3.

文字数 3,464文字

 扉を開けた先に待っていたのは細長い通路だった。通路といっても、目の前は暗闇で何も見えず、足元を薄く照らす小さな照明だけが、どこに向かえばいいかを教えてくれる。男を大声で呼んでも闇の向こうから返事が返ってくることはなく、照明の弱々しい明かりを信じて前に進むほかなかった。だが少し経つと、連なる光を頼りにしていた足は入り組んだ道のせいで自分の位置を次第に見失っていた。来た道を戻るべきだろうか、下をうつむきながら頭の隅でそう考え始めていると、唐突に暗闇の向こうから誰かに声をかけられた。
「これからどうするつもりだ」
 その余裕に溢れる強く訛った声は、店で会った男の声とは程遠く、彼がいったい誰なのか見当もつかなかった。
「どうするつもりって」
「だから、何をするつもりだ、この石で」
「そんなこと知っても、別に面白くないぞ」
「構わん。道はまだ長い。なあ、退屈しのぎに教えてくれよ」
 急にこの会話が、あの石を手にするために必要な試験のように感じてきた。冷えた汗が頰を垂れるのを感じながら、見えない闇に向かって落ち着いて正直に答える。
「どこか違う星に行きたい。個人用の宇宙船があるんだが、その燃料にこの石が必要なんだ。政府が用意する宇宙船は法外に高いし、入国審査とか俺が通れるわけがないからな」
「そうか……。なぁ、この石について何か知っているか?」
 ふと、こいつが政府の人間かもしれない、という疑惑が心の中で生まれた。彼は、実は警察の人間で、この廊下は刑務所に続いているのではないか。牢獄、もしかしたら地獄への一歩を、悠々と自らの足で進めているのではないか。後ろを振り返ると、通り過ぎた照明の明かりはすべて消えていて、自分がどこにいるのか見当もつかなかった。
 けれど、彼が本当に警察なら、もう何もできることはない。前に進んでも、後ろに戻っても、ここで立ち止まっても、立ちはだかる結果は変わらない。諦めと呼んでもいい覚悟を決めて彼の質問に答えようとすると、男の方から突然喋りだした。
「ほんの昔まで、この星はこんな窮屈な場所じゃなかった」
 急に何を言い出すのだ。自分に敵意がないと知り、少しだけ安心した胸の内でそう呟くと、「そうか」と適当に相槌を打った。
「まぁそう焦るな。まだ先は長い。俺の話を少し聞いてくれよ」
 この男を貫く刺激を避けるため無言で答えると、男は続けた。
「あの頃はまだ楽しかった。星一面がなんにも無い更地で、明日を生きるために一生懸命に働いていた頃。俺達始まりの住人は顔も知らない奴らに馬鹿にされながらも、この星を良い場所にするためだと信じて懸命に働き続けた。もちろん楽しいことばかりじゃなかった。大変なことも辛いこともあった。それでも自分の行いにはやり甲斐を感じていたし、実際にこの星はこうして宇宙有数の星に生まれ変わった。なのにどうしてだ。どうしてこの星を作り上げた俺たちが、後から都合良く着た奴らのために必要無い役を演じなくてはいけない」
 話が真実なら男はこの星の開拓者の一人だったらしい。星の開発が進むと共に人口が増えると、家主さんの言う「移民」に仕事が奪われるなり何かあったのだろう。確かに男にしたら面白い話じゃないだろうが、なぜそんな話をするのか。
「それがあんたの聞いて欲しい話か」
 男は大きく息を吸い、怒りの混じった声で愉快に言う。
「そうだなぁ、俺が言いたいのはな、俺はこの星と社会が大嫌いってことだ。人は安寧を望むばかりに目的を失った。俺たちは、ただ、それを戻すんだ」
 今朝読んだ新聞のことが頭の片隅に思い浮かぶ。何も言えずに彼の後ろを追い続けていると「着いたぞ」と言う声が聞こえた。彼の声と同時に地面を照らす明かりが消え、視界が真っ暗になる。暗闇に慣れようとする目は瞬く間に真っ白な光に包まれ、激しく映り変わる明りに慣れようとする眼が刻々と開くと地下空間が現れた。
 最初、普通の部屋ほどの大きさだと思った空間は、視界が鮮明になるうちに遠くまで見えるようになり、ついには駅のホームほどの大きさまで広がった。あの薄暗い小さな店と繋がっているとは信じられないほど大勢の人が集まっていて、ざっと見ただけで百人ほど目に収まる。高さ二メートル程の低い天井から吊るされる白い蛍光灯によって不均等に照らされる男たちは揃って黒い制服を羽織っており、腕には店名が記されたマークが載っている。半袖から覗かす太い腕は、白色に照らす明かりに負けないほどの褐色色でいかにも健康そうだったが、彼らを眺めているとどこか違和感を覚えた。なぜだろうと考えていると、それは彼らの表情にあった。強い生命力に満ちているはずの体に抗うように顔の表情は苦渋に満ちていて、目は虚ろとしている。瞳孔の一点に強い希望のような光が見えたが、それはその背後にある真っ暗な絶望を映しだしているだけだった。
「最近でかい仕事が入ってきてな、みんな大忙しなんだよ」
 そう口にした背の低い男は、いつの間にか横に立ってこちらを見上げていた。胸ほどしか身長がないのに、凛とした目立ちや高い鼻とか堂々とした立ち振る舞いから信頼できるリーダーのような印象を感じる。彼が一体誰なのか尋ねようとすると、そのひどく訛った喋り方で彼の正体にすぐ気づいた。
「もしかして、あんたって、あの店にいた男か……」
 男はにんまりと口角を上げると、誇らしげに喋り出した。
「あぁそうだよ。店では無愛想な対応をして悪かったな。お前さんが警察かもと思って、爪を切っている間、仲間に調べ上げてもらったんだ。とにかくお前は旅人だろ」
 答えるのに躊躇したがこの状況で嘘を語る理由はなく渋々認めた。
「まあ、そういうことになるが」
「だったら俺たちの仲間だ。ここはそういう奴が集まる場所だからな」
 男は口を閉じると顔を上げて、羨望の目でこちらを一瞥した。男に品定めされているような感覚に嫌気がさし、男たちが懸命に腕を動かし続ける光景に眼をやると、この得体の知れない空間に身を置いてから騒いでいた心が少しだけ静まるのを感じた。気づくとこんな質問をしていた。
「あいつら皆、旅人なのか」
 男はなぜか羨ましげに言う。
「そうなんだ。彼らのほとんどは昔そうだった。あいつらは皆、お前みたいにこの石を求めて俺の店に来たやつらだ。どいつも将来やりたいことなんてなくて、ここで働かないかってスカウトしたら喜んで受け入れた」
「言っておくが、俺はここで働くつもりはないからな」
 彼と話していると、彼の醸し出す不思議な魅力に酔ってしまいそうで、尋ねられてもない質問を一方的に断ってしまった。するとどうだろう。男は意外にもあっさりとした様子で「別に構わないさ」と言う。
「別に構わないさ。それぐらい、お前を見たらわかる。でも気をつけろよ」
 男は何か忠告しようとする割には、楽しげな様子で口元をより一層引き上げて続けた。
「お前は今、なにもない暗闇の中を彷徨っているようなものだ。けどな、そのまま待ち続けても何も待っていない。あるのは暗闇だけだ。何もかもから逃げて、何も考えずに浮かび続けるのは楽かもしれんが、それもそれで大変な道だ。お前がいつまで続けるつもりか知らんが、早くしないと、いつか特殊な崖に落ちてしまうぞ。俺は、そういう奴らを嫌になるほど見てきた」
「お前は違うのか」
 不気味な宣告につい意地になってしまう。男は満足げな表情をすると、何も聞こえなかったかのように一度だけ目を瞑り、次は親密な口調で語りかけてきた。
「本当は歓迎してやりたいところだが、今日は開店以来、一番忙しい日なんだ。だから、商品だけ受け取ったら、悪いが今日のところは帰ってくれ」
 突然帰るよう告げられると、男は他の従業員に呼ばれ、不吉な笑みを浮かべながら「グッド・ラック」と言い残して去ろうとした。どこか心地悪い違和感を消化していると、肝心の商品を受け取っていないではないか。慌てて「石はどこにある」と大声で尋ねると男は「そこで待っといてくれ」とだけ言い残し、黒ずくめの集団に紛れてしまった。呆然とその場で立ち尽くしていると、動き回る黒い集団から逸れた一人の大男が風吹くように現れる。男は青い石を乗せた手をただ差し伸ばしている。無言でその石を掴むと、彼の手は、長い時間を通して船員の仕事をしていたかのように固く凸凹していて、彼がいったい過去に、今に、何をしているのか気になった。
「あんたも旅人だったのか」
 何気なく尋ねると、男はその汚い眼で一瞥し、黒い渦の中に姿を消してしまった。
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