第2章 第3話

文字数 1,483文字

「クイーン。頼みが、ある」

 その夜、『しまだ』のカウンターで俺は緊張している。前回の日帰り温泉の時とは全く別の緊張だ。誰にも頼める相手がおらず仕方なく頼った先月とは、俺の中でクイーンの立ち位置が大きく変わっている。
 そう、こいつは只の知り合いでもなく、仲の良い友人でもなく、愛し合っている恋人でもなく、こうして二人で話していると心がポカポカしてくると言うか、それって初号機かよと思われてしまう自分が… 何言ってんだ俺。自分が大混乱だ誰か助けて…

 その時、ガラガラと扉が開き、今や常連と化しつつある間宮由子が入ってくる。今夜も白を基調とした清楚な出で立ちで、薄暗い店内が一瞬で明るくなる感じに正直クラクラしてしまう。
「またまた来ちゃいましたー 先輩、とせんぱい」
「おう。ゆうこ、らっしゃい。で、頼みって何だよキング?」
「ゆうこさん、今晩は」
「仕事帰りですか、せんぱい。そのサマージャケット、素敵ですねっ」
「あ、ありがと… ゆうこさんもその白のジャケット、良く似合ってるよ」
「せんぱいに褒められたー 嬉しいー で、頼みって何ですか?」

 何故だろう、俺は急に口ごもってしまう。
 クイーンに温泉旅行の同伴を頼むことを彼女に聞かれたく無い、と言うか知られたく無い自分が居る。これってまさか、俺、彼女に…

「で。何だよ頼みって。また、アレか、温泉一緒に行ってくれってか、仕方ねーなー、一丁ひと肌脱いでやっか」
「えーーー、先輩いやらしぃーー、せんぱいの前で脱ぐんですかぁ! それで、一緒にお風呂入っちゃうんですかぁー?」
 忍がややうんざり気味で、
「…ゆうこさん、何かキャラ変わってません?」

 そうなのだ。ここの所彼女はややメンヘラ気味だ。で、それがまた良くツボを突いてくる。狙ってやっているのなら相当痛い、だって50女がヘラヘラデレデレとかウザ過ぎて絞め殺したくなる。
 だが彼女は狙ってやっている訳ではない、すなわち相当な天然物なのだ。テレビでのキャラそのものなのである。それは少女時代を知るクイーンや健太の妻の証言も同じであり、もし世代随一の危険な暴力娘でなければ、完全にいじめの対象となりうべきボケっぷりだったそうな。

 彼女のコードネーム、いや二つ名は『赤サソリ』と呼ばれていたそうだが、本人は『紅サソリ』の方が良いと言い張っていたとか、今日の気分は黒猫なのと黒のブラジャーを頭に乗っけて登校したとか…

「いやー、マジでコイツやべー奴だと思いましたよ、アンパン(シンナー)食い過ぎて頭溶けてんのかと… その日は一日中、何話しかけても『にゃー』しか言わねえし。」

 先週、珍しく健太が奥さんを連れてきていた時に、彼女は震えながら語ったものだった。
 それぐらい天然モノなのだ、ゆうこは。つまり、男にとって大変危険なオンナだ、特に真面目で仕事一途系にとっては。
 俺もどちらかと言えば仕事邁進系だったので、これ系には正直、弱い。過去の彼女達も系統としてはこれ系だった。本気で付き合うことは難しいが、一緒にいるとホッとするし癒しになる。
 事実、この『しまだ』に彼女が来ると、俺は露天風呂程ではないが癒される。

 話は冒頭に戻り。俺はゆうこの目と耳を大いに気にしながら、それでも仕方なく頷く。
「実は… その通りなんだ」
 クイーンはパッと表情を明るくし、
「おっしゃ。いつにするよ? 早めに言ってくれよ! 何なら店閉めっからよっ」
 何故か冷たい視線を一瞬感じる。誰のものかはちょっと分からないが。
「それでな、 今回なんだけど…」
 煮え切らない俺にクイーンは眉をしかめ、
「何だよ?」

「泊まり、なんだ…」
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