第9話

文字数 1,541文字

 墓参りに行くのだから、ちゃんとスーツとネクタイをした方がいいと慈光は譲らなかった。だったら、どうせなら、もっと地味なものはないのかと言うと、喪服を持ち出した。ところが、真っ黒な喪服を着こんだ坊主は、さらにいかがわしい雰囲気を漂わせていたので、仕方なく、慈光のワードローブの中では一番地味だというこのからし色に落ち着いたのだが、やはり、普通の感覚の持ち主ならば目をむく。
 総一郎はわざと小首をかしげて富貴子の視線に考えるふりをし、それからいかにも今気付いたというふうに「ああ」と、安心感をあたえる笑顔をみせた。
「彼は僕の友人で慈光という僧侶なんです。実は、彼の寺の檀家さんが今、東京にお住まいで、相談を持ちかけられましてね。それで僕は車の運転手をしてあげるので帰りにこちらへお参りしたいと頼んだのです」
 にこやかに語る総一郎を見上げる富貴子はまだ半信半疑の顔である。慈光はそれに気付いているのかいないのか、にやけた顔を無理やり引っ込めて、内ポケットから数珠を取り出し、寺での相談者相手のときのような威厳ある僧侶の声で言った。
「総ちゃ、いや、総一郎くんが亡き友人に不義理をしていたということであれば、せめて私が彼の気持ちが伝わるよう、経のひとつでもと思いまして、同行した次第でございます」
 数珠を握って手を合わせ、ぺこりと頭を下げる坊主に、少し、富貴子の不信感も和らいだようだ。青ざめた顔に色を取り戻して、ほっと息を吐いた。
「ありがとうございます、きっと祐太くんも喜ぶと思います、よろしくお願いします」
 目を伏せて、また手を合わせる富貴子を見下ろしながら慈光は優しく問いかけた。
「あなたは、川本祐太さんのお身内の方ですか」
 富貴子はゆっくりと首を左右に振った。
「いえ、恋人、でした」
 その言葉に、慈光はわざとらしく眉毛を上げた。
「そうでしたか、いやはや、あなたはお心の広い方なのですね。生前の彼には、きっといろいろ、心中穏やかではないこともあったでしょうに。今でも弔っていらっしゃるとは。いや、総一郎くんから聞いたのですが、祐太さんという方は…」
「おい、よせよ」
 総一郎は慈光の脇腹を肘でついた。その様子に、富貴子は目を上げて眉を寄せ、首をかしげた。ついでに、二人の背後にいる祐太本人も目をぱちくりさせて首を捻る。
「ちょ、ちょっと、何を言うんですか」
 驚いた祐太の声は総一郎にしか聞こえない、ので、無視する。
「あの、心中穏やかでないことって…」
 富貴子のかすれた声に、総一郎と慈光は目を見開き、互いの顔を見合わせた。そして何やらひそひそと会話をかわすと、嘘っぽい笑顔を富貴子に向けた。
「なんでもないんですよ、すいません。ご存知ないなら、今さら仏様の恥をさらすのもどうかと…」
 奥歯にモノが挟まったような総一郎の言いざまに、富貴子はますます顔をしかめた。祐太は驚いた顔であたふたしている。
「あの、おっしゃってください。祐太くんが、どうかしたのですか」
 とまどう富貴子の声を聞いて、二人はまたもじょもじょと何か言い合っている。それからまた顔を見合わせると、総一郎はふうっとため息をついた。
「実は、その、祐太くんが、かなり、おさかん、だったという話で…」
「え~」
 今の「え~」は、祐太の叫び声であるが、やはり総一郎にしか聞こえないので無視する。
 富貴子は声を出すことができず、口をぽかんと開けたまま、目を大きく見開いた。
 上空で、三人の生者と一人の亡者を小馬鹿にするように、トンビがピーヒョロと鳴きながら、円を描いて舞っている。
「どういう、こと、なんですか、あの、おさかん、って」
 動揺を隠せない富貴子の青ざめた顔を総一郎は見つめて、一歩前に踏み出すと、彼女のほっそりとした肩に手をかけた。
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