第42話

文字数 586文字

「なんだよ、ジコ―、いつもならあんな美人、おめえだってほっておかねえだろ」
 慈光の危なっかしい運転も気にならないくらい、総一郎は助手席でむくれていた。しかし、坊主は、なぜか、めずらしく難しい顔をして前を向いたまま、黙り込んでいる。
「何、お前が怒ってんだよ、怒るのは俺の方だ。おい、ジコ―、なんか言えよ」
 坊主は眉を寄せたまま、鼻から息を吐き出すと口を尖らせた。
「だって、だって、総ちゃん、いつもと様子が違うもの」
「なんだよ、それ」
「一目ぼれしちゃったんじゃないの、あの人に」
「なんだよ、それ」
 柄にもなく総一郎が赤くなったのを見て、慈光は汚い物を目にした後のように顔をしかめた。
「ふみちゃんがかわいそうだ」
「なんでふみちゃんが関係すんだよ」
「それだけじゃない。あの人、確かに美人だったけど、美人すぎて、なんか怖いよ。嫌だよ、僕は」
「お前が嫌なら、ほっといてくれよ。けど、もう、会えないんだろうなあ、ちくしょう、連絡先、聞いとけばよかった」
 助手席の窓に頭を押し付け、白地にピンクの縁取りがされた女のハンカチを見つめながらため息をつく総一郎のことを、慈光はちらりと横目で見て、不安そうに顔を曇らせた。
 さっきまで晴れ渡っていた空をいつのまにか黒い湿った雲が覆い隠してしまった。遠くでゴロゴロと雷の音がする。
 今の自分の気持ちを、天気が代弁してくれているようだと慈光は思った。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み