第4話

文字数 1,438文字

 見えない客は、まだ若い男だった。年齢は二十歳前後、肩幅が広くてなかなかいい体格をしている。しかし、短髪に黒縁メガネをかけた顔は童顔で、丸い二重の目とちんまりとした鼻が幼い子供のような愛嬌を漂わせている。
 総一郎は自分専用の丸いクッションを手に本堂に入ると、慈光の横にポンっとクッションを放り投げて「さてと」と言いながら胡坐をかいた。口の端にせんべいの屑がついているのを慈光が見兼ねて、そっと手を伸ばし払ってやった。
 亡者の青年は、正座をしたままゆっくりと顔を上げた。そして、慈光の横に座る総一郎を見て首をかしげた。
「あの、ご住職、こちらの方は、いったい」
 とまどいがちに慈光に声をかけたのだが、もちろん坊主の耳には聞こえていない。総一郎はこほんと咳払いをすると口を開いた。
「俺は、このナマクラ坊主の幼馴染で倉木総一郎だ。こいつ、この寺の坊主のくせに、実はあんたらの姿も声もまったく見聞きできないんでね。俺がこいつの通訳ってわけだ。心配すんな、こんなデブだが、この寺の妙技はホンモノだから、俺の通訳に沿って、こいつが経をよんだり、お札をかいたりする」
 青年の亡者は「はあ」と間の抜けた返事をすると、本当に慈光の目に自分が写っていないのかを確かめようと、坊主の丸い顔の前で手を振ったり、人差し指を立てて目玉を突く振りをしてみたが、まったく反応がないのを見て、あからさまに落胆した。
「そんなあ、この寺まで嘘っぱちだったなんて、今度こそはホンモノの霊能者に会えると思ってたのに…」
 実体のない身体が、さらに薄まっていくように見えた。総一郎は面倒くさそうに膝の上に肘をつき、手に顎をのせて横目で慈光を見た。
「なあ、ジコ―、こいつはお前に自分の姿が見えないから、嘘っぱち坊主だって言ってるぞ。お前の力を信じてねえやつを助けてやらなくてもいいんじゃねえか、どうせ、死人からは寄進もとれねえしよお。こんなやつほっといて、鰻行こうぜ、う、な、ぎ」
 吐き捨てるように言って立ち上がろうとする総一郎の腕を慈光が引き戻した。黒目がちの小さな目をしばしばさせて、太い眉を下げ、口を尖らせる。
「総ちゃん、待ってよ。わざわざうちを頼って来られたんだろ、こちらの亡者さんは。生きてる人も死んでる人も、頼ってきた人を救うのがうちの決まりなんだよ。せめて、どういった悩みなのか、聞いてあげてよ。死んでまで思い悩んでるなんて、気の毒だよ」
 総一郎は慈光の顔を見下ろした。昔から、こいつのこの、捨て犬のような黒目には勝てない。
「わかったよ、まったく、ナマクラのくせにヘンなとこだけ坊主らしいんだからな、お前は」
 仕方なく、ふうっと鼻から息を吐き出すと、投げやりな様子でどすんとクッションに座り直し、亡者の青年を睨み付けた。
「おい、聞こえたか。こいつは一応、こんなデブでもまっとうな坊主だ。それを嘘っぱち扱いすんじゃねえ。お前が救われるかどうかはなあ、こいつにかかってんだ。こんなとこまで来たんだから、うじうじしてねえで、言いたいこと言ってみやがれ」
 総一郎に凄まれて、亡者はびくりと身体を震わせ、慈光の顔を見た。もちろん、彼には亡者の姿は見えていない。けれども、自分に向けられた笑みをたたえた顔が、坊主の背後に鎮座する仏像の慈悲深い顔と重なった。
 亡者は背筋を伸ばして総一郎に向き合うと、ぺこりと頭を下げた。
「すいませんでした。あの、お話を慈光様にお伝えいただけますか」
 遠慮がちに唇を震わせて、亡者は語り始めた。
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