第1章 第10話

文字数 2,088文字

「光子先輩っ また来ちゃいましたっ!」

 とある平日のジメジメした雨の降る夜。間宮先生は今夜は一人で堂々といらっしゃる。その現れっぷりは、とても有名人とは思えぬ清々しさで、きっとこの店に来るまでに多くの市民を唖然とさせてきたに違いない。

 白のワンピースをモデルのように着込み、赤のピンヒールをかつかつ言わせながらカウンターに近づき、真っ赤な傘をよいしょと畳む。俺と忍は口をポッカーンと開けながら、先生の来訪にただただ驚いている。正直、彼女のような有名人が来るような店ではないと思うのだが。
 だが、クイーンは満面の笑みで彼女を出迎えて、
「おー。皇居のほとりからよく来たじゃん」
「今日は清澄で句会が有ったんですよ。近くだったから来ちゃいました。」

 滲み出る清楚。甘え方の可愛いさ。縋るような笑顔。十歳以上若く見える容姿。それも決して演じる訳ではなく、天然モノ。確かにオトコは簡単に落ちる。間違いない。
「金光先輩。今日は先輩の話いっぱい聞きたいなー」
 白豚(もう面倒くさい)の目が細くなる。豚の嗅覚がアラートを嗅ぎつけたようだ。
「私、卒業式で先輩から頂いた制服のボタン、まだ持ってますよー」

 え… な・ん・だ・と…
 覚えてないし。全くもって…

 クイーンが物凄い目つきでサワーのグラスをドンと彼女の前に置く。
 それを全くモノともせず、先生は
「あー、喉乾いた。頂きまーす」
 とても、良くない予感がする。

「そう。今日の午後、泉さんの病院にお見舞いに行ってきたんだよ。」
 ジョッキを傾けながらクイーン、忍、そして何故か間宮先生に、俺は今日の夕方の出来事を語り始める。ここ数日、すっかり梅雨入りしたせいか、客の出足は相当鈍い。今夜も俺以外にテーブル客が二組だけ。暇を持て余している忍とクイーンは俺の話をやはりジョッキ片手に興味深げに聞き入っている、
 俺が二度(一度目は翔が助けたと言っても過言ではない…)命を救った泉さんは、狭心症で千駄ヶ谷の辺りの超高級病院に入院している。まあ、あれだけの人だからそれも頷ける。彼の心臓バイパス手術は無事に成功し、I C Uから一般病棟、それも個室にて療養中との奥様からの連絡が入り、会社の仕事をほったらかして早速お見舞いに行ってきたのである。

 クイーンはニッコリと微笑みながら、
「へー、手術成功したんだな、よかったじゃんか。どんなだったよ?」
「まあ、元気そうだったよ」

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「いやー。金光さんが、旅行代理店にお勤めとは。てっきり銀行か何か、かたーいお仕事されているかと見受けたのですが…」
「はは、半分当たってますよ。去年まで某銀行勤めでしたから」
「いやー、やっぱり。何だろうな、雰囲気あるんですよね、貴方には。真面目さ? 正直さ? 実直さ? ねえ、どれも銀行の人っぽいでしょ。」
「そんな… 恐縮です」
「いやー、それでいて、ねえ、あんな素敵な女性と… いやーホント羨ましい…」
「ですからアイツは…」
俺は正直に彼女は地元の中学生時代の同級生であり、居酒屋を経営していると話す。
「いやー、今日も一緒に来てくれるかと楽しみにしてたんですけどねえ、そうですか、いやー、是非一度お店に邪魔したいですなぁ」
いやー。ところでアンタ、アイツのアソコ実は見てたんでしょ… とは口に出さず。
「いやー、金光さん、僕が退院したら、温泉に是非行きましょうよ、彼女誘って、ね?」
「ハハハ… いいんですか、奥様に叱られますよ?」
「いやー、そこはオトコとオトコの… ね」
 愛嬌のあるウインクをされた時、ふと俺はこの人とある意味ディープキスをしたことを思い出す。ああ良かった、俺がホンモノの女好きで。やはり何かにおいて一流の人は男女を問わず人を惹きつける魅力がある。
 そういえば先週、そんな魅力を天然に振り撒きまくっていた女性がいたなあ…

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「そうなんですか… 先輩とせんぱい… 一緒に温泉に行く仲だったんですね…」

 間宮先生は俺の話を聞き終えると、ちょっと驚きの目で俺らを眺める。それより、先輩とせんぱいって…
「ば、馬鹿、そ、そんなんじゃねえよ!」
 咄嗟にクイーンが口答えする。ので、俺も、
「ち、違うよ、仕事でたまたま…」
 薄っすらと冷たい笑みを俺たちに向ける。
「二人して顔を真っ赤にして… ふーん」
 クイーンは更に食い下がり、
「だ、誰がこんなエロおやじ…」
「は? 誰がエロ親父だって? は?」
「人のアソコ見てギンギンにおっ勃…」
 こ、こいつ! 先生の前でふざけたことを!
「やめろーーーーーーーーーーー」

 俺は店中に響く大声でクイーンの言葉を遮る。パラパラと入っている他の客が、何事かと俺を睨みつけ、それから先生を見て皆コソコソ話をし、おおおっと感嘆する。あーあ、バレちゃったじゃねえか、先生のお忍びが…
「うふふ。見た目はなんかアレですけど、なんとなくお似合いですね…」
 間宮先生は寂しげに呟く。

 そんなにクイーンを慕っていたんだ…… 少しだけ、申し訳ない気持ちになる。
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