9.

文字数 2,984文字

 夜空を唯一照らす星は分厚い雲に阻まれ、街中の明かりは消えている。こんな真っ暗になった世界をほっつき回る変人がいるとしたら、それは、居場所を失った浮浪者か、星の安全を守る連中か、透明マントを身にまとった一行だろう。そのうちの一行は、夜の道端をひそひそと身を屈めながら歩いていた。明かりの消えた街は当然真っ暗で、自分たちの位置を見失わないために、我々は前を歩く人の肩に片手を置きながら歩いていた。一列になって歩き始めてから何時間も経過するが、移動は順調に進んでいた。けれど、飛行場まで本当に辿り着けるのか、という疑問は誰にも口にすることができないまま、確かに一行の中で膨らんでいた。出発する前は、他に選択肢が無かったこともあって、飛行場まで徒歩で向かうことは大した問題ではないと皆で納得していた。それにも関わらず、いざ出発すると、真っ暗な夜道を歩くという行為は想像以上に大変で、次々に起こる些細で予想外な出来事が我々の神経を擦り減らしていた。
 煉瓦で作られた巨大な駐車場の屋根の下、何度目か分からない休憩を取っていると女が急に、真面目そうに口調で尋ねてきた。
「スミス、そういえばあなた、どうしてこの星に来たのかをまだ私たちに話してなかったわね」
 彼女が言うと、沈んでいた空気はぴたりと凍りつき、ヒッチたちの視線がいろんな方向に向けられたのを感じた。突然の質問に答えるべきか迷ったが、女が真っ直ぐとこちらを見つめているのを眼の端に捉えると、何かしらの答えを用意するしか他なかった。最初、話を逸らすように言葉を濁して答えたが、女は依然と真剣な様子で問いただしてくる。
「そんなに答えるのが嫌ならいいけど、全体の一部でいいから教えてよ。そうじゃないと、あなたのことを何の理由もなく信頼して、危険を冒すなんて馬鹿らしく感じるじゃない」
 確かにそれは間違いなく正論だったが、正論が決して常に正しいわけではない、なんてことを言う自分を頭の片隅に思い浮かべたが、詐欺師のごとくどんな饒舌な口で彼女を言いくるめても、お互いの為にならないし、ここは正直に話してやるか、という気持ちに珍しくなっていた。それに、どこかの機会でこの思いを共有しなければ、SAM’SHOPの地下で見た、あの男たちのように成り果ててしまうのではないかという気もしていた。数秒の沈黙を開けると、忘れてしまった記憶を遡るようにゆっくりと喋った。
「ずっと昔の話なんだけど、まだ子供だったころに、小さな弟がいたんだ。まだ歩けるようになってから少しの時間しか経ってなくて、球もろくに投げられないくせに野球が大好きで、よく一緒に遊んでいた。あいつの体は生まれつき丈夫で元気だったのに、ある朝、体がひどく冷たくなって死んでいたんだ。重い病気にかかっていたらしくて、誰も気づかないうちにいつの間にか亡くなっていた。あまりにも突然の出来事だったからさ、親もいろいろ大変な思いをしていて、俺も弟の死を受け入れるのにしばらく時間がかかっちゃってさ。うまく説明できないけど、多分そのころから、一人で旅に出ようと考えていたんだと思う。けど、思いつきのままにいろんな星を訪れているからさ、この星に来たのは特に理由はないよ」
 口以外の体の部分は少しも動かせず、ただ思いついたことを口にしていた。彼女の質問に答えていたかどうも不安になって、女の顔を見ると、悲しげな表情をしているわけでも、同情の言葉をかけるわけでもなく、ただ、「そうだったんだ」と呟いた。その言葉の響きはとても心地よくて、正直に言って良かったなと思っていると、女が他の男たちに向けて、また突拍子のないことを言い出した。
「そうだ。誰か、歌を歌ってよ」
「え、どうして」と眼鏡を掛けてない小柄な格好をした男が驚いた様子で言う。彼の喋る姿を見るのは初めてのことで、つい口元が上がりそうになると女が続けるように言った。
「別に、あなたのことを言っていたわけじゃないでしょ。ただ、最後になるんだから、せっかくだし、この星にしかない歌を何か歌ってあげましょうよ」不満の声が上がることもなければ名乗り出る者もおらず、お互いがどこか気まずく見渡していると、ヒッチが小柄な男に向けて言った。
「歌ならお前が一番上手いだろ。俺たちが歌っても、ひどい音がでるだけだ」皆の視線が小柄な男に集まる。小柄な男は少し驚いた様子を見せながらも、人前で歌うことに慣れているのか意外にもあっさりと引き受けてくれた。女も彼が歌うことを期待していたのだろう。歌を披露することがいざ決まると、小柄な男はこれまでの態度を一変させ、堂々とした様子で「どの歌を歌ってほしい」と尋ねてきた。
 その質問が自分に向けられていたと気づくと、とっさに何か適当な曲を口にしようとしたが、自分が知っている曲がほとんどないことに気づき、「君が一番好きな歌はどうかな」と、その場をしのぐように提案した。「オッケー」と小柄な男は余裕のある響きで言い、大きく息を吸うと、脅威にもなり得る、言葉で言い表せないないような透き通った歌声で言葉を奏でた。

   私を見や ここにいては
   希望どもが飽きれたまま
   死ぬのだけじゃ あんまりじゃないか
   喉も枯れた

 その歌には始まりがなければ終わりもなかった。救いを求めるようなくっきりとした悲鳴は、次第に弱弱しくなり息が途絶えるように終わる。
 一番初めに拍手をしたのはヒッチだった。控えめな拍手は、女、眼鏡の男、自分が続くことに大きくなり、小柄な男が「ありがとう」と言うまで続いた。小柄な男が口を開く。
「こんなときに暗い曲を選んでごめんな。これって実は、ある歌の一部なんだ。昔、確かラジオで流れているのを聞いてからずっと頭に残っていて、あれからしばらく経つから全部は覚えてないけど、この部分の歌詞はずっと離れないんだよな」小柄な男が言い終えると、昔の記憶に浸るように宙を見つめた。すると、女が彼を呼び起こすかのように、はっきりとした口調で語りかけた。
「さあ、夜がもう明けちゃうわね。もう少しペースを早めて進みましょ」
 上を見ると空はすでに青味がかかっている。遠くの空は他の建物に隠されて見えないが、太陽が今にも顔を覗こうとしているかもしれない。小柄な男が奏でてくれた言葉に僅かな間でも浸りたかったが、太陽が待ってくれたことは一度もなく、慌てて建物を立ち去ることにした。頼り甲斐のない透明マントを羽織り、不気味に歪んだ光の上に手を置くと、ヒッチが「待て」と、どこかから小さな声で言った。
俯いていた顔を上げ目の前を見ると、そこには、細長い銃を胸に抱え、暗視スコープのような物を頭につけた連中が歩いていた。あの路地で女に名前を呼ばれたときのように心臓が激しく鳴る。誰かの肩を強く掴んだ手には、天敵に前にした小動物のように震える肌の感触があった。いくら世界が闇に包まれていて、光を捻じ曲げることで存在を隠すことに成功しても、生きている限り必ず何らかの痕跡は残してしまう。道に生える草木に触れたら不自然に動くし、水たまりに足を突っ込めば音と共に水が跳ねる。目の前を通り過ぎる連中に見つからないという保証はなく、まさに死と隣り合わせだった。連中が視界から消えると、掴んでいた肩が動き、夜に逃げられないよう再び移動を開始した。
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