第2章 第6話

文字数 1,611文字

 それ晩以来、ゆうこはすっかりこの店の常連となる。
 千鳥ヶ淵から頻繁に… 酒は滅法強く、決して酔い乱れることはない。ゆうこが目的な訳ではないだろうが、この頃より『居酒屋 しまだ』の客が増え始める。それもこれまでの昔ながらの常連客ではなく、一見からの客ばかりである。

 平日の夜なのに、七時を回る頃には満席、満卓。何でも口コミで〆の深川メシがちょっと評判になったようで、来る客皆が深川メシを求め満足して帰っていくそうな。
 故に、仕事帰りに顔を出しても、ど満席で泣く泣く帰宅、なんて夜も増え始め。店側も対応策として、常連専用席、すなわちカウンターの二席は必ず空けておくこととすることで、俺、健太、そしてゆうこの誰かしらがいつ来てもこの席に座れるようになったのだ。

 俺とクイーンは相変わらずあの時のままだ。あの夜はちょっと気まずくなったが、翌日からは互いにバカを言い合ってワイワイ飲んでいる。それを忍と健太が生暖かく見守っている。 

 俗に言う、関係の先送り、である。

 そんなある夜。俺、クイーン、そしてゆうこの歯車が動き出す。

 この日もド満席だったが、三回転目の九時からの客の入れが悪く、十時過ぎには三割程度の入りであった。この日のゆうこは九時過ぎにフラっと現れたのだが、最初から表情が固くいつもよりも元気が無い様子であった。それは、
「娘の飼い犬が調子悪いんですよー」
 のが原因だそうで。

「へー娘さん犬飼っているんだ。確か同居じゃなかったっけ?」
「そうなんです。娘はOLなので、昼間は私が面倒見ているんですよ」
 いつもと違い憂い顔のゆうこ。これも実に男の庇護欲をそそるヤバいやつである。
「犬かーーー アタシはドーベルマンがいいねえ」
 クイーンがiQOSをふかしながら言うのだが、確かにこの女にこそ似合いそうな犬だ。チワワとかダックスフントとか死んでも似合わない。

「因みに何を飼っているの?」
「豆柴なんですけど。あれ、せんぱいも犬飼ってるとか?」
「飼ってないよ。俺も母親も娘も、あまり犬が…」
「えー、ぜひ飼ってみてくださいよお、ぜったい好きになりますよおー」
 と真正面から瞳をガッツリロックオンされると、今夜帰りに犬を買いに行きたくなる。やはり本当に危険なオンナである。

 その豆柴ちゃんの容態を聞くと。数日前から食欲が無くなり、元気が無くなっているそうだ。近くの獣医に診てもらったのだが、最近急に暑くなってきたから夏バテだろう、そのうち良くなると言われたそうだ。
 だが日に日に元気が無くなってきて、セカンドオピニオンを求めて別の獣医に行こうかどうか迷っていると言う。

 iQOSを吸い終えてジョッキを口にしながら、
「ふーーん。何なら龍二のトコ、連れてってみっか?」
 とクイーンが真剣にゆうこに言う。ん? りゅうじ?
「リュウジ? 誰それ」
 お前、前に話したろ的な非難めいた表情で、
「二番目の息子。動物の医者やってっから」

 いやいやいや! それは初耳である。

 これは一度整理しなくてはならない。
 確か、クイーンの子供は三人、一番上が長女で名前が真琴さん、翔の母親。何やってんだろう?
で、二番目の長男が今判明したリュウジくん。獣医なんだ。
 三番目が次男、名前職業、不明。

 それにしても獣医とは。医師程ではないが、相当優秀でないとおいそれとなれるものではない。少なくとも大学の獣医学科を卒業し、国家試験に合格しなければならないはずだ。
 このクイーンの息子が大卒で獣医とは! あまりのギャップの大きさに愕然としたまま言葉が全く出てこない。

 そんなゆうこはパッと顔を明るくし、
「先輩、ホントですか? 是非紹介してくださいよお」
「あーー、でもちょっと遠いんだよなー」
 クイーンが頭をポリポリ掻きながら、しかめっ面をする。
「何処なんだ?」
「えーーと、伊豆の修善寺の近く。」

 ふーん、修善寺、そりゃ遠いわ、日帰りではかなりきびs……

「なん… だと…?」
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