第4章 第7話

文字数 1,826文字

 吉田屋旅館に純子さんを迎えに行くと、彼女は凛とした佇まいで言う。

「ママ。龍二さんと一晩語り合ったわ。」
「そう。気があったね。」
「と言うか、そうね。あの人と一緒にいたら思考の森で共にー」
「はいはい。で、飲んだの?」
「えっと…」
「で、脱いだの?」
「…… ママ!」

 俺とクイーン、そしてゆうこママが大爆笑する。顔を真っ赤にした純子さんの何と清らかな可愛さ。昨日の車中のドス黒い愚痴を撒き散らしていた本人とは別人としか思えない。この土地が、料理が酒が、そして龍二くんが彼女をここまで激変させたのだ。

「さ、行こうか。病院に寄ってワンちゃんを」
 純子さんは真顔で首を振り。
「あ、結構です。あの病院に置いていきます」

「は?」
「へ?」
「え?」

 俺たち三人は首を傾げ、眉を顰める。二日酔いなので思考が全くついてこない。この子は一体何を言っているのだろう? すると彼女は、

「と言うか、私、今月いっぱいで会社を辞めます。そして来月からここに住みます」

「はー!」
「へー!」
「えー!」

 俺はさておき、クイーンとゆうこは一瞬唖然とし、そして互いに向き合い、強く大きく頷き合い、力強いガッツポーズを取り合うのだった。

 それにしても何という決断力の速さ。是非我が社に欲しい人材である。

 きっと彼女も龍二くんも、この歳にして会うべくパートナーに出会った、といったところなのだろう。ゆうこではないが、まさに『運命の出会い』だったのかも知れない。

 まさか、クイーンとゆうこは最初からこれを見越していたとは思えない。だけど二人の母は互いに感じるものがあったのだろう、先輩のお子さんなら、ゆうこの娘なら、的な何かが。
 部外者の俺からみても、龍二くんと純子さんは実にお似合いだ、うちの葵と翔よりもずっと相性が良さそうである。価値観、知性、社会性などは本当によく似た二人だ。
 昨日会ったばかりで急過ぎないか、なぞ俺は思ってしまうのだが、何年何十年付き合おうが、それが本当にマッチした相手でなければ、いつか二人の関係は破綻する。
 成育環境の違い、価値観の違いをこれからゆっくりと擦り合わせて行けば良い。
 慌てることは何もない。
 この地にはそれを温かく見守る風土と人がいるのだから。

 東京への帰りの車中。今日も純子さんの一人舞台だ。
 如何に今迄自分の出会ってきた人間が残念だったか。如何に龍二くんが自分には適しているか。如何に龍二くんは自分でなければ駄目なのか。

 それにしても、よく喋る子だ。とても人見知りとは思えない、実は親にそう言っているだけで相当のコミュ力の持ち主なのでは、と疑う。
「と言うかママ。龍二さんがママのことをとても褒めていたわ」
「へーー、何て?」
「この時代にしては中々気の利いた句を詠む女だ、そうよ」
「あら。ありがと」
「と言うか、こうも心配していたわよ。ただもう少し頑張らねば、金光うじは我が母に陥落してしまうであろう、と。乾坤一擲の大攻勢を期待す、ですって。ママ、せいぜい頑張ってね、あ、もう飽きたから結婚式はしないでくれるかしら」
「チョーシこいてんなよクソガキがぁ、ああ?」

 こら。純子さんを脅すな、と横を向いたがクイーンは大欠伸中… あれ? え? 何今の恐ろしい文言は? 俺の空耳だったのかしら、そっとゆうこをバックミラー越しに眺めると、楽しげに大井松田辺りの景色を楽しんでいる…

 海老名SAで各々軽い昼食をとり、千鳥ケ淵に到着したのは夕方4時過ぎ。懸念された渋滞には全く当たらず、これ程快適なドライブがあるか、と自画自賛したい程の旅であった。と自分では思っているのだが?

「せんぱい。こんなに楽しい旅は、初めて! また秋の句会の時、絶対!」
 嬉しそうな、そして何故だかやや妖艶な微笑みでゆうこは言ってくれる。
「金光さん、ある意味、私の人生を変えてくださり、ありがとうございます」
 重っ この子、やっぱ重度のコミュ障? 俺が困った顔をしていると、純子さんが真顔で俺にそっと囁く。
「さすがママの五番目の旦那さん候補です。なるべく早く、クイーンさんと駆け落ちすることをお勧めします。でないと、あの男たちのように……」

 まるで挽き肉となったガマガエルを眺める表情で俺に警告を与えてくれる。

 やばいやばいやばい。死んだ親父が俺の腕を引き戻してくれている気がする、何かしなければ、俺はゆうこに捕食されてしまう……

 近所に厄除け蠍除けに効く寺か神社なかったかな、帰ったら健太に相談すっか。
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