兄弟 2
文字数 2,117文字
「やめなさい。軍人なんていつ死ぬか分からんじゃないか」
「え、そんなことないわよ。お兄さんだってそんなこと考えていないでしょ」
「いや、そうでもないよ。何かあればわれわれは最前線に送られるよ。それは覚悟の上だがね」
「隆之もそんな軽薄なことを言うものではない。俺たちは死なせるためにお前を育てたのではないぞ」
「そうですよ」
「じゃあ、お父さんはなぜ軍人になったのです? 二度も戦争に行っておられるではないですか。そもそも濠医院を継ぐべきだったのはお父さんでしょう? 私が軍人になったのは血筋かもしれませんよ」
これを言われると隆政は返答に困る。
若い頃の彼は血気盛んで、むしろ粗暴な次男に近い人間だった。戦場で思いっきり暴れたいと真剣に考えていた。‥‥‥実際の戦場はまるで想像と違っていたのだが。
(とすると、あやつの素行も実は血筋だったのか?)
「お前なあ、それは昔のこ‥‥‥いや、そう言われると一言もないが、とにかく嫁さんだけは早く貰ってくれ。俺からの頼みだ」
「そうよ」
「はい‥‥‥分かりました」
隆政が市を見ると、相変わらずきょとんとしている。
(こいつもいずれ軍の航空隊に行ってしまうのだろうか? それは嫌だが、もしそうなったら自分には止められないだろう。またしても因果は巡るのか‥‥‥)
彼はため息をついた。
翌日、隆之はトランク一つをぶらさげ、そそくさと大連港から旅立っていった。
ところで隆政らの飛行機事業は順調に拡大しているといえば言えたが、内容的には今一つだった。このころ、機体は三機に増え、操縦士も一等飛行機操縦士が荒木の他に一人入り、二等飛行機操縦士が二人入っていた。
周水子飛行場もほぼ整備が完了した。軍用、商用のいずれでも使用できるが、当然ながら隆政らが独占して使うことはできない。またここは旅順の要塞地帯に含まれるため、飛行ごとに要塞司令官の許可を取らねばならず、手続きが非常に煩雑だった。
そのため、彼らは専用の飛行場を周水子飛行場の北方に確保しようとしたが、これも関東庁から許可が下りないのだ。
その理由は国防上の理由としか説明されないが、隆政には何となく理解できた。ある意味ここは日本の最前線であり、軍の管理できない飛行場が歓迎されないのは当然かもしれない。また、万一敵が来て占領されようものなら大変なことになる。
それだけでなく、むしろ民間は率先して軍に奉仕せよとの雰囲気すら感じられた。
結局隆政らがいま行っているのは、周水子飛行場を拠点に、客の要望に従う遊覧飛行や例えば写真撮影などの業務飛行、あるいは希望者の飛行練習などである。当然ながら空域には制限がついていた。
これらは利益はあげられるものの、隆政が当初考えた地に足のついた事業とは言えなかった。
市政が考える定期の貨物便などを運行するには、さらなる事業規模の拡大が必要だった。要するに、貨物を運ぶ先の飛行場に、最低限でも整備チームや運営チームを常駐させねばならないのだ。また、それらの支援体制も必要である。
さらに、このような拠点を各地に配置し、ネットワークを構築することによって初めて有意義な航空路ができる。無論こんなことは、はなから分かっているが、現時点ではその一路線すら実現できていなかった。
しかしそうこうする間に、内地での大規模な航空運輸会社立ち上げの話が伝わってきた。隆政たちにとっては巨大な黒船である。
それは政府の肝いりで官・民が共同で進める計画であり、内地から朝鮮、さらには大連の間を定期航空路で結ぶという。この空路は有事の際の航空路でもあり、当然、軍も会社設立を間接的に支援していた。
ちなみに日本において民間航空を監督する官の組織は航空局といい、大正九年(一九二〇)八月に設置されて当初は陸軍省の管轄にあった。これが同十二年(一九二三)四月に航空局官制改正によって逓信省に移管している。
隆政と幹部三人(市政、荒木、佐竹)は、いま苦労して定期輸送路を立ち上げても、その大会社が進出してきた折に吸収・合併される危険が高いとの見立てで一致した。
市が大連に来た数年前とは状況が変わり、飛行機事業の先行きが見通せなくなっていた。隆政は時代を先取りしようとしたが、逆に時代に追い越されつつあったのかもしれない。
そんなことで、彼は市政と会合するときなど密かにため息をついていた。
(こいつがもうちょっと頑張ってくれればな‥‥‥)
市政は技術に明るく、飛行機の技術的な面は任せておける。関連する情報にも敏感で、その収集も怠らない。それは陸軍航空の情報も含む。国内の社会情勢や世界情勢に疎い訳でもない。技術系の、特に職人気質の人間とは馬が合い、社内でも佐竹や荒木らとのチームワークは良い。
しかし市政は基本的に金銭に無頓着である。それは仕事上も同じで、積極的に利潤を増やす努力をしたり事業を拡大したりの意欲は乏しい。無論、本人はそれが嫌というわけではないが、大体において受動的なのだ。
隆政は、事業拡大を差配するのは自分の役割と自覚しながら、ついつい他人にないものねだりをした。彼は市政のような種類の人間のメンタリティをよく理解できずにいた。
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