増える被害者(上)

文字数 6,812文字


「はい? え、だから先輩、なにを――」

 質問の途中で一方的に電話を切られた。
 北原紗映子(きたはら・さえこ)は、不満の表情を浮かべて受話器を置く。

 内線の相手――紗映子を会議室に呼び出したのは、同じ捜査一課の牧宮総司(まきみや・そうじ)だ。

「もう、何なの」

 他の連中には告げずに一人で来い、という牧宮からの指示を守り、紗映子は捜査一課と同じフロアにある小会議室へと向かった。

 中に入ると、蛍光灯も付けずに薄暗い中で、牧宮がひとり座っていた。

「ドア」
「は?」
「さっさと閉めろ」

 ぶっきらぼうな声。
 何やら難しい顔をして――不機嫌なのはいつものことだか――腕組みをし、足を横に投げ出している。

 牧宮の前の会議テーブルには、小型のノートパソコンが置かれてある。入口付近に立つ紗映子からは画面は確認できない。

「だから、何なんですか急に」
「いつまで突っ立ってる。さっさと来い」
「……変なことしたら、叫びますからね」

 しぶしぶ、牧宮の近くまで歩み寄る。
 牧宮は壁のほうに体を向けていて、先ほどから紗映子のことを見ていない。

 この無愛想な男は、紗映子の10歳上の36歳で、バツイチの中堅刑事だ。
 短くそろえた髪の毛と、四角い顔。
 眉間はいつもしかめられ、唇は常にへの字(、、、)

 こういうのが更に年を取ったら、聞き分けのない頑固ジジイになるんだろうなと、紗映子はしみじみ思った。牧宮は今でも十分に頑固なおっさんではあるが。

「あの」

 牧宮の横顔に声をかける。

「ご用は?」
「…………」

 せっかくこうして呼び出されてやって来たというのに、当の牧宮はむっつりと押し黙って、動こうともしない。そのしかめっ面(、、、、、)からは感情が読み取れない。

 さすがに苛々(いらいら)が募ってきた。
 紗映子だって暇ではないのだ。

 もう一度用件を催促しようと口を開きかけたとき、牧宮が言った。

「――被害者(ガイシャ)の日高がな」
「……は?」
「どうにも良くない」

 堅物の先輩は、いっそう苦々しい表情になって言う。

「そのうえ『上』も出張(でば)ってきて、ワケの分からん学者だの、研究所だのも絡んできやがった。これじゃあ捜査どころじゃない。どいつもこいつも、阿呆だ」

 一番ワケが分からんのはアンタだ――と思ったが、紗映子は忍耐力を総動員して、「はあ」とだけ応えた。

 牧宮はまた押し黙る。

「えっと」

 紗映子は牧宮の言う『事件』について考えを巡らせる。
 どの事件のことを言っているのか――。
 牧宮の担当している事件は。

「あの、もしかして、例の強姦(ごうかん)事件――のことですか?」
「…………」
「大学生グループの」
「……ちっ」

 まさかの舌打ち。
 なんだろうこの理不尽。

 それでも紗映子は怒りをぐっと押し殺して、牧宮の次の言葉を待った。

「そうだ。あの事件(ヤマ)だ」
「進展が、あったんですか?」
 
『ドリームランド強姦失踪事件』――

 1ヶ月前にこのM県内で起きた痛ましい事件である。

 直接の担当である牧宮ほどではないが、紗映子ももちろん知っている。

 地元の大学生5名が夏休みのある日に、廃園になった遊園地跡へと忍び込んだことが発端だ。7月のその蒸し暑い夜、5人は軽自動車に乗り込み――この時点で乗車定員オーバーで道交法違反なのだが――肝試しに向かったという。

 目的地はM県の山奥にある『裏野ドリームランド』。

 この遊園地は、30年前の開園当時は、物珍しさも手伝ってそれなりの集客を誇ったらしいが、すぐに客足が遠のいた。

 何せ立地が悪い。最寄りの駅からはバスで30分かかる。
 便も少なかったらしい。

 そのバス路線も今では廃線になっている。当然だろう。その遊園地の先には隣県に抜ける山道しかない。裏野ドリームランドが廃園になってしまえば、そんなどん詰まりに向けてバスを走らせる物好きなどいない。

 人気(ひとけ)のない山中に取り残された、朽ちた遊園地。
 取り壊されずに残った遊具施設。
 夢と笑い声が消えたわびしい廃墟――。

 まあ、肝試しスポットとしてはそれなり(、、、、)だろう。


 大学生グループは男が3人と、女が2人。そして、この若い女性2人が被害者になったという事件である。

 上級生の男子3人に誘われ、肝試しに臨み、強姦された。

 男たちは元からそれが目的だったのだろう。
 夜深い山中に、悲鳴を聞きとめる者などいない。

 好都合な(、、、、)シチュエーション、手慣れた手口。そのため事件直後から、彼らは『常習犯』だったのではないかという噂が流れた。彼らの、大学での、また高校生の頃の生活態度がどこから(、、、、)か漏れ、ワイドショーやネットニュースを賑わせたのだ。

 そして事実、彼らは初犯ではなかった。
 他の被害者から申し出があり、彼らは全国に指名手配されるに至った。

 しかし――
 この経過には、おかしな点が残っている。
 紗映子はそう思う。

「容疑者の3名は逃走(、、)。その後、1名が遺体となって発見、残りの2名は依然として行方不明――でしたよね」
  
 この手の犯罪の場合、加害者は被害者の弱み――事件当時(、、、、)の様子を収めた画像や動画など――を握っており、事件そのものが明るみに出ないということがある。そうでなくても、被害者自身が告発するには覚悟の必要な事件なのだ――卑劣極まりない事件であるのだ。

 実際、この年若い犯罪者どもは、そうした手口で事に臨んでいたらしい。そしてこの唾棄(だき)すべき犯罪は、繰り返し行われていた。

 では――
 なぜ、今回に限って彼らは姿をくらませたのか。
 そこが疑問なのだ。

 何かがあった――のだろうか。
 彼らにとって想定外の、逃走せざるを得ない何かが――。
 

 3人のうち1人が遺体で発見されたのは、仲間割れの結果であろうという見解が強い。例えば、罪を犯し逃走するも、1人が及び腰になり自首を提案する。そうして、逆上した2人に殺害されてしまった――というシナリオだ。

 死体が発見されたのは、裏野ドリームランドよりさらに奥、県境近くの山中でのことだ。乗り捨てられた軽自動車の中に死体は置き去りにされていた。

 仲間の死体と、唯一の移動手段であるはずの自動車を残して、あとの2人はかき消えた。事件から1ヶ月が経っても、行方は知れない。

 そして、紗映子はその『裏切り者』の死因すら知らない。
 知らされていない。

 なぜかこの事件には、一課の中でも箝口令(こんこうれい)が敷かれており、一部の者しか詳しい事情を知らされていないのだ。

 もしかしたら圧力が掛かったのかもしれないと紗映子は思っている。逃走した2名のうち、どちらかの家族が大物政治家とか何とかで、これ以上の捜査は不都合だ、という具合にストップが掛かったのかもしれない。そういうことは、稀にある。

 遅々として進まない捜査に、マスコミは警察の怠慢だと喧伝している。事実、捜査一課のこの事件に対する動きは鈍化する一方で、最近ではもはや、風化しつつすらある。

 だが、もしかしたら牧宮は諦めていないのかもしれない。この頑固な先輩刑事は、何か独自の手がかりをつかみ、そして紗映子の意見を聞こうとしているのかもしれない。捜査一課で、女性は紗映子ひとりなのだ。

 紗映子は訊ねる。

「残り2人の行方が分かったんですか?」

 依然黙りつづける牧宮に、紗映子はなおも問いかける。

「山中をいくら捜しても、本人たちどころか遺留物すら見つからなかった。煙のように消えた。まるで神隠し――ジブリ映画みたいなことにでもなってるんですかね」
「そんな阿呆な話があってたまるか」

 吐き捨てるように牧宮は言う。

「超常現象でことが片付くなら、俺たちは何のために居るんだ? 科学捜査を信じなくて何を信じる。足で稼ぎ、耳で聞き、目で見たものを信じる。それがすべてだ。くだらん噂や妄言に、振り回されている暇はない」
「わかってますってば」

 紗映子はやや慌てて、取り繕う。

「ええっとですね、だから、私を呼びつけたのは? それを教えて頂けないと、私は何のコメントもしようがないんですけど」
「――ちっ」

 また舌打ち。
 先輩でなければ投げ飛ばして、顔面を踏んづけてやるところだ。

 牧宮は、相変わらずこちらに視線を向けず――まるで何かから目を逸らしているようにも見える――机上のノートパソコンを、紗映子のほうへ押しやった。

「はい?」
「……見ろ」
「見ろって、この、動画ですか?」

 ノートパソコンの画面には、動画ファイルがひとつ表示されていた。

「……変な動画じゃないでしょうね」
「わざわざ呼び出したんだ。そうに決まってるだろ」
「げ」

 セクハラの一種だったときにはこの側頭部を蹴り抜いてやろうと誓ってから、紗映子は動画のアイコンをクリックした。

 動画の再生が始まる。

「……病室?」

 カメラは天井に取り付けられてあるらしい。ベッドの直上から見下ろす角度で撮影されており、そのベッドでは黒髪の女性が眠っている。仰向けだ。寝相はいいらしく、シーツなどに乱れは見られない。

 画面は薄暗い。
 光源は定かではないが、もしかしたらほとんど暗闇なのかもしれない。だとすると、かなり高感度のカメラで撮影しているのだろうか。ただ、さすがに細かな部分までは確認できない。

 睡眠中の女性が、若い女で、少しやつれて(、、、、)いるらしい、ということまでは分かるが――

「あ」

 紗映子は声を漏らす。

「もしかして、これが例の被害者の? えっと、日高……」
美奈(みな)だ。日高美奈」

 日高は熟睡しているようだ。微動だにしない。眺めているうち、紗映子はいたたまれない気持ちになった。見てはいけないものを見ているような気分だ。

 暗い画面の中で彼女は。

 まるで死体のように映るのだ。

 寝息すら立てていないのではないだろうか。
 呼吸をして、いない。

 無論、そんなことはなく、きちんと生きているのだろう。
 けれども、無性にそう思えてしまったのだ。


 職業柄、紗映子は死体も見慣れている。
 血にまみれた死体、異臭を放つ死体、人のかたちを奪われた死体。

 そこに感慨はない。
 見ているこちらが辛いだとか、被害者が可哀想だとか、家族の心情を慮ると心苦しいだとか――そういうものは、ない(、、)

 それ(、、)は手がかりなのだ。
 犯人が残した最大の遺留物だ。

 動機がなんであれ、人の尊厳を最悪の形で傷つけた、憎むべき犯人。

 そこにたどり着くための手がかりである。その遺留物(したい)から、最大限の情報を引き出さなければならない。知らねばならない。それが紗映子の使命だ。

 だから紗映子は死体を恐れない。
 穢れたものとは思わない。
 信仰もしない。
 ただ、知ろうとするだけだ。
 観察するだけだ。

 だが、画面の中の死体――いや、生きている人間なのだが――は、何かが違う。何が違うのかは判らない。

 まるで別物。
 そう直感した理由は判らない。
 判らないが。

 どうにも。
 これは、
 怖い。

 耐えきれず、紗映子は聞いた。

「これがいったい――」
「黙って見てろ」
「…………」

 時間が進む。
 3分ほどは、特に異変もなかった。
 画面の女は死んだように眠っている。

 そして、ようやく動きがあった。
 日高が――日高が。

「えっ」

 ベッドの女が、目を見開いた。一瞬のことだった。何の前触れもなく、くわっと両眼を見開き、カメラを睨みつけた。

 ――ように見えた。

 だがすぐに目を閉じ、何事もなかったかのように眠る。

「い、今の」

 声が震えているのが自分でもわかった。

「なん、ですか? はは、寝付きの悪い子なんですかね」
「…………」

 牧宮は横目で画面を見ている。
 だが何も言わない。

 会議室に、息苦しいほどの沈黙が流れる。
 紗映子の胸に、暗闇がじわじわと浸食してくる。

 そしてさらに2分ほどが経った。
 今度は日高が寝返りを打った。
 静かに、ゆっくりと右側に体を向ける。

 ああ、よかった、きちんと生きている――紗映子は軽く安堵の息を漏らす。ただ、自身が抱いたその感想がおかしなものであるという自覚はあった。

『生きていて良かった』と思ったのは、被害者のことを考えての感想ではなく、『自分が見ているものが死体ではなかったんだ』という安堵でしかなかった。そんなことを思うのは初めてだった。動揺に鼓動が早くなる。

 ――と。

 黒髪が盛り上がった。

 画面の中の、日高の髪だ。

「へ――?」

 日高の長い黒髪の、うなじ付近。
 むくむくと、ひとりでに、
 膨らんでいる。

 日高は動いていない。目を閉じたまま眠り続けている。

 彼女の意志ではない。
 彼女の肉体の、正常な反応とも違う。
 首のつけ根が膨らむなどという生理現象はない。

「は……」

 紗映子は直感した。

 内側から、何かが、 


 ――生まれる。



 なぜそう思ったかは判らない。


 ■ ■ ■



「こ、これ」

 そう言ったきり、紗映子は言葉を継げずにいた。
 画面の中で異変が続いている。

 手だ。

 日高の黒髪を押し分けて出てきたのは、赤ん坊ほどの大きさの手。その次に顔。胎児の顔。酸素を欲しがるように口をぱくぱくさせて――

 赤ん坊が生えてくる(、、、、、)

 胸の辺りまで生えたところで、それ(、、)の髪が伸びた。日高と同じ、黒くて長い髪。その伸びに合わせて赤ん坊が成長する。

「あ、は、は」

 喉が渇く。
 良くできたCGですね、などと軽口を叩こうとして牧宮の横顔を見るが、彼もまた、重々しい視線を画面に送っている。

 冗談ではない――のだろう。
 紗映子は視線を戻す。

 日高自身には変化はない。
 自身の背中で起こる異変にも気づかず、眠りつづけている。まったく動かない。動いているのはただ、『うなじの赤ん坊』だけだ。

 でも聞こえる。
 紗映子には聞こえる。
 この動画に音声はないが、それでも聞こえた。

 みしみし、と、
 音がしている。

 日高の(くび)を、その骨と肉を掻き分けて、赤ん坊が生まれている。

 その誕生する赤ん坊は、次第に髪の毛が生えそろい、四肢が伸び、乳房が膨らむ。

 ――同じだ。
 日高と同じ背格好。
 やつれ具合まで同じ。

 皮膚が波打ち、日高の服まで再現する。白い病衣(びょうい)。これで同じだ。日高と同じになった。


 被害者が――増えた。


「は、あ――」

 新しく生まれた日高は、もとの日高と背中合わせで眠る。まるで――本当に何事もなかったかのように、新しい日高は眼を閉じ、左の方向に体を向けて眠りだした。

 そこで、
 ぷつりと再生が終わる。
 
 と同時、牧宮の腕が伸び、ノートパソコンの画面を乱暴に閉じた。もうたくさんだ、とでも言わんばかりの動作だった。そして彼の顔も。紗映子をじろりと見上げて、牧宮は言う。

「どう思う?」
「ど、どうって」
「これは現実だと思うか、という意味だ」
「い、いやぁ、さすがに何か、その、トリックというか何というか」

 こんな映像なんて、作ろうと思えばアマチュアでも作れるだろう。それなりの技術や機材が必要だろうから、誰でもとはいかないが、高度な専門知識までは必要とされないはずだ。画像も粗かった。映像トリックのお粗末さを隠すために、あえて暗い画面にしているのかもしれない。

 でも――。
 これは違う。

 刑事の勘などという大層なものではない。
 この、肌の裏側を虫が這うような感覚は。

 これは――

「これで十五人目だ」

 と、牧宮が言った。

「は?」
「忌々しいことにな」
「は、え……?」

 牧宮の言うことが理解できなかった。
 十五人。
 どういう意味だろう。

 いや、本当は考えるまでもない。
 答えは分かっている。
 紗映子は分かっている。

 ただ――考えたくないだけだ。

 思考を放棄したその先を、仏頂面の先輩刑事が冷淡に告げた。


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