第90話 襲来

文字数 2,805文字

 どす黒くにごった空に、血のように赤い、いなずまが走った。
 同時に、切り裂く鳴動が、大地をゆらす。
「これは、よくない知らせだ」
 キリス・ギーが、つぶやく。
 すぐに、どおん、どおんと、足音のような響き。
 キリス・ギーは、ハラルドの塔の岩の裂け目から外をうかがう。
 とてつもなく大きなものが、塔に向かって近づいてくる。
「ロドクだ」
 それは、長い三本の首を持った、四つ足の怪物。
 両肩から背中にかけて三角の大きなトゲがあり、まるで羽のようだ。
「ルーンが残したほかに、キーゴンの生き残りが?」
 キリス・ギーの左首のコーティが、うなった。
「これは、たいへんだ」
 と、右の首のトルーム。
 ユティは、揺れる塔の中で、目を閉じている。
 ハーレイもアノネも、ゼルまで、ルーンの地へ行ってしまった。
 こんなときに……
 
 ロドクは、恐ろしい叫びを上げると、二本足で立ち上がり、塔の壁に当たってきた。
「なんとかしないと」
 トルームが、つぶやく。
 その時、塔の壁は開かれた。
 コーティとトルームは、顔を見合わせた。
「なんとかするぞ」
 キリス・ギーは、塔から外の大地に歩み出る。
 ロドクは、二本足で立ったまま、キリス・ギーに向かってきた。
「こいつ、二本足で立てたかな」
「大昔のことさ、忘れたよ」
 キリス・ギーは首同士で話すと、ロドクに身構える。
 2つの怪物は、戦いを始めた。
 ロドクは、三つ首を振って、キリス・ギーの体にめったやたらに噛みつく。そして、こちらの首を狙ってくる。
 キリス・ギーは、腕でロドクの牙をかわしつつ、コーティの口が、相手の左の首をくわえた。
「はなすな。一本ずつしとめろ」
 トルームが叫ぶ。コーティは目でうなずくと、顎の力を強める。ロドクの首筋に、黒い血が流れた。
 
 塔の中で。
 ユティは、岩の階段に、何かが現れたのに気づいた。黒くよどんだ、形のはっきりしないもの。そのかたまりが、階段を上がって、こっちに近づいてくる。
 ユティは体の力を取られたようになり、頭も、ぼうっとしてきた。
「いや、こないで」
 塔の中は、一人きり。
 黒いものは、指を一本立てると、蛇のようにのばした。それが、さっとユティめがけて飛び出す。
 ユティは、体の前にすばやく円を描いた。
 空中に浮かんだ白い円は、のびてきた指をさえぎり、はじき返した。
 黒い指は、次々に襲いかかってくる。
「こっちも、なんとかしなくちゃ」
 ユティは、つまさきで立った。足の先は、地面から、わずかに浮き上がっている。
 次の指がきたとき、ユティは、両腕を軽く上げると、左の岩場へと空中を飛んだ。
 指は、何もない空間を切る。
 黒い影は、ユティの飛んだ先を狙う。
 ユティは、次々に飛ぶ。岩場へ、壁へ。
 黒い指は、やまずに追ってくる。
 切りがなかった。もう、十回も飛んだろうか。
 ユティは、元の場所に空中からもどると、その場に倒れこんだ。
 息があらい。顔は青ざめている。
「もう、とべない」
 指は、容赦なく襲ってきた。
 ユティは、指で、岩の地面、自分の体のまわりに六角形を切った。
 すると、水晶の柱のような白い壁が立ち上がり、当たった黒い指は、はじき飛ばされた。
 もう、ここから動くことはできない。
 
 キリス・ギーは、ロドクの二本の首をしとめた。
 最後の一本を両腕でしめあげていたが、それもぶるっと震えると、ロドクは力を失い、地面にくずれた。
「やれやれ。体じゅうかまれて、いたいよ」
「おい、せっかく塔の外へ出れたんだ。このまま、にげるか」
 キリス・ギーの、二つの首が話し出す。
「そうしたい。でも、どこへ」
 コーティの瞳は、これまでどおり、緑色の光をたたえていた。
「そうだな。この世界に、もうわしたちの行き場はない」
 トルームは、なにごともなく答えた。
 キリス・ギーが、塔の方に向いて歩こうとしたとき。
 ロドクのしっぽがするするとのび、後ろからキリス・ギーの脚にからむと、引きずり戻した。
 キリス・ギーは、大きな音を立てて、地面に倒れた。
 すぐさま、ロドクの胴体が横倒しに立ち上がり、キリス・ギー目がけて飛んできた。
 ロドクの背の巨大なとげが、上から襲いかかる。
 キリス・ギーは、あやうくよけたが、さらに大きな胴体がのしかかってきた。
 胴体はぐるぐると動きながら、とげで突き刺そうとしてくる。
 キリス・ギーは、残った力で、なんとか押さえていた。
「とげをちぎれ」
 キリス・ギーは、ロドクのとげをつかみ、力まかせに引きちぎろうとしたが、その時、頭の中を、声が切りさいた。
——キリス・ギー! たすけてっ
 ユティの声だった。
 キリス・ギーには、ユティを守る壁に、無数のひびが入り、水晶が砕けようとしているのがわかった。でも、今はロドクにつぶされないよう、それが手一杯で、どうすることもできない。
 キリス・ギーは、塔の中に向けて念じた。
——ユティ、おちついて。ティノの仲間を、よべ。きみなら、できる。
 
 ユティの目の前の壁には、何本もの黒い指が次々にあたり、水晶の壁は破られようとしていた。
 キリス・ギーの声を聞いたユティは、自分の胸の前で手指を交差し、目を閉じると、こう唱えた。
 
  レイトヨイ カイラクファ
  メイデュエヌ マハー
 
 ユティを守る壁は砕けた。
 黒の指が、ユティに飛びかかる。
「きゃっ」
 気がつくと、ユティは空中を飛んでいた。
 首のうしろ、服を何かにつかまれている。
 後ろを見る。白い竜の口が、服をくわえていた。
「マハー! きてくれたのね」
 それは、子どもの白い竜だった。
 マハーは、ユティを近くの岩場におろすと、空中でくるっと丸くなり、しゅっと体をのばして、黒い影に体当りした。
 黒い影は、体の一部を霧のように吹き飛ばされ、ますます形がくずれた。
 そして、頭の部分から四本のとげをのばすと、そこから黒いものが吹き出し、それが針のようになって、マハーに向かって飛んできた。
 マハーは、頭の二本の角を光らせると、ぱっと電光がのびて、黒い針を粉々に吹き飛ばした。
 マハーから次の光、その次の光が、黒い影にささっていく。
 黒い影は、反撃の針を飛ばそうとするが、それより早く、マハーの電光に射られて、その体は、とうとう光の帯で巻かれてしまった。
 黒い影は、光とあらがいながら、小さくなっていく。そして、みにくい声をあげ、岩の階段でよろけたと見えた瞬間、消えていなくなった。
 白い竜は、ユティのところへ、ゆっくりと戻ってきた。
 ユティは、マハーに近づき、その体をだきしめた。
 
 地に立ち上がったキリス・ギーのそばに、ロドクの胴体がひっくり返っている。
「やっつけたぞ」
 キリス・ギーが怪物の背中から引きちぎったとげが、ロドクの胸元に突き刺さっていた。
 キリス・ギーは、塔に戻ろうと急ぐ。
「ユティが、心配だ」
 コーティが言う。
「おそらく、だいじょうぶだ」
 そう言って、トルームは鼻を鳴らした。
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