第48話

文字数 1,158文字

 くらき荘に向かう車中で、文香は、意識が戻った男の証言から得た、心中事件のあらましを語った。
 河野リナは、会社の上司と不倫関係にあったのだが、彼女が本気になるにつれ、上司は疎ましくなり、彼女をあっさり捨てた。打ちひしがれる彼女を慰めたのが、以前からリナに好意を抱いていた同僚の山根という男だった。慰めの言葉をかけるうちに、彼は頼みごとをされた。行方知れずだった父の居場所がわかったから会いに行きたい。一人では不安だから一緒に行ってほしい、と。
「山根さん、そりゃあ、うれしそうに鼻の下のばして、いいよ、いいよって簡単に了承しちゃったんでしょうね、まったく馬鹿ものめが」
 山根はリナが運転する車の助手席に乗り、彼女が用意してくれたコーヒーを飲んで、その後から記憶がない。気付いたら、病院のベッドだった。
「山の中に車停めて、睡眠薬飲ませて、自分も飲んで。練炭、焚いたみたいなんだけど、たまたま、後部座席の窓が少し開いていたんだって。しかも、たまたま、道に迷った登山者が発見して、すぐに応急処置して救急呼んで、助かったんだって。ほんとに、たまたま、かしらね。見つけた人、その山は何度も登っているのに、なぜかそのときは、知らないうちに、登山道からはずれてたって。もしかしたら、浦さんが導いたのかもしれないね」
 トオルがどんどん仕上げるリナの似顔絵の出来栄えに感心していた慈光は、はっと顔を上げ、息をのんだ。
「ちょ、ちょっと待ってよ、お父さんの居場所って、あの世じゃないか。今は、くらき荘の楓の間だけど、そんなことあの女、知らないだろうし。まさか、総ちゃんも、同じように言われて鼻の下伸ばしてたりしたら…」
「だから、やばいって言ってるのよ~」
 文香の運転する車は、猛スピードでくらき荘の駐車場に突っ込み、斜めにゆがんだまま停車した。車を乗り捨てるように、三人は勢いよく飛び出すと、くらき荘の玄関へどかどかと駆け込んだ。玄関先にいた、到着したばかりの登山服を着た数名の泊り客が、三人の様子があまりにも異様だったのに驚き、左右に退いた。
 フロントにいた若女将の美弥子が振り向き「いらっしゃいませ」と言いかけて、すぐに「あら」と顔をほころばせた。
「ジコ―ちゃんとふみちゃん、それに、おまわりさんまで。どうしたの、そんなに慌てた顔して」
 三人はもどかしそうに靴を脱ぐと、スリッパも履かずに上り込んだ。
「美弥子さん、楓の間、ちょっと借りるね」
 文香が早口で言いながら、若女将の横を駆け抜けた。慈光がにこりと愛想笑いを向け、トオルがぺこりと頭を下げると、二人とも文香の後に続いた。
 三人が玄関の三和土に脱ぎ捨てた靴を並べながら、美弥子は狐につままれたような顔で首をかしげ、それから「肝試しかしら」とつぶやいてあきれた様子でふっと息を吐いた。
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