第2章 第5話

文字数 2,823文字

 ひと踊り終えて、四人でジョッキを飲み干してから。あ、因みに今日も他の客は半分くらいは入っている訳でして。俺たちの狂乱ぶりを笑って許してくれた訳でして。

 クイーンがiQOSを咥えながらカウンターに戻ってくる、そうあの次の日から、『居酒屋 しまだ』は終日禁煙、但し電子タバコを除く、となった。と同時に、彼女は紙巻きタバコをやめ、iQOSにしたらしい。

「ったく迷惑な客だオメーら。てか、忍も一緒か、仕方ねーな」
 健太も一昨日手に入れたばかりのiQOSを慣れない風に吸いながら、
「それよりさクイーン、とっととキングと付き合っちゃえよ。軍司も満更でもねー見たいだしよぉ」
「そーよ姐さん。もう銀行員じゃねーし、よく働きそうな小娘もいるし。とっとと押し倒しちゃいなよ、きゃは」

 また健太と忍がお節介にも、俺とクイーンが付き合うのかどーか、と小煩く言ってくるので、
「あのな。俺らさ、まだ出会って二、三ヶ月くらいだぞ。そんなポンポン話は進まねえの。クイーンの気持ちだってあんだろう。なあ?」
「「……」」
 クイーン、健太が気まずい顔となる。
「な、何だよその沈黙…」
 クイーンが咳払いをしながら健太と忍に、
「つうか… その… コイツとアタシって… 全然別の世界じゃん… 生まれも育ちも」

 ちょっと待て。それは関係ない。社会的立場だの社会格差なんてのは、ちょっと前までは感じていたが、今は断じて関係ない、と言い切れる。
「それは関係ねえよ。オマエの三人の子供の親だって…」
 すると突然モードが変わってしまう。いつもの恒例のアレだ。

「だから… 私は諦めたのよ。あの人達、私とは違う世界の人って…」
「え…?」
「は…?」
「…!」
 クイーンは昔の男の話になると、このような人格モードになる。のをコイツらは知らなかったのかよ…… 一体どんだけ連んでんだよ。とまれ皆、驚愕の表情だ。

 しばらくして、徐にゆうこが口を開く。
「先輩、それは違うよ。人を好きになる気持ちと社会格差とかのそれとは別。いいんだよ、自分の思った通りに人を好きになれば。」
 忍も大きく頷きながら、
「そーそー。相手の立場とか地位とか、カンケー無い無い。」
 健太も二人に乗っかって勝手なことをほざく
「とにかく、一発やっちゃえ。それからだよそれから」
 とにかく健太に拳骨を一発喰らわせる。

 だがクイーンは首を振りながら、
「あなた達には分からないわ! 全然違うのよ、生まれ育ちが違うと。食べ物の好みも、普段着る服の趣味も… それこそ、一緒に行きたい旅行先も…」
 三人は顎が外れんばかりに口を開け、唖然とする。
「「「……」」」
 クイーンは悲しげな視線を俺に向け、絞り出す。
「こないだの箱根もそうだったわねキング。私にはあんな高級なところ、辛いわ正直… 貴方とはやはり違うのよ…」
「そ、そんなこと…」
 言いかけて俺も下を向いてしまう。

「そうよ、違うのよ… 貴方とは…」

 寂しげに呟いて、クイーンは厨房に戻ってしまう。

「あ、あんな姐さん、見たことねーわ。何なのキンちゃんあれ?」
 クイーンと何十年の付き合いの忍も知らないモードに恐れ慄いている。
「クイーンが、優しい言葉喋ってるの、初めて見たわ… 逆にメチャクチャ怖えー」
 中学生以来の付き合いの健太も全身を震わせながらビビっている。
「光子先輩… 昔から自分のことより人のこと… 全然変わってない。からこそ、ちょっと悲しいな…」

 そうなのか? ゆうこがポツリとクイーンの変わらぬ人柄を語ってくれる。
それにしても。
 まさか、あいつがそんなことを考えていたとは、全くの想定外だった。俺との社会格差? 育ちの差? アイツが笑って蹴飛ばすと思っていた事を実はアイツ自身が一番気にしていたのだ。

 例えば。
 今夜の俺とクイーン。一緒に並んで歩けば、すれ違う人々は「え?」と首を傾げながら振り返る程、違う。Theoryの紺のサマージャケットにBOSSの白のボタンダウンシャツ、スピカのオーダーシューズの俺と、赤地にキチガイ兎の描かれたTシャツ、穴の空いたスキニージーンズ、安売り量販店のペンギン絵柄のサンダルを履いたクイーン。正直、全く違う人種である。

 昔から意外に健康に気を使い、タバコはやらず深酒も避け、暇な時にはホテルのジムで体を鍛えてきた俺と、毎晩泥酔、やっと最近紙巻きから電子タバコに、定期的な運動なぞ皆無のクイーン。全く価値観が違い過ぎる。

 コイツを代官山の流行りの一流フレンチに連れて行きたいか、と問われれば… それはちょっと無いな、思っているのは事実である。

 などと、俺が心中で考えていることを意外に聡いクイーンが、感じてしまっているのではないだろうか?
 有名国公立大学卒で元銀行支店長のエリートと、中卒で孫もいる地元のヤンキー崩れの女。クイーンと一緒にいることを俺が公にしたくない、誰にも紹介出来ない、もっと言ってしまえば、『社会的価値観が違う』女とは付き合えない。
 そんな風に俺が思っていると?

 健太と忍が何やら話し込んでいる最中。間宮由子がそんな俺の心の動揺を狙いすましてー呟く。
「そっか。せんぱいはまだ光子先輩の事、本当に好きなわけじゃないんだ…」
 確かに、この間宮由子ならばー 俺に『似合う』のだ。大卒、大企業勤めからの知性派芸能人。育った環境は大分違うが、学んだ知識や立ち振る舞いはほぼ共通している。
 恐らくクイーンは俳句と狂歌の違いすら分かるまい。俳人イコール廃人だそうだから。そう考えると俺が一緒に居て価値観を共にし、知的探究心を満たせてくれるのは間違いなく間宮由子のような女だ。

 だが。

 忍と健太がハアーと溜め息をつく。
 俺も上を見上げて、何なんだろうと考える。

 この歳になって人を好きになるって、何なんだろう。若い頃の恋愛とは確かに違う。あの頃のような、会いたくて会いたくて眠れぬ夜も、ちょっとでも声を聞きたくてダイヤル回して手を止める事も、確かに無い。
 しかし俺はあの箱根以来、クイーンの事で頭がいっぱいなのだ。

 妻が死んで以来、夕食は家でほぼ食べていたのが、ここのところ週の半分以上は『しまだ』で過ごしている。そして彼女の顔を見てホッとし、彼女と食べて飲んで腹の底から笑って過ごすこの時間が欠かせなくなりつつある。
 育ちの違い? 社会階級差? 
 そんなモノを超越して、俺はクイーンに心が傾いている。
 好きか嫌いか、と問われれば、好きと即答できる。
 では、今すぐにでも付き合いたいか、これから一緒に暮らしていきたいほど好きか? と問われるとー

 そこで即答できない自分が、いる。

 そんな思いに一人耽っていると、ゆうこが隣にきて、他の三人に聞こえない声でそっと呟いた。

「まだ、あるんだ、チャンス」

 ギョッとして振り返ると、彼女はクイーン達と別のトークを始める…
 そんなゆうこの姿を呆然と眺めてしまう。

 恋心 あてもなく今 梅雨の空

 間宮先生、如何でしょうか……
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