第53話

文字数 1,923文字

 それから。
 警察官のトオルは原因不明の高熱で三日三晩寝込んだ。いや、原因は不明ではなく、あきらかだった。
 彼にとり憑いた亡者のうち、浦さんは、リナの無事を見届けると、安心して自分からあの世へ帰っていった。首オヤジは、といえば、
「いやあ、なんや、ぬるま湯につかってるみたいで居心地よおて、離れられへん」
 と言って、トオルの頭の上ですっかりくつろいでいた。それだけならば、慈光が簡単に引き離せるのだが、さらに面倒なことになってしまっていた。
 森の中を歩いているうちに、あと三人ほど、あのあたりをさまよっていた見ず知らずのオヤジの霊を連れて来てしまったのだ。ハゲ、デブ、メガネの三拍子である。これを一気に祓おうとすると、首オヤジまで成仏させてしまうので、仕方なく一人ずつ、引き剥がすのだが、案外に、これが面倒だという。
「だってさあ、一人だけ残すって、そんなの今までやったことないもの」
 慈光が経を唱え始めると、首オヤジが騒ぎ立てた。
「わ、わ、わ、ジコ―、やめい、やばい、やばい、わて、消えてまうやんけ」
 慈光には聞こえないので何食わぬ顔で経を続けるのを総一郎が慌ててとめた。
 そんなわけで、思いのほか手こずってしまい、さすがに体力自慢のトオルの身体でも一気に衰弱してしまって、寝込んだというわけである。それを聞いた文香は、悪びれることもなく言った。
「トオルくんでよかったよねえ、他の人だったら命にかかわったかもね」
 その言葉を誰もトオルには伝える勇気はなかった。
 もう一人、悲惨な男がいた。
 文香から、リナの意識が戻ったと聞いた総一郎は、嬉々として松本の病院まで見舞いに行った。なんとなく、文香の口調から、おもしろそうな事態になりそうだと感じた慈光もついて行った。
 すっかりめかしこんで、巨大な花束なんぞをかかえた総一郎だったが、まず、病院の受付で「病院の決まりで植物の持ち込みは禁止されています」とあっさり、花束を取り上げられた。
 そんなことでめげる総一郎ではなかったが、さすがにその後、叩きのめされる。
 リナが入院している個室の部屋をノックすると、中から「はい」と小さく返事が聞こえた。 
 高まる気持ちを押さえながら、ゆっくり扉を開けると、ベッドの上で身体を起こしていたリナとその隣りの椅子に腰かけていた義父が同時に振り向いた。リナは髪を片側で束ねて結っている。頬に赤みがさして、顔色もいい。その明るい表情がすぐに真顔になり、目をぱちくりさせて小首をかしげた。
「リナさん、よかった、元気そうだね」
 めいいっぱいの紳士的な声を振り絞り、総一郎はリナに近付きながら言った。しかし、途端にリナの表情は強張り、身体を後ろに引いた。
「あ、ごめんね、花は病院がダメって言うから、今度は何かお菓子でも持ってくるね」
 だらしない笑みを浮かべてさらに近づく総一郎をまじまじと眺めながら、リナはあきらかに警戒して唇を震わせた。義父も怪訝な顔をしてリナをかばうように立ち上がった。
「あ、あなた、誰ですか…」
 かすれるリナの声に、総一郎の足が止まった。その後ろに、笑いをこらえて肩をゆする慈光と、文香がいた。文香に気付いたリナが助けを求めるように視線を泳がせた。それに応えて、文香が進み出る。
「河野さん、ごめんなさいねえ、この人、わたしの知り合いだから、怖がらなくても大丈夫よ。総一郎さん、どうしたの間抜けな顔して。なんか勘違いしてるんじゃないの、ほらほら、出て出て」
 リナは強張らせていた頬をゆるめると、胸に手をあててほっと、息を吐いた。
 硬直したままの総一郎を引きずりだし、病室の扉を閉めると、文香は薄ら笑いの顔で、あざけるように言った。
「ざ~んね~んでした、あの人ねえ、意識がなかったときのこと、つまり、生霊として抜け出してたときのこと、ま~ったく、覚えてないの、もちろん、総ちゃんのこともね」
 瞬時に総一郎の顔から血の気がひいた。力が抜けて、ふらふらとその場にへたりこんだ。うらめしそうに文香を見上げる。
「な、な、な、」
「なんで先に言わないんだって?言ったわよお、お兄ちゃんに」
 今度は首を捻って、情けない顔で慈光を見上げた。
「な、な、な、」
「なんで教えてくれなかったって?だってさあ、総ちゃん、僕が言ってもきかないでしょ、あの人は駄目だって言ってたのに、勝手にふらふらついていっちゃうんだもん。ちょっとは反省してもらわなきゃ」
 兄と妹は顔を見合わせて、ぐふふと笑った。
「この、クソボーズ、鬼ナース!」
「病院で大声ださないでください」
 そっくりな意地のわるい笑顔で、スキップして去って行く兄妹を見送りながら、総一郎は一人、頭を抱えて、いつまでもうずくまっていた。
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