第29話

文字数 2,008文字

「あんた、おもしろい人だなあ。ワシははっきりモノを言うヤツが嫌いじゃない。腹で何を考えてるかわからんヤツより、ずっと信用できるからな。けれど、そんな話はパピーとは関係ないだろう。ただのあんたの野次馬根性だ」
 総一郎はじっと多賀の目を見た。笑っていた老人は、笑みを引っ込めると、真面目くさった彼の顔を見返し、首をかしげた。総一郎はふっと小さく息を吐くと、ゆっくり言葉を発した。
「パピーがいなくなった状況には、おかしなことが多すぎるんだ」
「どういうことかね」
 総一郎は口を開きかけたが、弁護士をちらりと見て、また視線を多賀に戻した。
「ああ、彼ならかまわんよ。彼はあんたの言う通り弁護士でな。もともとは彼の親父さんに任せていたんだが、自転車で転倒して今、入院中なんで、彼はその代理なんだ」
 弁護士の髭の濃い男は「松原です」と慇懃に頭を下げた。
「じゃあ、遠慮なく、俺の考えをしゃべらせてもらいます。まず、沙耶さんとこに入った泥棒の話だけど。わざわざガラスカッターまで用意する泥棒が、金なんてなさそうな動物保護施設になんで入るんだ。表には看板も上げてるし、定期的に譲渡会も開催してるんだ、あの界隈ではあそこにいるのは犬猫ばっかりだって、みんな知ってる。それをわざわざ選んで入った。しかも、パピーだけいなくなってる。沙耶さんは何かの拍子にケージが開いたって言ってたけど、ケージなんて多少の震動で開くもんじゃない。つまり、泥棒は、はなっから、パピーを狙って侵入したんだ」
 多賀は目をしばたたかせた。田辺が、あからさまに「ええ~」っと驚きの声を上げたがその声は総一郎にしか届いていない。
「それもおかしな話だ。パピーが何十万とか、何百万の犬だってんならともかく、どこにでもいる雑種の犬だろ」
 この言葉には似ていると言われたチョビが気を悪くしてウーと唸った。
「けれど、あんたの犬ってだけで、値打ちがあると思うヤツがいる」
 多賀は総一郎をじっと見て「なるほど」と呟いた。
「それで、俺はあんたから話を聞こうと思った。もしかしたら、誘拐されて、身代金でも要求されてんじゃないかって」
「そんなことはない、脅迫状だってきてないぞ」
 老人の答えに総一郎は頷く。
「そしたら、なんてことはない。あんたが資産家で、息子とはうまくいってない。あんたは一人暮らしでパピーをかわいがってたんだろ。だとしたら、自分の死後、パピーが幸せに暮らしていけるように、そういう形で金が使われるようにしようと、弁護士センセに相談してんじゃねえのか。それで、息子さんは激怒した」
 総一郎は腕組みをすると、田辺の顔を見た。けれど、他の者たちには、彼が誰もいないところに目を向けているように見える。
「そもそも、田辺さんが死んだ状況だって、ヘンなんだ。あんた、自分が死んだのは『たぶん足を滑らせた』って言ったよな。たぶんってなんだよ。だいたい、死んだ奴らは、自分が死んだ状況をはっきりわかっているか、ぜんぜん覚えてないかのどっちかだ。たぶんなんて、口にする奴は、今までお目にかかったことがない」
「あんた、誰に向かって、何をしゃべっとるんだ」
 首を捻っていた多賀が、思わず問いかけた。それで、総一郎は「あっ」という顔をした。田辺はみんなに見えていないことに気付き、多賀と松原に目を向けて頭を掻き「いや、ただの独り言です」と笑ってごまかした。
 場を取り繕うように慈光がこほんと咳払いをする。
「話を戻しましょうよ。それで、多賀さんは、パピーちゃんに遺産を残すことにしたんですか」
 多賀はぎろりと慈光を睨み付け「なんでそんなことまで話さにゃならんのだ」と口を曲げたが、しばらく坊主の顔をまじまじと眺めてから、瞬きをした。
「あれ、あんた、そういえば、光明池って言ったな、もしかして明心寺の住職か。そんな格好しとるからわからんかった」
 慈光は恥ずかしそうに坊主頭を掻いた。
「病院に坊主のカッコっていうのも、どうかと思いまして」
 多賀はガハハと笑った。
「そりゃそうだ。そうか、明心寺か。あんたとこも、あの保護施設にいろいろ支援してるそうだな」
「いえ、うちの寺というより、母が個人的にやってるだけなんです」
 慈光の母は、以前から動物保護施設ハローの譲渡会を檀家の人たちに宣伝したり、寄付を募ったりしている。また、彼女自身も自分の資産から寄付をしていた。
 多賀は口元に笑みを浮かべてしばらく考えていたが、慈光に目を向けると静かに頷いた。
「実はな、パピーにではなくて、あの保護施設ハローに残そうと思っとる」
 慈光と総一郎は目を丸くしてじっと多賀を見た。多賀は、二人の視線を避けるように顔を窓に向け、遠くを見つめる。
窓の外の樹木のどこかにとまっているシジュウカラが、ツツピーと軽やかに囀っている。老人は、しばらく目を細めて野鳥の姿を探していたが、おもむろにふうっと息を吐き出し、ぽつりぽつりと語りだした。
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