第1章 第2話

文字数 706文字

 箱根から戻って最初の出勤日だ。昨日の日曜日から本格的な梅雨入りらしい。しとしと雨が街を湿らせ、我が家もじめっとした感じだ。

 空を見上げると一昨日とはうってかわって重苦しい灰色の空である。折り畳みではなく、去年の父の日に葵から貰った紳士用の黒い傘をさして家を出る。

 殆どの人が、特にサラリーマンは、梅雨が嫌いであろう。蒸し暑さの中駅にたどり着く頃には、シャツはベッタリねっとりだ。満員電車に乗ると他人のそれを否が応でも感じてしまう。たまに体臭のキツい人の横に立つだけで、その日一日を呪いたくなる。まあ俺は重役出勤のため、そこまでの思いはしていないのだが。

 俺も普通に梅雨の季節が好きではないが、今日はジメジメした空気もワイシャツが背中に張り付くねっとり感も殆ど気にならない。更に言えば、今隣に立っている筋肉質の男の発する加齢臭プラスワキガ臭も全くどうでもいい。
 梅雨入りの月曜の朝から一人ハイテンションなのである。

 理由はー

 一昨日の日帰り出張仕事がそこそこ上手くいった事。この会社に来て初めてまともに仕事をこなした気がする。昨日書いた報告書も我ながら中々の出来である。

 そして。

 何十年振りだろう、胸の奥に仄かな温かみが生まれた為だ。一昨日まではその女に会うのが憂鬱だった。全然俺のタイプでも無かった。出来れば関わり合いたく無かった。

 しかし昨日からはその女のことが一日中気になり、思わず夜その女に会いに行ってしまったほどである。

 故に、朝から訳の分からない母親の嫌がらせも梅雨の満員電車も、許す。そんな気分で俺は、二年前から勤めている旅行代理店『鳥の羽』のある有楽町駅で下車し、足取り軽く会社に向かっている。
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