終わりと始まり 3

文字数 1,976文字


「とおっしゃいますと?」
「今後、大連での飛行に関する監督が厳格になります。この意味はお分かりですよね。その一方で、こちらでは自由にやっていただいて構わないということです」
「‥‥‥なるほど、よーく分かりました」


 会見の部屋を出てから市政が言った。

「確かに選択の余地はなさそうだね」
「そのようだが、監督云々は市の飛行のこと(大連での)か。あれはもう終わった話ではないのか?」
「う~ん、どうだろう」

「それとも、大連でのうちの業務飛行が全部つぶされるのか? 確かに(旅順)要塞との絡みがあってやりづらかったのは事実だが」
「う~ん、それもどうだろうね。その含みも少し感じられたかな」

「それでもし定期路線から締め出されたら、うちの飛行機部門はお手上げということになるな。せめて飛行学校でもやってろということか」
「それは、そうなるね」

「くそ、とにかく黒船の来るのが早すぎるな」
「聞いたところだと、すでにどういう路線にするか関東軍の参謀が飛び回って検討しているようだね」

「それは俺も聞いている。そいつらはうちの飛行機にも乗っているだろう。国策会社が開業間近となると、奴の言った通り選択の余地はほぼ無いということか」
「残念ながらそのようだね」

「しかし、いつもいつも頭ごなしに言ってきやがるな」
「まったく‥‥‥」
「佐竹さんを招集して、支所で幹部会議をするか」
「了解」


 翌日の夜、奉天の支所に隆政、市政、荒木、佐竹が集まった。幹部ではないが市も呼ばれている。

 隆政が説明する。
「...とまあ、このような要請が突然関東軍からあった。みなも知る通り、これは事実上の強制と思われるが、われわれはどう対処すべきだろうか? 忌憚のない意見を聞かせてくれ」

「会長、それは是非やるべきだと思います」
 即座に荒木が反応した。

「そうですね、座して死を待つよりは百倍良いのではないでしょうか」
 佐竹が同調する。
 隆政はうなずきながら荒木に問い返した。
「荒木君、その理由は?」

「会長のおっしゃった通りです。定期路線がやれず、大連の業務飛行までも危ないとなったら、うちの飛行機部門は終わりじゃないですか。ならば佐竹さんの言うように、座して死を待つよりは、です」

 しかし荒木の本音は別にあった。要は、飛行学校開設となれば大手を振って市に戦闘機の操縦を教えられるのだ。彼自身もう四十手前であり、体力的にそれができなくなる前にやりたい。今回の話は唯一無二ともいえるチャンスで、逃す手はなかった。

「私も市政もほぼ同じ意見だから、全員賛成か。市、お前はどう思う?」
「うん。ぼくも加われるんなら加わりたい」

 これは市の本音である。
 実のところ、満洲国が成立してからは、次第に定期路線的なルーチンの飛行が多くなっており、彼は退屈しつつあった。普通の人間が聞けば目を剥くだろうが、端的に言えばスリルがないのだ。従って、戦闘機の訓練飛行のようなことができるならば、それこそ望むところである。

 隆政はニヤリとした。市の思いはもちろん、荒木の腹のうちも大体読めていた。
(二人がやりたいことは分かっている。事業というものは、各自にやりたいことをやらせるのが適材適所なのだ)

 それに危険地域への飛行もなくなるので、現状よりも安全性が高くなると彼は考えた。これは飛行訓練がいかに危険かを彼がよく知らなかった故でもあったが‥‥‥

「そうか、みんなの意向は良く分かった。この件は前向きに進めることにしよう。だがな、俺は定期路線も放棄するつもりはないぞ‥‥‥みなもそう考えていてほしい。では幹部で具体的な事業計画と収支の見込みを検討しておいてくれ」

「了解しました」とみなが同時に応じた。



 同じ四月のある日。

 市が指名され、奉天から新京(長春から改名)までスーパー機で飛んだ。もちろん右席は荒木だ。

 このときは黄砂も収まった良い天気で、ぽかぽかした絶好の飛行日和だった。乗ったのは、とある海軍少将とお付きの大尉で、名前は明かされないが満洲の航空情況に関する非公式な視察とのことだ。どうやら海軍航空のお偉いさんらしい。


 機体が新京に定針してまもなく、少将が立って来て市の操縦をじっと観察した。少しずんぐりした男だ。二人が振り向こうとすると右手で制した。

「おっとそのまま。風の噂で君が中学生と聞き、指名させてもらったが本当かね?」
「はい、本当です」
 前を見たまま市が返答した。四月から四年生である。

「ほお、それはご苦労だね。こうして見るとなかなかのものだ。まあ、またよろしく頼むよ。邪魔して済まなかった」
「いえ、こちらこそよろしくお願いします」

 二人は半分後ろを向いて一礼した。少将は軽くうなずき、引き下がった。


 その海軍少将は、日本に戻ってから大尉に言った。
「あの子、海軍に欲しいね」
「そうですね」

 これが市と海軍の初めての接触であった。
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