第4章 第1話

文字数 2,306文字

 吉田屋旅館を後にした俺たちは、『あおば』に向かいながらそれぞれの想いをぶつけ合っている。それにしてもいつもはアレな二人だが、ちゃんと母親なのが実に微笑ましい。

「いいなーなんか。これってアレか、『運命の出会い』ってヤツか?」
「まさか先輩の息子さんと純子が… ホント、これぞ『宿命』だったんですよお!」
「ウチの葵とオマエんとこの翔といい… なんかあんのかもな、本当にー」
「私とせんぱいの間にはまだ何もありませんよ! さあこれから二人でーきゃ」
「って、ゆうこテメエ何どさくさに紛れてー!」
「だって先輩。せんぱいの事好きじゃないって言ってたもん!」
「だから、それな、いや、そんなんじゃなくて、っつうか…」

 これだけ狼狽えるクイーンは初めてだ。そのきょどり方が実に半端なくて、当事者ながらつい微笑んでしまう。

 修善寺は地名である。

 修善寺には『修禅寺』という寺があり、俺のような温泉初心者はどっちがどっちだか分からなくなる。この寺は曹洞宗の寺院であり、正式には『福地山修禅萬安禅寺』と言うらしい。

 寺や神社には全く興味が無いのでスルーするつもりだったのだが、意外や意外、クイーンがどうしても行きたいというので、軽くご挨拶に参る。
 山の木々に囲まれ、夕暮れの日差しが照らす本堂で手を合わせ、仕事の成就を祈願する。二人の先輩後輩は深く目を閉じ手を合わせ、一心に何かを願っている。

 白のサマーニットの二人の敬虔さを瞳に焼き付け、俺はそっと一人本堂を後にする。
 きっと二人とも、子供達の幸ある行く末を祈っているのだろう。その姿は目を細めるほど美しく気高いものだった。
 俺は本堂を振り返り、目を瞑り彼女達の願いが叶いますように、と心の中で合掌する。

 川沿いの細い路地を夕暮れの中なんとか通り抜け、ようやく『あおば』に到着する。

 箱根の『銀の竪琴』とは別の、悠然たる風格が俺たちを圧倒する。横目でクイーンを見ると、前回ほどでは無いが、やはり怯え感が否めない。

「本当に久しぶり。この季節は特にいいですね、緑が深いわ。さ、行きましょう」
 流石、有名文化人。実に自然体である。俺はクイーンの肩に手を置き、
「おい。アレだ。あいつの真似をしよう。」
「そ、そうだな… オマエより遥かに頼もしい」
 俺は確かに、と頷きながら、
「それは否めない。成り切るぞ、風流を楽しむ文化人、の付き人」
「よし。言葉遣い、互いに気つけんぞオラ」
「……力むな、力抜け…」

 ゆうこがこちらを振り返り、首を傾げながら
「どうしました? 早く行きましょう?」
「こ、これは失敬。行こうか」
「お、お待たせしたわね。参上するわよ」
「……二人、なんか変ですよ」
 ゆうこは軽く吹き出しながら玄関を潜る。

 受付で予定では四名だったのが三名になった事を告げ、部屋に案内してもらう。
「『鳥の羽』専務取締役の金光です。よろしくお願いします」
「『しまだ』の島田光子です… 夜露死苦… いえ、宜しく…」
「ようこそいらっしゃいました、さあ間宮先生、皆様、こちらへどうぞ。」

 受付の係りの人も仲居さんも、俺たちのパーティーは間宮由子とその仲間達、というスタンスで扱ってくれているので、俺もクイーンもゆうこの陰に隠れ、落ち着いた挙動を保つことが出来ている。気がする。
 
 流石、日本最高峰の旅館。建物内の雰囲気、調度品、窓外のちょっとした景色、どれもが俺が未だ嘗て経験したことのない類のものばかりである。建物自体はそんなに古く感じないのだが、内装や調度品に「歴史」を感じる。
 その辺に何気なくかけられている掛け軸。よく見ると俺でも聞いたことのある有名な作家のものであったり。さらによく眺めると、高校の美術の教科書に載っていたものなのでは…

 前回の箱根の時と違い、今日のクイーンは挙動不審、とまでは言わないが、あちらこちらを見回し、ほー、だの、へー、だの、そこそこ興味を持っている様子だ。

「どうだ、この旅館?」
「ああ、じゃねえ、ええ。上等ですわね」
 真顔で必死なクイーンについ笑ってしまう。
「… もうすぐ部屋だ。後少し、頑張れ…」

 案内された部屋は八名でも入れそうな広い和室である。流石に新しさはないが、壁の掛け軸や花瓶に飾られた一輪の花、窓からの景色のどれもが思わず溜め息が出る程の佇まいである。
 古いながらもそれを隠そうとせず、日本人の持つDNAに刻まれている古き良き日本、を思い出させてくれる部屋である。

「前と比べて、どうよ?」
「アタシは断然こっち。なんかエラソーな感じしねえ。古くからの物をスッゲー大事にしてる感じがする。いい!」
 クイーンも似た感想のようである。まあ前回みたいにテンパらなくて本当に良かった。
「ふふ、先輩ったら。よくわかってますね」
「って?」
「一流ホテルとかってドレスコードが有ったりして、こちらの格にお客様もお合わせください、っていう感じじゃないですか。でもここはお客様に自然体でお楽しみください、なんですよ。だから肩肘張らないで、思うがままに過ごせばいいんですよ」

 成る程。そういうことなのか、ホテルと旅館のコンセプトの違い。
「…… 勉強になる。先生、もっと教えてくれ」
 俺は素直にゆうこに頭を下げる。彼女はとびっきりの笑顔を返してくれる。
「そうか。いいな。そーゆーの、いいな」
「お二人とも、時間も時間だし、さっとお風呂いただきませんか?」
「いーねー。ゆーこ、行こうぜっ」
「先輩とお風呂なんて、うそみたい、行こ行こ」

 なんとも微笑ましい。俺もお風呂を「頂く」ことにしよう…
 
 あ。でも、天然ゆうこだけに、背中に赤サソリの刺青なんてしてねえだろうな… 後でクイーンに聞いてみよう。
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