塀とに挟まれて、たくさんの骨が折れた、ということでした。フルートは、長らく吹けそうにありません。
怖くなった私は、再びプールサイドを訪れていました。桜子さんは、やれやれといったふうに、小説を閉じ、肩をすくめ、
「それで?」
「それで、とは……」
「あなたはどこを掴まれた の? その綺麗な目? 整った鼻? 艶やかな髪の毛かしら?」
「いえ、その……」
口にするのも憚(はばか)られて、私は桜子さんに写真を見せました。
「これは……」
桜子さんは眉をひそめます。
はじめて、動揺した顔を見せました。
「首、か。あなた、よっぽど恨まれているみたいね」
「そんな……」
「ちょっと寝違えた、くらいじゃ済みそうにはないわね、どうも」
「もう、手遅れなんですか? 私……首を折られたり…………」
情けないですが、私の声は震えてしまいました。
「私は、2人を助けられなかった。どうにかできたかもしれないのに。それに、それに……」
「落ち着きなさい」
桜子さんは立ちあがると、椅子の上に小説を置いて、言いました。
「気は進まないけど、どうにかしてみるわ」
「……できるんですか」
「そうよ。あなたのお友達2人は命に別状なさそうだったから、できればこの方法は採りたくなかったのよ。それこそ、逆効果になる場合だってあるから」
目の前に立った桜子さんは、思ったより背が低く、私の鼻のあたりに彼女の額があります。彼女は見上げるようにして、
「後ろを向きなさい」
私は言いなりです。
もはや、桜子さんしか頼る人が、いない。
「これは荒療治よ。呪いに対して呪いで抗(あらが)う……上書きするのよ、より強い力で、ね」
何だか怖いことを、さらりと告げます。
「どうやって?」
私が疑問を口にするが早いか、桜子さんの針金のような指が、私の首に伸びました。両手です。優しく触れてきます。
くすぐったくて身をよじると、桜子さんは、
「ねえ、あなた。誰に対してもそうなのかしら?」
「そう、とは……?」
質問の意味が分かりません。
「敬語で話すでしょ、あなた。親しい友達に対してもそうなのかしら、という意味よ」
「そうですね。両親の影響でしょうか――物心ついたときから、こんな感じですけど」
「そう」
桜子さんの指に力が込められました。
後ろから、きゅうっと――締め付けられます。
「う、く――――」
写真の光景を再現しようというのでしょうか。
例の青白い手は片手でした。
ならば、より強く、両の手で締め付ける――と。
少し苦しいですが、我慢です。
「他の2人よりもあなたに向けられた嫉妬が強い。さあ、心当たりはあるかしら?」
「…………ありません」
どうにか言葉を絞り出します。
また一段と、喉が締め付けられました。
「い、痛いです、桜子さん……爪を、立てないで……」
「だめよ。必要なことだから」
仕方ありません。血が出ているかもしれませんが、やはり我慢です。
じりじりと暑くて、苦しくて。汗が止まりません。
「あなたは罪なひと――」
耳元で、囁くような桜子さんの声がします。背中を冷たい汗が一筋、流れていきました。
「無自覚とは、ときに罪なものよ。ただそこにあるだけで、人を傷つけることもある」
ひんやりとした声が響きます。一陣の風が吹くと、桜は緑の葉を揺らし、私の心もまた、ざわつきます。
私が犯した罪――本当に、心当たりがありません。
それに、リサとユウナも。彼女たちが誰かを傷つけたり、貶めたりすることは絶対にない。それは言い切れます。
では、嫉妬。
リサには部活でライバルがいたのかもしれません。ユウナにも。
けれど私は。運動もできず、成績もほどほど。私を蹴落としたいという人間が――果たしているのでしょうか。
「それが罪だというのよ」
桜子さんは冷酷な声で言います。私の罪を宣告します。
「あなたの気取ったしゃべり方。まあ、似合ってはいるけれど、鼻につく人だって多いでしょうね」
そう言われても、これが私なのですから仕方がありません。たとえ嫌われたとしても、恨まれるようなことではないはずです。
「そうね」
指が喉に食い込みます。
驚いたことに、ずぶりと肌を切り裂き、たくさんの指が奥深くまで侵入(はい)ってきます。
「ねえ、マコト君。あなたは罪なひとよ。男の子とは思えない涼やかな声。私みたいな世捨て人でも、つい見惚れてしまうほどの美貌。初めて会ったとき、驚いちゃった。……その大らかな性格も、人によっては羨望(せんぼう)の対象になるでしょうね」
声も出ません。
もはや桜子さんの指は、首を締めつけるのではなく、貫いています。
「あなたはきっと、自覚がないのでしょう。生まれつきそうなのだから。……けれど、それが問題なのよ。何の努力もなく手に入れた。周りはそう見るわ」
桜子さんは淡々と責めたてます。
「そして何より――」
ふふふっと、そら恐ろしい声で桜子さんは笑います。
「あなたも認める素敵なお友達。リサさんとユウナさん。あんな可愛い子たちを独り占めしているなんて――そりゃあ、周りは羨ましがるでしょう。ただそれだけで、憎いほどに思うでしょうよ」
私に――そんなつもりはありません。
「だから 、タチが悪いって言ってるのよ……!」
桜子さんは切って捨てます。もはや骨が折れそうなほどの怪力でもって、私の首を握りつぶそうと――
「……そういうことよ」
そうしてやっと、私の首は解放されました。
がくんと、私は膝から崩れ落ちます。咳きこみながら、慌てて首を押さえます。私の首からは、どくどくと血が溢れて――は、いません。
「はい、終わり」
けろっとした声で言う桜子さん。振り向くと、満足げな笑顔を浮かべています。
なにか、すっきりしたような顔です――憑(つ)き物が落ちた、というか。
いえ、憑かれているのは私のはずなのですが。
「終わりって――」
「写真を見てごらんなさい」
スマートフォンの中では、私の首が血まみれでした。
「これって、大丈夫なんですか」
画面を向けて、桜子さんにたずねます。
「うん、大丈夫。もう呪いは執行された。その証よ、それは」
「はあ……」
いまいち納得はできませんでしたが、桜子さんいわく、今の行為で呪いは上書きされ、私の命は助かったということ。それならば……よしとしましょうか。
「でもこれって、悪趣味じゃありません?」
「そうかしら? まあ、諦めなさい」
「そうですか……」
私はため息をつきます。写真の中の私たちはどこかしらから血を流していて――リサとユウナは、実際に大怪我を負ってしまった。
私だけが助かった。助けてもらった。
けれどもしかしたら、私の苦難は、これからなのかもしれません。
だって写真には、どう見ても4人の姿が写っているのですから。
リサと私とユウナと。
あとは、私の背中から真っ白な両腕が回されて――
肩の上に、にっこりと。
笑顔の桜子さんが、新たに写りこんでいました。
+ + +
さらに翌日。
普段、小説など読まない私は、書店に行き、指運(ゆびうん)で選んだ一冊を持って、三度(みたび)桜子さんの元へと向かいました。
「桜子さん」
背中に向かって声をかけると、彼女は振り向きました。黒目がちな眼は、今日も吸い込まれそうに深くて黒く、けれど水面(みなも)のようにきらめいています。
「いらっしゃい、マコト君」
「あのこれ、お約束の報酬です」
言って、私は書店の包みを桜子さんに差し出します。
「あら、ありがとう」
嬉しそうな彼女の笑顔は、しかしすぐに消え去りました。
「……なに、この本。私への当てつけ?」
「いえ、別に。私、普段本は読まないもので。何となくで選んだんですけど……お嫌いでしたか?」
「そういうわけじゃないけどさ……」
桜子さんは口を尖らせます。まずかったでしょうか。
「ところで、聞きたいことがあるんです」
私がそう切り出すと、桜子さんはため息まじりに応じてくれました。
「桜子さんって、幽霊なんですか」
「……そうよ。当たり前じゃない」
「思った以上にあっさり認めるんですね。少し驚きました」
「あのね、驚いたのはこっちよ。そんなにストレートにたずねてきたの、あなたが初めてよ」
呆れたように肩を落とす仕草も、とても似合っていました。
「かつて、触れてはならない七不思議に触れ、命を落とした、可憐で可哀想な悲劇の美少女(ヒロイン)。それが私の正体よ」
「可憐……ですか。ですね」
自覚的に過ぎるのも、それはそれでどうなのでしょうか。
「だから心霊現象にも詳しいんですか」
「そうね、不本意ながら。怖いのは嫌いなんだけど」
「幽霊なのに?」
「それとこれとは話が別よ。気味が悪いじゃない、ほかの幽霊なんて」
意外と怖がりらしいです。桜子さんは、本当に嫌そうな顔をしているのです。
「だいたい、私のことを殺したのよ? 怖くないほうがおかしいでしょう。だから復讐の一環よ、心霊現象に立ち向かうのはね。そしていつか、私を死に追いやった悪霊を、ぎゃふんと言わせてあげるわ」
「ぎゃふん、ですか」
微妙に、いや、相当に言葉のセンスが古い。
桜子さんは一体、いつの時代の人なのでしょう。
――怖くて聞けない。
知らないほうがいいことも、きっとある。
「あの、また何かあったら相談に来てもいいですか」
私がたずねると、
「もちろんよ。何もなくても来なさい。来なかったら呪ってやるから」
どの道、逃れることはできないらしいです。
桜子さんはそう言うと、私の買ってきた小説を開きました。どうやら、今日のお話はここまでのようです。
透けるような肌をした桜子さんは、パイプ椅子に腰掛け、小説を読み始めました。
彼女の指先には木漏れ日が落ちて、本のページと、彼女の白い肌を照らしています。桜子さんが肩を揺らすと、髪の束が、はらりと手元まで垂れ下がりました。
私は首をさすりながら、そんな彼女のことをしばらく眺めていました。
桜子さんは、私の選んだホラー小説を、おっかなびっくり読んでいます。
(終わり)
私はベッドに腰かけて、スマートフォンの画面を穴が空くほど見つめました。今日のクラスマッチ終わりに、3人で撮った写真です。
……誰かに相談するべきでしょうか。
けれど、誰に。霊能者の知り合いなんて、いるはずもありません。ユウナにはともかく、リサには話さないほうがいいでしょう。
体育館で撮った写真。
笑顔の3人。
ピースサイン。
ハーフパンツの体操服。
すらりとしたリサの足首に、ひたりと這う青白い手。
周りには、私たち以外、誰もいないのです。
「心霊写真……ですか」
私のため息は、エアコンの低い音にかき消されました。
+ + +
翌朝、教室で会った2人には、
「すみません。昨日の写真、間違って消してしまいました」
と嘘をついて、写真の存在――『あってはならないもの』の存在を隠しました。知らないほうがいいこともあるのです。
「マコトは抜けてるからなあ」
リサは私のことを咎(とが)めるでもなく、大きな口で、にかっと笑います。私の横で椅子に座り、頬杖をついてそう言いました。
言いながら無造作に組んだリサの足は、健康的で、白くて、そして長いのです。バレー部である彼女にとって、それは商売道具のひとつです。
「なによ、ジロジロ見て」
「いえ、なんでも――」
あの青白い手が写っていたのは、リサの右足。
足首を包み込むように、長い指が伸びていました。がしっと、掴んでいたのです。拡大すると、筋張ったその手には、恐ろしいほどの力が加えられているように――私には見えました。
けれどリサの足には、その痕跡らしきものは見受けられないのです。やはりあれは、人ではない、なにか。
「ま、見られて恥ずかしいような足はしてないけどね」
私の気も知らず、そう言ってリサは足を組み替えます。リサのスカートは短くて、周囲の男子がちらちらとこちらを窺っています。ええ、間違いなく視線を感じます。
「恥ずかしいのは、足じゃなくてそういう振る舞いだと思うけど」
ユウナが横から茶化すように言いました。
栗色のショートボブ。とろんとした二重まぶたに、ぷっくりした唇。いわゆる『男好きのするタイプ』――でしょうか。フルートの達人でもあるユウナは、私から見ても、とても可愛い女の子です。
「ねえ、バレー部の試合って日曜日でしょ。何時から?」
ユウナは、リサにたずねます。
「なに、応援に来てくれるの? 吹奏楽部も忙しいんじゃない?」
「大丈夫。こっちは大会までまだ少しあるから。マコトも一緒に行くでしょ?」
もちろん。
私は答えます。
「じゃあ決まり。リサ、負けたら承知しないからね」
「頑張ってくださいね」
私たちの激励を受けて、リサは明るく笑いました。
+ + +
どこのクラスにも、うわさ好きな生徒はいるものです。
私のクラスの場合は、放送部の進藤さん。写真の件を誰に相談していいか分からず、2限目が終わった休み時間、彼女の席に近づき、たずねてみました。
ただし、私のスマートフォンに心霊写真などという、格好のうわさのネタがひそんでいることは伏せたまま。
「この学校で一番、オカルト話に強い人って誰ですか?」
そんなふうに、聞いてみたのです。
「そうねえ、……ふふっ、こんな話、知ってる?」
眼鏡の奥で、進藤さんの目がきらりと光ります。これは、うわさ話フリーク特有の眼光です。
「プールサイドの桜子さん」
「はあ……」
もちろん、私の知らない人です。
「プールの横に、桜並木があるでしょ。昼休みになると、そこにパイプ椅子を置いて、ひとりで本を読んでいるの。校舎からだと陰になって見えないから、知らない人が多いんだけどね」
プールサイドの定義が広すぎる気がします。大雑把です。まあ、あくまでうわさ話ですから、その辺りは仕方がないのかもしれません。
「その人が、その……お化けとか、幽霊とか、色々と詳しいんですね」
「まあね。なんでも、学校の七不思議をひとりで解決したとかなんとか。でもね、桜子さんの姿って、その場所でしか目撃されないの」
「というと?」
「校舎で見かけた人はいないし、学年も分からない。けれど確かに『いる』のよ」
なんだか、その人のほうが怪談めいています。
+ + +
昼休みになると、私は『プールサイド』に足を運びました。
……いました。
じりじりと焼けるような日差しのなか、木陰にパイプ椅子を置いて、桜子さんの後ろ姿がありました。
背中に垂らした黒くて長い髪が、そよそよと風に揺れています。セミの声がやかましく鳴り響いているのに、彼女の周りだけは、まるで外界と切り離されたように静かです。近づくと、ひんやりとしました。
「あの、『桜子さん』ですか?」
私はおずおずと口を開きます。
「そうよ。あなたは?」
振り向いた桜子さんの横顔は、とても綺麗でした。黒目がちな眼。細い眉。すっきりとした鼻筋に、桜色した薄い唇。彼女はわずかに――本当にわずかに、息を呑んだような顔をしました。
私は、立ちあがる気配のない桜子さんの側(そば)まで歩み寄り、自己紹介をしました。そして、心霊写真のことも。
「……それで、桜子さんならこういう心霊方面に強いと聞いたもので。お邪魔かなとっも思ったんですけど」
「そんなことはないわ」
手にしていたハードカバーの小説をぱたんと閉じて、桜子さんはそう言いました。彼女の声はとても澄んでいました。
「私はあなたみたいな人を待っているの。学校で起こる恐ろしい話や、怖い話。怪奇現象や都市伝説、すこし不可思議なできごと……そういうものを解決するのが、私の生きがいなの。……そう、生きがい」
桜子さんはふふっと笑って、肩まで垂れた黒髪を耳に掛けます。
細くて白い指。写真の手とは違う白さ。あちらはおぞましく感じられるのに、桜子さんの手は透けるように儚げです。夏服の白いブラウスよりも、ずっと白い肌。
――ああ、やはり怪談の登場人物のように、現実離れしています。
私が見とれていると、桜子さんは、
「じゃあまずは報酬の話から」
急に、現実的なことを言い出しました。
+ + +
「お金をお支払いすればよろしいでしょうか」
「ううん……いや、まあ、半分は当たりかな。本が欲しいのよ」
「本、ですか」
「そ。私は
それくらいなら、まあ私のお小遣いでなんとかなるでしょう。
「分かりました。お約束します。あの、それで……」
「嫉妬よ」
桜子さんは、はっきりとした声で言い放つのです。私は、わけがわかりません。
「嫉妬って、ジェラシーですか」
「他に何があるの? その心霊写真の正体は『嫉妬』よ」
「はあ……」
「なによ、気のない返事ね。ほら、解決したでしょう。本をちょうだい」
なんということでしょう。たった一言で私の依頼を片付けたと言い張るのです。さすがに、これは横暴が過ぎます。
「それでは何の解決にもなっていませんが――」
「なぜ?」
桜子さんは首をかしげます。
私も、首をかしげました。
「いえ、ですから。お祓(はら)いとか、して頂かないと――」
「できないわよ、そんなの」
当然のように桜子さんは言い切ります。これは、私の早とちりでしょうか。『七不思議を解決した』などという話から、てっきり、霊能力のようなものを期待していたのですが。
「というか、無理よ。もう手遅れ」
「手遅れ?」
「写真に写った時点でもう、遅かったのよ。呪いは
「3人?」
どういうことでしょう。リサだけでなく、私とユウナにも?
「妬(ねた)みに、嫉(そね)み。強い念は、呪いの矢になって対象に突き刺さる。その写真を見る限り、あなたたち3人はそれぞれ嫉妬の対象になってるみたいね」
「でも私は……」
私は、特にこれと言って何の取り柄もありません。嫉妬される覚えなどないのです。
リサはバレー部のエース。明るくて、男の子とも気さくにやり取りができて、口は悪いところもあるけれど、とても優しい。
一方のユウナは、吹奏楽部で誰よりもフルートが上手。料理も出来るし、バレンタインデーが近づくと、彼女からチョコをもらおうと男子はソワソワしはじめる。
それに引き換え、私は至って平凡。帰宅部で運動神経はゼロ。料理もできない。いびつな切り口の野菜炒めがせいいっぱい。音楽なんて、もってのほか。2人とは違って、自慢できることなんて――
「あなた、モテるでしょう?」
桜子さんは、口元を歪めて言いました。
「そんなことありません」
「ふうん……ま、いいけど。これ、返すわね」
つぶやいて、桜子さんは私に、スマートフォンを投げて寄越します。慌ててキャッチ。もっと丁寧に扱ってもらいたいものです。
「ともかく。もう私にはどうしようもないわ、あなたたちのことは。――
「そう、ですか」
よく意味が分かりません。
「……納得がいかないんならいいわよ。報酬の件はなかったことにしてあげても」
そういうことではないのですが……いえ、ほんのちょびっと、報酬のことも引っ掛かってはいますけれど。
「ひとつだけアドバイス。これは、あなたの精神衛生上、気をつけておいたほうがいいって話」
桜子さんは、じっと、私の目を見ます。
「その写真はもう見ないこと。どうしようもないことで、あなたが気に病む必要はないわ。それから、写真を消してもダメ。呪いが余計に強くなることがあるから。あ、これはサービスだから。無報酬でいいわよ」
「……霊能力者じゃないのに、詳しいんですね、桜子さん」
「もちろん。当たり前でしょ」
それだけ言って、桜子さんはふたたび小説を開きました。
お話は終わり。
そういうことのようです。
その日の放課後のことでした。
リサが、バレーのできない足になってしまったのは。
+ + +
練習中、アキレス腱を切ったのだそうです。
私がそのことを知ったのは、翌日、学校でのことでした。リサは欠席していました。
少なくともこの夏のあいだは絶対安静なのだそうです。
『せっかく応援に来てくれるはずだったのに、ごめんね』
病室から送信されてきたそのメッセージは、リサらしい心遣いが込められていて、痛々しかったです。こういう時は泣いたっていいのに。わめき散らしたっていいのに。
けれど、そうしないのが――できないのがリサなのです。だから、今度お見舞いに行くときには、彼女の大好きなメロンを差し入れようと、そう思いました。
+ + +
嫉妬の心霊写真。
どうすることもできないと、桜子さんは言いました。
悔しいです。
リサのことがあって、どうにかしないと思いつつも、何も出来ないまま2日が過ぎました。
『写真を見てはいけない』――
日曜日の夜、家で無為に過ごしていたとき、ふと、桜子さんの言葉が思い出されました。
なぜなのでしょう。リサを救えなかったことを、後悔するから? そんな感情は、写真を見なくても、嫌というほど味わっています。私は、何もできなかった。せめてリサに教えていれば、何かが変わったかもしれない。
けれども私は、そうしなかった。
いや。
そういえば。
3人、と桜子さんは言った。
――これから私とユウナの身にも、何かが起こる?
――リサと同じように、嫉妬の呪いが振りかかる?
そう考えると、居ても立ってもいられなくなり、写真を見てしまいました。
桜子さんのアドバイスを無駄にしてしいました。私は恐怖の誘惑に負け、スマートフォンを開き、3人で撮った写真を見てしまったのです。
――後悔と、おぞ気(け)が走りました。
リサの足首は、血まみれになっていました。
手があった辺りが赤く染まり、ただれていました。それはまるで、彼女に対する呪いが執行されてしまったことを示すようです。
――それだけでも、嫌なのに。
ユウナの指が青白い手によって、ぐちゃぐちゃに握りつぶされていました。ピースをしていたはずの、右手の指。
私は夢中で電話を掛けていました。
出ません。
ユウナは電話に出てくれません。
呆然として、私はもう一度、写真を眺めます。
笑顔の3人――リサと、私と、ユウナと。
リサの、血まみれの足首。
ユウナの、つぶれた指。
青白い手は、今度は私の首に掛けられていました。
+ + +
「桜子さん。写真、見てしまいました」
月曜日の昼休み。私はそう告白しました。
ユウナは日曜日――つまりは昨日、自転車に乗って買い物に行く途中、交通事故に巻き込まれたのだそうです。右手が軽トラックとブロック塀とに挟まれて、たくさんの骨が折れた、ということでした。フルートは、長らく吹けそうにありません。
怖くなった私は、再びプールサイドを訪れていました。桜子さんは、やれやれといったふうに、小説を閉じ、肩をすくめ、
「それで?」
「それで、とは……」
「あなたはどこを
「いえ、その……」
口にするのも憚(はばか)られて、私は桜子さんに写真を見せました。
「これは……」
桜子さんは眉をひそめます。
はじめて、動揺した顔を見せました。
「首、か。あなた、よっぽど恨まれているみたいね」
「そんな……」
「ちょっと寝違えた、くらいじゃ済みそうにはないわね、どうも」
「もう、手遅れなんですか? 私……首を折られたり…………」
情けないですが、私の声は震えてしまいました。
「私は、2人を助けられなかった。どうにかできたかもしれないのに。それに、それに……」
「落ち着きなさい」
桜子さんは立ちあがると、椅子の上に小説を置いて、言いました。
「気は進まないけど、どうにかしてみるわ」
「……できるんですか」
「そうよ。あなたのお友達2人は命に別状なさそうだったから、できればこの方法は採りたくなかったのよ。それこそ、逆効果になる場合だってあるから」
目の前に立った桜子さんは、思ったより背が低く、私の鼻のあたりに彼女の額があります。彼女は見上げるようにして、
「後ろを向きなさい」
私は言いなりです。
もはや、桜子さんしか頼る人が、いない。
「これは荒療治よ。呪いに対して呪いで抗(あらが)う……上書きするのよ、より強い力で、ね」
何だか怖いことを、さらりと告げます。
「どうやって?」
私が疑問を口にするが早いか、桜子さんの針金のような指が、私の首に伸びました。両手です。優しく触れてきます。
くすぐったくて身をよじると、桜子さんは、
「ねえ、あなた。誰に対してもそうなのかしら?」
「そう、とは……?」
質問の意味が分かりません。
「敬語で話すでしょ、あなた。親しい友達に対してもそうなのかしら、という意味よ」
「そうですね。両親の影響でしょうか――物心ついたときから、こんな感じですけど」
「そう」
桜子さんの指に力が込められました。
後ろから、きゅうっと――締め付けられます。
「う、く――――」
写真の光景を再現しようというのでしょうか。
例の青白い手は片手でした。
ならば、より強く、両の手で締め付ける――と。
少し苦しいですが、我慢です。
「他の2人よりもあなたに向けられた嫉妬が強い。さあ、心当たりはあるかしら?」
「…………ありません」
どうにか言葉を絞り出します。
また一段と、喉が締め付けられました。
「い、痛いです、桜子さん……爪を、立てないで……」
「だめよ。必要なことだから」
仕方ありません。血が出ているかもしれませんが、やはり我慢です。
じりじりと暑くて、苦しくて。汗が止まりません。
「あなたは罪なひと――」
耳元で、囁くような桜子さんの声がします。背中を冷たい汗が一筋、流れていきました。
「無自覚とは、ときに罪なものよ。ただそこにあるだけで、人を傷つけることもある」
ひんやりとした声が響きます。一陣の風が吹くと、桜は緑の葉を揺らし、私の心もまた、ざわつきます。
私が犯した罪――本当に、心当たりがありません。
それに、リサとユウナも。彼女たちが誰かを傷つけたり、貶めたりすることは絶対にない。それは言い切れます。
では、嫉妬。
リサには部活でライバルがいたのかもしれません。ユウナにも。
けれど私は。運動もできず、成績もほどほど。私を蹴落としたいという人間が――果たしているのでしょうか。
「それが罪だというのよ」
桜子さんは冷酷な声で言います。私の罪を宣告します。
「あなたの気取ったしゃべり方。まあ、似合ってはいるけれど、鼻につく人だって多いでしょうね」
そう言われても、これが私なのですから仕方がありません。たとえ嫌われたとしても、恨まれるようなことではないはずです。
「そうね」
指が喉に食い込みます。
驚いたことに、ずぶりと肌を切り裂き、たくさんの指が奥深くまで侵入(はい)ってきます。
「ねえ、マコト君。あなたは罪なひとよ。男の子とは思えない涼やかな声。私みたいな世捨て人でも、つい見惚れてしまうほどの美貌。初めて会ったとき、驚いちゃった。……その大らかな性格も、人によっては羨望(せんぼう)の対象になるでしょうね」
声も出ません。
もはや桜子さんの指は、首を締めつけるのではなく、貫いています。
「あなたはきっと、自覚がないのでしょう。生まれつきそうなのだから。……けれど、それが問題なのよ。何の努力もなく手に入れた。周りはそう見るわ」
桜子さんは淡々と責めたてます。
「そして何より――」
ふふふっと、そら恐ろしい声で桜子さんは笑います。
「あなたも認める素敵なお友達。リサさんとユウナさん。あんな可愛い子たちを独り占めしているなんて――そりゃあ、周りは羨ましがるでしょう。ただそれだけで、憎いほどに思うでしょうよ」
私に――そんなつもりはありません。
「
桜子さんは切って捨てます。もはや骨が折れそうなほどの怪力でもって、私の首を握りつぶそうと――
「……そういうことよ」
そうしてやっと、私の首は解放されました。
がくんと、私は膝から崩れ落ちます。咳きこみながら、慌てて首を押さえます。私の首からは、どくどくと血が溢れて――は、いません。
「はい、終わり」
けろっとした声で言う桜子さん。振り向くと、満足げな笑顔を浮かべています。
なにか、すっきりしたような顔です――憑(つ)き物が落ちた、というか。
いえ、憑かれているのは私のはずなのですが。
「終わりって――」
「写真を見てごらんなさい」
スマートフォンの中では、私の首が血まみれでした。
「これって、大丈夫なんですか」
画面を向けて、桜子さんにたずねます。
「うん、大丈夫。もう呪いは執行された。その証よ、それは」
「はあ……」
いまいち納得はできませんでしたが、桜子さんいわく、今の行為で呪いは上書きされ、私の命は助かったということ。それならば……よしとしましょうか。
「でもこれって、悪趣味じゃありません?」
「そうかしら? まあ、諦めなさい」
「そうですか……」
私はため息をつきます。写真の中の私たちはどこかしらから血を流していて――リサとユウナは、実際に大怪我を負ってしまった。
私だけが助かった。助けてもらった。
けれどもしかしたら、私の苦難は、これからなのかもしれません。
だって写真には、どう見ても4人の姿が写っているのですから。
リサと私とユウナと。
あとは、私の背中から真っ白な両腕が回されて――
肩の上に、にっこりと。
笑顔の桜子さんが、新たに写りこんでいました。
+ + +
さらに翌日。
普段、小説など読まない私は、書店に行き、指運(ゆびうん)で選んだ一冊を持って、三度(みたび)桜子さんの元へと向かいました。
「桜子さん」
背中に向かって声をかけると、彼女は振り向きました。黒目がちな眼は、今日も吸い込まれそうに深くて黒く、けれど水面(みなも)のようにきらめいています。
「いらっしゃい、マコト君」
「あのこれ、お約束の報酬です」
言って、私は書店の包みを桜子さんに差し出します。
「あら、ありがとう」
嬉しそうな彼女の笑顔は、しかしすぐに消え去りました。
「……なに、この本。私への当てつけ?」
「いえ、別に。私、普段本は読まないもので。何となくで選んだんですけど……お嫌いでしたか?」
「そういうわけじゃないけどさ……」
桜子さんは口を尖らせます。まずかったでしょうか。
「ところで、聞きたいことがあるんです」
私がそう切り出すと、桜子さんはため息まじりに応じてくれました。
「桜子さんって、幽霊なんですか」
「……そうよ。当たり前じゃない」
「思った以上にあっさり認めるんですね。少し驚きました」
「あのね、驚いたのはこっちよ。そんなにストレートにたずねてきたの、あなたが初めてよ」
呆れたように肩を落とす仕草も、とても似合っていました。
「かつて、触れてはならない七不思議に触れ、命を落とした、可憐で可哀想な悲劇の美少女(ヒロイン)。それが私の正体よ」
「可憐……ですか。ですね」
自覚的に過ぎるのも、それはそれでどうなのでしょうか。
「だから心霊現象にも詳しいんですか」
「そうね、不本意ながら。怖いのは嫌いなんだけど」
「幽霊なのに?」
「それとこれとは話が別よ。気味が悪いじゃない、ほかの幽霊なんて」
意外と怖がりらしいです。桜子さんは、本当に嫌そうな顔をしているのです。
「だいたい、私のことを殺したのよ? 怖くないほうがおかしいでしょう。だから復讐の一環よ、心霊現象に立ち向かうのはね。そしていつか、私を死に追いやった悪霊を、ぎゃふんと言わせてあげるわ」
「ぎゃふん、ですか」
微妙に、いや、相当に言葉のセンスが古い。
桜子さんは一体、いつの時代の人なのでしょう。
――怖くて聞けない。
知らないほうがいいことも、きっとある。
「あの、また何かあったら相談に来てもいいですか」
私がたずねると、
「もちろんよ。何もなくても来なさい。来なかったら呪ってやるから」
どの道、逃れることはできないらしいです。
桜子さんはそう言うと、私の買ってきた小説を開きました。どうやら、今日のお話はここまでのようです。
透けるような肌をした桜子さんは、パイプ椅子に腰掛け、小説を読み始めました。
彼女の指先には木漏れ日が落ちて、本のページと、彼女の白い肌を照らしています。桜子さんが肩を揺らすと、髪の束が、はらりと手元まで垂れ下がりました。
私は首をさすりながら、そんな彼女のことをしばらく眺めていました。
桜子さんは、私の選んだホラー小説を、おっかなびっくり読んでいます。
(終わり)