「わかっちゃいるけどやめられない」という美しい真理の存在

文字数 1,721文字



 「スーダラ節を初めて聴いた時の衝撃といったら、プレスリーとビートルズを初めて聴いた時をはるかに凌ぐショックだった」
 これは、大瀧詠一氏が生前に、自身のラジオ番組でゲスト出演した植木等とのトーク中で披露したエピソードである。ミュージシャンとしての輝かしい実績と名声の他に、和洋のポップス研究家として深く精通した知識を持った業界の巨人が、エルヴィス・プレスリーとザ・ビートルズという20世紀を代表するポピュラー音楽界の巨星を引き合いに出し、スーダラ節を賞賛した。これは大きな驚愕であった。
 「スーダラ節」は、1960年代に一世を風靡したハナ肇とクレージーキャッツが、61年に放った昭和期を代表する大流行歌である。作詞は青島幸男、作曲は萩原哲晶。このゴールデンコンビに纏わるエピソードをはじめ、同曲についてはこれまでに多くの記述や出典が存在する。例えば、創作秘話として、グループの所属事務所である渡辺プロダクションの創業者、渡邊晋氏による新鮮な発想力が根源にあることや、作曲者の萩原哲晶氏の柔軟な音楽センスの結晶であることなどが様々なメディアで記述されてあるので、興味と機会があれば是非検索エンジンを元に出典研究の旅に出てみてほしい。
 私は、今でもハナ肇とクレージーキャッツの大ファンだ。彼らは、私が生まれる数年前より国民的人気グループの座を射止めていた。現在メンバーは、犬塚弘氏を残し、既に故人となってしまっている。今や「過去の人物」として括られるのであろうが、彼らが世に放ってくれた作品には、時代を遥かに超越して更に増し続けている輝きを見つけ出すことができる。
 メインボーカリストの植木等は、「無責任男」という代表的な役柄とは裏腹に、非常に真面目な性格であることが多くの証言により伝えられている。そんな植木が稀代の大流行歌、「スーダラ節」の楽譜を初めて渡された時に思ったことは、「この曲を歌うと自分の人生が変わってしまうのではないか」という率直な疑問と懸念であった。
 植木は、厳格で激しい正義感の持ち主である僧侶の父親に、この曲を自分が歌うべきかと直ぐに相談した。すると「どんな歌なんだ?」というので植木はその場でスーダラ節を歌ってみせた。余りにふざけた歌詞に激怒されると思いきや、父は「すばらしい!」と涙を流さんばかりに感動したという。
「この歌詞は、我が浄土真宗の宗祖、親鸞聖人の教えそのものだ。親鸞さまは90歳まで生きられて、あれをやっちゃいけない、これをやっちゃいけない、そういうことを最後までみんなやっちゃった。人類が生きている限り、このわかっちゃいるけどやめられないという生活はなくならない。これこそ親鸞聖人の教えなのだ。そういうものを人類の真理というんだ。上出来だ。がんばってこい!」
 このように父から諭された植木は、「スーダラ節」を歌うことを決意した。このエピソードは、植木が芸人として生きていく上で生涯の支えになったと伝えられている。稀代の大流行歌の裏側には、このような美しい心のエピソードがある。私は、この逸話が大好きだ。
「わかっちゃいるけどやめられない」
 このような精神論上では人の弱点ともとれることを、決してマイナスとして思考する道を選ばずに、「真理」として受け入れることを諭した父。この見解力のあり方には、心の寛大さと人間の勇ましさを感じることができる。植木父子の間で交わされた教えの姿には、大いに学ぶべきものがあるだろう。 
 ハナ肇とクレージーキャッツはコミックバンドとして知られているのだが、実際にはジャズの演奏力の高さを兼ね備えた、異色のタレント集団である。そして、大衆に愛されたギャグやコントに潜むユーモアのセンスのあり方には、現代のお笑いタレントにはない「品格」が備えられてあった。そこには、他者を小馬鹿にするような悪意なるネタはなく、ナベプロの後輩であるドリフターズのようなシモネタで人の奇をてらう術を選ぶこともなかった。
 私が彼らの大ファンである背景には、そのような姿勢への共鳴が存在する。エンターテインメントの世界として、このことはとても重要なことであり、後年にわたり再評価されるべきものであるはずだ。
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