恋はみずいろ

文字数 1,267文字



 陸奥国一之宮・鹽竈(しおがま)神社。ここへ参拝を行う習慣が身についてから、かなりの年月が経つ。
 創建1200年の本社は、地元では「しおがまさま」と呼ばれ、広く多くの人々に親しまれている。主祭神は、人々に塩の作り方を教えたとされる「塩土老翁神(しおつちおじのかみ)」。境内の授与所で販売される『御神塩』は、塩の神様がお分けする塩ということで、身につけておくと悪運を洗い流し、新しい運を呼び込む力があるとされる有名な塩だ。私は、長年この塩を常時携帯している。
 去年のことだ。友人数人とのドライブの初っ端にここを訪れたことがあった。その時刻は、ちょうど正午になろうとする時間帯であった。鹽竈神社の参拝の後、隣接して御鎮座する志波彦神社の参拝も済ませ、神社前から展望できる千賀の浦(塩釜湾)が視界に入ってきた頃、時計の針は正午を刻んでいた。
その時だ。
 港の方から突然、耳に馴染んだ麗しいメロディの音楽が流れてきた。
「あ、これはポール・モーリアの『恋はみずいろ』だね」
 友人の一人がそう私に教えてくれた。後に調べてみると、これは防災行政無線の定時放送とのこと。塩釜市では、市内に78箇所の無線の子局(スピーカー)が設置されており、このように定時に点検を兼ねて放送することで、緊急時の速報に万全を期すべくした防災整備に取り組まれている。
定時放送は、1日の中で正午と午後5時の2回行い、私が神社で耳にした正午に流される放送(音楽)は、先述の『恋はみずいろ』であり、午後5時には童謡『赤とんぼ』が流されている。さらに調べを重ねてみると、防災行政無線で『恋はみずいろ』を採用しているのは、塩釜市だけではなく、全国の様々な地方都市で用いられているのがわかった。
 さて、ここでクエスチョン。なぜ数ある楽曲の中から『恋はみずいろ』が選ばれてしまったのだろうか、ということだ。
 防災行政無線の事など何も知らずに、海原が視界に入った時、偶然、そして突然にこの無線放送の音楽が流れてくる場面に出会してしまった私。よく琴線に触れる、という例え方があるが、まさにこの表現の語源のツボに落とされてしまったような感覚が、心の中を瞬時に走り抜けていった。
 なんて美しく、悲しく、センチメンタルなメロディなのだろう・・・。
 塩釜の風景と重ねられて、この憂いに満ちた旋律が私の心に沁みてくれるのには、実はひとつ肝心な理由として挙げられるものがある。
 塩釜は、かつての恋人が住んでいた町だ。
 私は、昔の恋人への想いを引きずり、執着する道を歩むことはない。しかしながら、唯一この塩釜の彼女だけは、どこか不完全な想いを残したままで縁を絶ってしまったという、そのような傷跡があることを私は認めなければならない。彼女にも私と同様な傷があるのかについては、自分にとって生涯知らなくてもよいものとして分類している。
 ただ、それだけのことだ。
 『恋はみずいろ』、か。ありがとう、ポール・モーリアさん。
 私の場合、みずいろが『なみだいろ』である方が的確であること、令和三年、ここに記しておこう。
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