沢田研二さん、矢沢永吉さんに学ぶ。「あなたが「意地」を使う場所は、どこですか?」

文字数 1,471文字



 今から3年前、沢田研二さんが、予定されていたさいたまスーパーアリーナでの公演を、当日の開演 30分前になってドタキャンしてしまったことがあった。
 このニュースに触れた時、即時にとあるエピソード思い浮かんできた。
 それは、矢沢永吉さんがまだソロになって間もない頃の、地方公演に出た時の話だ。
 初めてコンサートで訪れた、長崎県佐世保市。当日、会場周辺は折からの土砂降りの雨に見舞われていた。
 嫌な予感は的中した。コンサートの蓋を開けてみれば、1,500人程のキャパの会場に、およそ200人の動員であったという。
 更に矢沢さんは、衝撃の裏話を楽屋でキャッチすることとなる。
「スタッフがこの雨の中、街中を駆け回ってタダ券を配っていたらしい」
 それでも、動員は200人。人の何倍も負けず嫌いな矢沢さん、それを聞いた時、悔しくて悔しくてたまらなかったという。
 これは、1980年にゲスト出演されたNHKの番組で、司会者より、「矢沢さんの人生の中で負けたことってありますか?」という質問を受け、真っ先に披露してくれたエピソードであった。
その日、ステージに上がった矢沢さんは、お客さんに向かって開口一番、次のように話を切り出した。
「俺は今、悔しいんだ。こんなに才能のある俺が、佐世保に来てこんなに侮辱されたことはない。だから、今日来てくれた200人のお客さん、あなたたちは幸せだ。なぜだか言おうか?こんなに素晴らしい矢沢を見れたから。これは俺のプライドだ!今日、俺はどこまで歌えるかわからないけど、素晴らしい歌を歌うから最後まで楽しんでいってください」
 それ以来、矢沢ファミリーのスタッフの中には、「リメンバー佐世保」という目標の合言葉が生まれた。
 2年後、矢沢さんは再び佐世保の同じ会場を、地方公演の会場にセレクトした。
「落とし前つけましたよ。超満員」
 これは、アーティスト矢沢のプライドであり、意地だ。
 さて、ジュリーの話に戻そう。
 沢田研二さんは、今回の公演ドタキャンに際して、「やる側としての意地」という弁明をボソボソと述べていた。
 意地、ね。
 矢沢さんと沢田さん。この1歳違いの70代前半となる代ベテランアーティストの、互いの「意地」の違いに注目してみたい。
 矢沢さんは、目の前に起きたことを受け入れる度量を持っている男だ。たとえそれが最悪の現実だとしても、それをエネルギーに転換し、彼流の言い方で「落とし前」をつけていく。あの、オーストラリアで30億円にも及ぶ横領事件の被害に遭った時も、彼は逃げも隠れもせずに、6年間かけて被害全額を完済した。
 彼は、己の意地をそのように転換し、いつでもファンの前に表してくれている。
 かたや、沢田さんはどうだ。
 9,000人のキャパに7,000人の有料入場である現実に憤慨して、挙句その現実を自己の責任へと問わず転嫁し、現実から逃れていく道を選んだ。
 矢沢さんが20代の頃のエピソードで、沢田さんがキャリア50年にして下した決断という境遇を、同じラインで比較することに疑問を掲げる者がいるかも知れないが、人間性を論じる上ではそれはまったく関係ない。20代であろうと、70代であろうと、仮にも、多くのファンを持つアーティストという立ち位置にいる選ばれし者であるならば、「意地」というものは、どの部分に持つべきなのか、その者がどのような想いを持ってステージと向き合っていこうとしているのか。
 その姿、生き様。僕はしっかり見つめてみたい。
 そして、だから私は矢沢永吉さんが大好きなんだ、とも最後に付け加えておこう。
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