第36話

文字数 1,079文字

「ほんで、総ちゃんはいくつになったんや」
 楓の間の中央に置かれた座卓の上の湯呑に口をつけて、酒をすすりながら生首は訊ねた。向かいで片膝を立てて座る総一郎は、湯呑を手に持ち、ぐいっと一息にあおると「もうすぐ三十」とそっけなく答えた。
 あの日から二十五年、総一郎と生首は、この楓の間で不思議な友情を深めていた。幼子の頃は、生首がしりとりや、なぞなぞの相手をしてやり、少年になると勉強を教えてやり、思春期の悩みを聞いてやった。総一郎に慈光という初めての友が出来た時は、泣いて喜んだ。成人してからは、こうして二人で酒を飲んでいる。ちなみに、この首だけのオヤジ、食い物は食わぬが、酒は飲む。総一郎が理由を訊ねると、
「胴がないから腹は減らん、口はあるから喉は乾くねん」
 と、口をすぼめて酒をすすり、ぷは~と満足げに息を吐いた。飲んだ酒がどこへ消えるのかは、本人にもよくわからない。
「もう、三十路かいな。だんだん、わての年に近付いてきたなあ。じき、追い抜かれそうや」
「そういや、首オヤジって、いくつなんだよ」
「忘れた」
 本当に忘れたのか、自分のことは言いたくないのかはわからない。そういうとき、あまり詮索しないのも、生首と総一郎がうまくやっていける理由のひとつだ。
 総一郎はするめをかじりながら、窓辺にちらりと目を向けた。首のオヤジは素知らぬ顔をして、また酒をすすっている。いいかげん、焦れた様子で総一郎は言った。
「なあ、それで、あの人は誰なんだよ、あんたが連れて来たんじゃねえのか」
 答える代りに、生首はニヤリと笑った。
 彼らが酒を酌み交わすこの部屋の窓辺の広縁に置かれた籐椅子に、月明かりに照らされて一人の男が腰かけていた。四十代前半くらいだろうか。細長い輪郭に、涼しい一重の目元をした、様子のいい顔つきだ。赤いチェック柄の長そでシャツにベージュのパンツを着たこざっぱりとした男である。もちろん、泊り客ではない。いや、生きている者ではなかった。
 男は自分を見つめる総一郎に向かって、ぺこりと会釈をすると、眉を寄せて口を引き締めた。ただ黙って、悲しそうな瞳で総一郎に訴えかける。
「ああ、もう、そういうの、やめてくれ。とにかく、あんたもこっち来て、一緒に飲まないか。この首だけのやつが飲めるんだから、全身あるあんただって、いけるだろ」
 男は生首に顔を向けた。首オヤジは、かくかくと頭を動かし、同意の意志をみせた。それに素直に従うように、男はゆっくりと立ち上がると、音もたてずにすうっと動いて、総一郎の斜め向かいに座った。
 森の奥深くから、ホトトギスの切ない声が響いていた。
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