第25話

文字数 1,521文字

 男は田辺雅彦と名乗った。享年三十六歳。四十九日もまだすんでいない、新米亡者であった。生前の職業は探偵だという。
「探偵さん、へえ、そんな人、ホントにいるんだ。しかも、こんな田舎に」
 慈光は田辺が座っているあたりをまじまじと眺めて感心した様子で眉を上げた。
「それで、その探偵さんが、何でチョビのことを追っ掛けてきたんだ」
 総一郎の言葉に、横でべたりと寝そべったチョビもうなずく。田辺は怒られた小学生のように肩をすくめると、上目遣いで答えた。
「実は、わたしの最後の依頼が、迷子の犬探しで、死んだのもそれが原因というか…」
 田辺は探偵といっても、犬猫探しや、子供の落し物探しなど、どちらかといえば、何でも屋的な仕事がほとんどだったらしい。そんな彼が最後に依頼された仕事というのは、独り暮らしの老人が飼っていた犬を探してくれというものだった。
「飼い主の老人、多賀正造さんが体調を崩しましてね。しばらく入院することになったんです。それで、飼っていた犬を、動物の保護施設に預けることにしたんです。ペットの一時預かりもされてるところだったので」
 ところが、その犬が、突然、逃げ出してしまったのだ。
「何でも、夜に泥棒が入ったらしくて、裏の通用口の鍵が壊されて開け放されていたうえ、犬のケージまで開いていたんですって。それで、たぶん、泥棒に驚いて、逃げちゃったんじゃないかって。探し回ったそうですが、見つからなくて。で、その施設の方が困り果てて、うちに相談に来られたんです」
 慈光は総一郎から伝えられた田辺の話を聞いて、うれしそうに手をぽんっと打った。
「わかった、その犬が、チョビと似てたんだ」
「そうなんです」
 それでチョビを追っ掛けていた、というのはわかった。しかし、総一郎は難しい顔をして顎をなでた。
「なあ、今、死んだのは犬探しが原因って言ったよな、それはどういう意味なんだ」
 田辺はちらりと総一郎に視線を向けると、気恥ずかしそうに口をもごもご動かした。
「よく似た犬を見つけて、後を追っ掛けたんです。もちろん、生きてるときなので、チョビじゃありません。あっちも生きてたと思います。それで、河原のあたりで見失ってしまって。捜しているうちに、その、たぶん、足を滑らせて川に落ちて。ちょうど、水嵩が増してたときで、一気に流されてしまって。気が付いたら、河原でわたしを取り囲む警官が検死するのをぼんやり眺めていました」
 チョビがクウンと鼻を鳴らした。
 話を聞いた慈光は眉根を寄せ、田辺が座るあたりに顔を向けて、手を合わせ目を閉じた。そしてゆっくり顔を上げると、眉を下げたまま言った。
「お気の毒でしたね。それで、もしかして、成仏する前に、その犬をどうしても見つけたい、とか、思ってる?」
「はい、はい、そうなんです」
 田辺は弾かれたように顔を上げて、身を乗り出した。
「わたし、確かに、探偵と言っても名ばかりで、つまらない仕事ばかりしてましたが、それでも依頼された仕事は、ひとつひとつ丁寧に受けていました。見つかるときも、見つからないときもありましたが、ちゃんと、依頼者の方が納得いくまで粘り強く取り組みました。だから、最後の最後に、こんな中途半端なままでは、死んでも死にきれません」
 総一郎と慈光は眉を寄せて顔を見合わせた。二人は頷き、同時にふうっと小さくため息をつくと、田辺に向き合った。
「わかったよ、探してやるよ、その犬。見つかったら安心して成仏できんだろ」
 総一郎の言葉と、慈光の微笑みに、田辺は一瞬、ぽかんとしていたが、すぐに両手を床につけて、頭を深々と下げた。
「何卒、何卒、よろしくお願いします」
 亡者の悲しい声に反応して、チョビがワンワンと景気よく鳴いた。
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