2.

文字数 2,802文字

 そうです、私と女は星を巡るためにある石を探していました。青い光を放つその石は、私が作った宇宙船に唯一使うことのできる珍しい燃料でした。石を得るために石を消費する。そんな果てしなく続く無益な循環を、私たちはひたすら続けていました。訪れた星で石が見つからず、星を離れるための石も消費してしまったら、もうあとはありません。最後に訪れた星で、いつか迎えにくる死をひたすら待つことになるのでしょう。そんな、一歩間違えたらおしまい、という旅を私たちは心から安心して送っていました。
 旅先で知り合った人はしきりに尋ねました。なぜそんな危険なことをしているのか。そう尋ねられる度に私たちは閉口してしまいました。なぜなら私たちはその理由を知っていながらも、それを認めてしまえば旅を終えなくてはいけないと感じていたからです。
 けれども彼女が死んでしまった今なら、わざわざ扉の奥に隠す必要もないでしょう。私と彼女がなぜ旅を続けたのか、それは互いの心にできた傷を隠し合うためでした。私が彼女の傷を、彼女が私の傷を、二人とも気づかないふりをしながら隠すのです。そんなことをしても傷は治らないと知っていても、そうする以外なかったのです。なぜなら私たちは誰にも傷の癒し方を教えてもらうことはなく、傷口を隠すための都合のいい道具さえも残されていなかったのですから。私たちは、痛みを覚える傷口につい手が伸びてしまうように、お互いの傷を覆うことしかしませんでした。その様はひどく醜くかったでしょう。実際に、旅をしていると言うと嫌な顔を浮かべる人々がたくさんいました。それでも私たちは旅を続けました。もう、そうするほかなかったのです。

 星を脱出した日、真っ暗な空間の中をぽつんと漂う箱の中、私たちはどこに向かうべきか悩んでいました。すでに宇宙に散らばる多くの星を訪れていた私は、宇宙の見取り図を見せながら彼女にどこへ行きたいか尋ねました。私はその図を目に留めた彼女の顔から血の気がさっと引く瞬間を捉えました。彼女の目を見て、想像を遥かに超える広大すぎた世界を目の前にして疲弊しているのだと、私はすぐに気づきました。私もまた、閉ざされた小さな世界から離れた際に似た感覚を覚えたことがあるので、彼女の気持ちを理解できないわけではなかったのです。しかし、これから旅を進める上でさらに世界の広さを痛感するわけですから、まだ同情の気持ちを示すわけにもいきません。それでも彼女はあまりにも哀れな顔をしていたものですから、先人が弟子に手本を披露するかのように、最初に訪れる星は私が決めてあげました。
 そこは宇宙で最も自由な惑星と謳われた星でした。
 わずかな期待を胸に抱えながら降り立ちますと、彼女がとても気分を悪そうにしていました。息苦しい、目眩がする、寒気がする、と訴えてきます。典型的な星酔いの兆候です。人間が住めるようにいくら星が改造されても人間にできることには限りがあります。大気の酸素濃度や、時間の流れ、重力の強さ。そういったわずかなズレが心の中にいつの間にか作られていた理想との間に軋みを生んで体を壊してしまうのでしょう。彼女は救いを求めるような目で私の目を覗き込みますが私にできることはありませんでした。時間という絶対的な効果を持つ薬が次第に効くのを待つしかありません。そう説明してもどうにかして欲しいと女は切実に訴えます。私はできるだけ同情の響きを含ませながら彼女に告げました。
「悪いけど俺にできることは何もないよ。二、三日経ったら自然に治るし、何度か繰り返すうちに慣れていくはずだからあまり思い詰めないで」それでも彼女は反抗期を迎えた子供のように文句を並べます。
「私は、今、苦しいの。時間が解決してくれるなんて結局は何も解決してないじゃない。お願いだからつまらない嘘はつかないで」彼女は苛立った様子でした。何も持ち合わせていない彼女には、不完全な形で生み出された幻影さえも残されていませんでした。そんな彼女に対して愛想のいい態度を求めるのはあまりにも酷と言えましょう。ですが私もまた、一連の出来事に心は疲弊し頭は朦朧としていました。沈んでいたはずの数々の文句が次々と浮かびあがってきます。
君はさっきから文句しか言ってないけど俺がここまで辿り着くためにどれだけ大変な思いをしたと思っている。あの石を手に入れるために俺がどれだけ苦労をしてきたのか想像できるのか。大体、あの店を辞めたのだって自業地獄じゃないか。星から脱出するときだって、君たちが計画を持って行動していると思っていた、それがあのお粗末な結果だ。そもそも、君たちは本当に……
 そうして罰の悪い顔をした彼女を片隅に次々と浮かび上がる言葉を反復していると、それを言ってしまえばおしまいだぞ、と誰かの忠告する声が聞こえました。浅い呼吸を繰り返しているうちに、あれほど大事にしていたはずの怒りが下らなく感じ、あんなにも熱くなっていた頭の熱が冷えていくのを感じます。そうなってしまえばもう手遅れです。あれほど願っていた女が謝罪する光景はどこかへ飛んでいき、その代わりに彼女の安らぐ顔を見たいとすら思っていました。
「そうだな、悪かった。けど本当に効果のある薬はないんだ。今は、とりあえず宿を見つけてたっぷり寝ようぜ。なんか食べたい物あるか。珍しい物じゃなかったら大体揃っているからな」
 女は少し不満げな表情を見せながらも「ありがとう」と小さな声で礼を言いました。その言葉を聞くと胸に群がっていた不安の影が四方に散っていくのがわかりました。ずっとと言わなくても、しばらくの間は共に時間を過ごすわけですから、旅の初めにつまらない喧嘩をするのはあまり望ましいことではありません。
 胸をそっと撫で下ろしていると、彼女が唐突に「え……」と弱々しい声を漏らしました。どうしたのだろうと考える暇もなくその理由が明かされます。雨です。彼女の小さな鼻先に澄んだ水滴が流れています。ですが遠くに見える電灯の青白い光の下には何も晒されていません。空を見上げると、私たちを覆う木から大粒のしずくが降り落ちるのが見えました。木を鮮やかに飾る豆のような分厚い葉っぱから水が溢れています。不思議な木です。私たちは理由もなくお互いを見つめ合いました。彼女は水を滴らす豆のように顔を赤くしながら、つい口から漏れてしまったかのように言葉を放ちます。
「お腹空いたわね」
 つい、小さな笑い声が口から漏れてしまいます。冷たい風が高い音を鳴らしながら私たちの体を貫きます。赤い落ち葉が舞うのを見届けながら、この笑い声が風に運ばれて街にまで届けばいいのにと思いました。触れるものすべてを輝かせてしまうこの笑い声がこれからもずっと一緒にいてくれたら、と心から願いました。ですがそんな風が私たちを連れて行った場所は街外れにある妙な宿でした。
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