悲しきすれ違い 1

文字数 2,054文字


 少し日にちは戻るが、十一月中旬の後半に、隆政の次男・隆次は匪賊討伐に駆り出されていた。

 彼は関東軍の独立守備隊におり、このときは軍曹に昇進していた。

 年次は十四年兵である。彼にとって軍隊は、只飯が食える場所であった。さすがに手癖は収まっているが、頭には如何に楽に過ごすかしかない。下士官で彼より年次の古い者はおらず、表立って彼を掣肘(せいちゅう)できる人間もいない。また彼は腕力があり、切れると狂暴になるので、誰も近寄らなかった。

 彼は訓練や勤務も手抜きを公言してはばからず、それでいて年次を楯に下の者をこき使った。内務班の役職からも外され、上からも下からも蛇蝎(だかつ)のように嫌われていた。

 彼の所属する独立守備歩兵大隊は、長春の数十キロ南の公主嶺(こうしゅれい)という街に駐屯している。そこには大隊本部と一個中隊があり、残りの三中隊は他の地点に分散していた。

 今回は、長春東南方の丘陵地帯で発生した匪賊の蜂起に対し、公主嶺から中隊が出た。大隊本部にもぐりこんでいた隆次は、これまでほとんど討伐に出たことはないが、このときは討伐隊に参加させられたのだ。


「ちぇ、この俺さまをこき使うとは、ふざけやがって。まったくひでえ疲れだぜ」
 彼は大隊長や中隊長の悪口を言いながら行軍した。装具は初年兵に持たせ、銃と帯剣だけ自分で持って横着に歩いている。下士官連中はそっぽを向き、関わらぬようにしていた。

 匪賊の活動は、その多くが東北軍に使嗾(しそう)されていた可能性がある。一方で北満の馬占山軍の動向とも連動していると考えられ、この頃は満鉄や付属線の沿線地域で頻回に起こっていた。匪賊が馬を使うと神出鬼没だが、隆次たちの敵は徒歩で、むしろ守備隊とひと合戦しようと待ち受ける気配だった。

 討伐隊は小隊単位に分かれて行動した。

 隆次が配属された小隊の隊長は、守備隊生え抜きの少尉だった。隆次より年次が古く、しかも徹底的に彼を嫌っていた。


 敵を追撃する二日目の夜、小隊はある無人の集落で宿営した。
 翌払暁。
 ズーンヒュルヒュルヒュルと独特の風切り音がし、ドカーンと炸裂した。
「敵だ!」

 東北軍から供与されたのか、意外にも敵は迫撃砲を持っている。小隊はすぐさま壕に分散し防御態勢をとった。壕は前日のうちに掘ってある。

 敵は人数で小隊を圧倒し、集落の三方に進出してきた。しかし、歴戦の小隊長は反撃の頃合いを見計らっていた。彼は分隊長を集めた。

「第一分隊は正面敵に突撃。混乱したところに第二分隊は右から敵の左翼に突撃、第一分隊と協力して撃滅せよ。敵は烏合の衆だ。おそらくそれで勝負はつく。残りの分隊は掩護にまわれ。では詳細を言うぞ、突撃は今から五分...」

 各分隊は攻撃慣れしており、手榴弾投擲(とうてき)から突撃を実施するとあっけなく敵の左翼は壊滅した。さらに右翼に突撃する姿勢を見せると、残った敵は逃亡し始める。小隊長の予想通りの展開になった。


 戦線を整理すると小隊に戦死者はなく、数名が負傷したのみである。ところがその中に隆次が入っていた。彼は砲撃されたとき真っ先に壕に飛び込んだが、運悪く一弾が壕の縁に当たり、尻や背中に細かい砲弾片を受けたのだ。
 匪賊の迫撃砲など当たるものではないが、彼の悪運は尽きていた。

 軍医はおらず衛生兵が断片を摘出した。手術はそこそこ上手くいったが、どうやら傷口が悪質な細菌で汚染していたようだ。小隊は追撃のために前進し、彼らは患者隊として自力で公主嶺まで戻ることになった。その引率者が最先任の隆次である。

 元気な者として担送者二名と衛生兵一名がつけられたが、担架に乗ったのは足を撃たれた別の兵だ。隆次は装具も小銃も他の負傷者に持たせ、しぶしぶ杖をついて歩いていた。

「くそ、あの野郎俺を殺す気か。覚えてやがれ‥‥‥」
 彼は小隊長を呪ったが、まともに取り合う者はいない。小隊長としては公平に最大限できる処置をしており、むしろ手厚すぎるぐらいと思ったろう。

 患者隊の行程は約三〇キロを二日で歩く予定だ。一日目はよかったが二日目に隆次は本当におかしくなってきた。高熱と背中の痛みでくらくらしてきたのだ。

「おい、俺はもう歩けん。担架に乗せろ。お前降りろ」

 彼は担架に寝ている兵に降りるように命令したが、担送の兵はとまどった。しかし衛生兵が「軍曹殿、自分がおぶります」と彼をおんぶし、患者隊はその日の夕方に公主嶺の兵営にたどりついた。

 本部の診療所で隆次はさっそく軍医の処置を受けた。取り切れていなかった破片を取り除き、挫滅した組織を切除し、傷を洗浄し、開放する。しかし彼の背中や尻は、ぱんぱんに腫れ上がっていた。

 彼はガス壊疽を発症していたのだ。
 すでに菌が体内に回っている可能性が高く、その晩にも死亡する可能性があった。だが、彼自身はそれほど悪いと思っていなかった。

「軍医殿、俺は破傷風ですか?」
「いや違う。大丈夫だ、心配するな、すぐに楽になる」
 何しろ抗生剤などない時代である。
「そうですか、じゃあよろしく頼みますよ」
 彼は「楽になる」の意味に気づかなかった。
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