破壊と再生(三) 1

文字数 2,317文字


 九月四日の黎明。

「孝子さん、いま戻ったぞ。遅くなったのう。いやあ大変だったわい」
「お義父さま、お帰りなさいませ。よくご無事でお戻りになりました。ご帰還、まことにおめでとうございます」
 彼女は大喜びで三つ指ついて迎える。ようやくのお帰りだ。

「うむ。しかし、それにしても薩摩の兵は強いのお。足をぶった斬られたわ」
「ええ?! お義父さまが足を? 大丈夫なのですか? さつまとは一体なんのことで‥‥‥」
 話について行けない。義父はどうしてしまったのか?

「市之進先生に診てもらわんといかん。ちと行ってくるわ」
 彼は右足をひきずり、そそくさと濠医院に入って行く。

「あ、お義父さま、お待ちください! そちらは危な‥‥‥」
 見ているそばから家が潰れ、おまけにメラメラと火が出てくる。
「ああ、なんと! ‥‥‥誰か!」


 ハっと目があく。縁側の雨戸を少し開けると空がわずかに白んでいる。
「ふう‥‥‥」
 燃え上がる家の中に立った義父の姿。
 夢とはいえ、あまりに鮮明だった。彼女は正夢だの夢判断だのは全く信じないが、動悸がしばらく止まらなかった。


 朝食もみな表情が暗い。今日はもう四日だが、まだ陽蔵は戻らない。茶を飲みながら市政が雰囲気を明るくしようと努めるが、会話は続かなかった。

 そのあと、涼子はどうにもいたたまれなくなった。母に許可を貰い、晶子に会いに行く。震災当日以来、顔を見ていなかった。


 本堂の横の住宅を訪ねると、出て来たのは例のお父さんだ。意外に愛想が良い。

「朝早くから済みませんが...」
 ゆっくり丁寧に挨拶をしていると、晶子が出て来てにっこり笑った。彼女が父に見えぬように指差すので、玄関を出て二人でそちらに歩いた。そこは檀家さんの墓地だ。
 ぱっと見たところ、意外に被害が少ないようだ。

「大丈夫だった?」
「うん」
 二人は同時に尋ねて同時に返事した。

 少し入ると中に(あるじ)のない一画がある。一部残っている石の土台が立派だ。
「ここ座っちゃおうか」
「え、いいの?」
「うん、見つかったらすごく怒られるけど、お父ちゃん忙しいから来ないよ」

 泥を払い二人は並んで座った。小鳥の声だけ聞こえ、涼子は言葉が出ない。

「涼ちゃん、大丈夫? 何だか元気ないけど、誰か怪我でもしたの?」
「‥‥‥」
「?」

 少し間ができた。
「あのね‥‥‥もしかすると、怪我よりもっと悪いかもしれないの‥‥‥」
「え?」

 涼子はこれまでこらえていたものが一気に吹き出し、みるみる目が潤んできた。晶子は驚いたが、黙って涼子の肩を抱いた。涼子の方がずっと大きかった。

 空を見ると、秋を思わせる掃いたような雲が少し出ている。そういえば今朝は涼しい。傍らでは、震災など関係なく小鳥が元気にえさをついばんでいた。


 そうして二人はしばらくじっとしていたが、やがて涼子が起き直った。

「実はさ、おじいちゃんが震災の日から帰ってこないの‥‥‥」
「ええ? ‥‥‥あの古武士のようなおじいちゃんが?」
 涼子はうなずいた。

「そうか、そうだったの‥‥‥」
 晶子は頭の中で指を折った。
(丸三日か。たぶん動けないところにいるんだろうな。もしかしたら‥‥‥)

 彼女は何度か陽蔵と会ったことがあり、書をほめてもらったこともある。涼子ではないが、胸に疼くものを感じた。もっともっといろんなことを教わりたかった。

(涼ちゃんは大丈夫かな。もし万一のことになっていたら、その辛さはあたしとは比べ物にならないはずだ‥‥‥)
 晶子はまるで大人のように涼子を気遣った。

 実は彼女の家には寺仲間や檀家から様々な情報が入っていた。

 下町ではもの凄い数の人が亡くなり、火葬場に運ぶことができず、方々でまとめて火葬しているという。
 また、彼女の父も弔いであちこち出ずっぱりなのだ。付き合いのない家にまで。あまりの数に、もはや葬儀の形式にこだわっていられないそうだ。

 震災以来、父は布施を取っていない。それを聞いたとき晶子は少し父を見直した。少しだけ。


 涼子が前を見たまま尋ねた。
「ねえ晶ちゃん、神様っているのかな?」
「うん、いるんじゃない?」
「え、晶ちゃんには仏様がいるんじゃないの?」
「うん、あたし仏様嫌いだから。えっと、昔から八百万(やおよろず)の神様って言うでしょ? たとえばさ、そこの木にも神様が宿っているんだよ、実は」
「えー、そうなの? 本当に? じゃあ、あたし木登りなんかして、神様踏んづけてたのかな?」
「うん、そうかもしれないけど、神様は寛大だから大丈夫だよ」

 寛大はよく分からなかったが、多分おじいちゃんみたいなのだと想像した。
「へえ、そうなんだ」
「ちゃんとお祈りしとけば良いんだよ」
 何やら怪しい理屈だが、晶子と話していると心が軽くなる。

 涼子は続けて尋ねた。
「人って死ぬとどうなるの?」
 晶子が答えた。
「星になるんだよ」

 これは想像した答と全然違う。
「え? それは西洋のお話じゃないの?」

「そうでもないよ。古代の東洋にもそう言う人はいたよ。みんなが信じてたわけでもないだろうけど」

「ふーん、‥‥‥じゃあ、もしかすると、おじいちゃんはもう星になっちゃったのかな‥‥‥」

 涼子はまた涙が出て来た。小さな晶子が大きな肩を抱く。

「それは分からないけど、もしそうなら毎晩会えるじゃない」
「そうか‥‥‥そうだよね」
「でも、涼ちゃんのおじいちゃんは必ず帰って来ると思う」
 そう、たとえ霊魂になっても。

「‥‥‥うん。ありがとう」
 昼前に彼女は晶子と別れた。

 帰りがけに濠家の前を通ると、中に人がいて市政の背中が見えた。あとで聞いたが、修理の見積もりというのをしていたらしい。


 この日も陽蔵について何の進展もないと思われたが、事態は意外なところから動き始めた。
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