ティータイム

文字数 5,259文字







 品川が自宅の洋風庭園で母親とのくつろぎのティータイムをしていると、母屋から悲鳴が上がった。
 悲鳴の主は、昨日連れてきた上野だ。

「拓海さん、何ですのあの汚い生き物は?」

 どこぞのお姫様のように洗練された巻き毛を持つ品川の母、浅海がティーカップを置いて静かに差し向かいに座った息子を見る。顔は品川によく似ている。

「私達と同じ人間ですが、毛並みが違うので少々粗相を働いているみたいです」

 品川が質問に答えると、浅海は対象物である上野に興味無さそうに

「そうなの」と応じるだけだった。

「母さん、あの者を我が家に連れて来ても文句も何も仰らないのですね」

「どうして文句を言う必要があるのですか?」

 浅海は純粋に息子の変化に感動しているようだ。

「勉強と武芸にしか興味を示さなかったあなたが、初めて他人に興味を抱いているなんて。人としてとても喜ばしい事です」

「では母さん、あの者をうちで飼ってもよろしいでしょうか?」

 品川は真摯な瞳で母親を見つめ、彼女のネイルアートだらけの白い手を白手袋に包まれた手で掴んだ。

「あらあら、どうしようかしら……?」

「母さんにお手間は掛けさせません。グルーミングや餌の用意は自分でします故」

「彼は犬や猫とは違いますのよ。……まあ、拓海さんのお願いなら良いかしらねぇ」

 いつも無表情で無愛想だった息子の可愛らしいおねだりに母はコロリと参っていた。
 どうやらこの親子は上野を本気で品川家にペットとして迎え入れる気満々らしい。

「ぅぁぁぁぁぁぁぁああああああああ!」

 大リーグボール養成ギプスを身に付けた半裸の上野が緑色の汁塗れでこちらに逃げて来る。

「やあ、上野君」

「何でもいい、助けてくれ。医者のオッサンに殺される」

 緑色の汁からは何とも言えない青臭い臭いが漂っている。上野は目の前に無感動で佇んでいる品川の背後に回ってしゃがみ込み身を潜めた。

「困った仔犬ちゃんだな、よしよし。で、助けたらどうにかなるのかな?」
 
 微かな悪意が漂う微笑み。

「へ……?」

 身の危険を感じた上野が間抜けな声を上げて品川を見上げると、

「テーブルの下に隠れたまえ」

 品川は上野を絹で出来た豪奢なテーブルクロスの中に長い脚を使って押し込んだ。平然とした顔で。

「拓海様ー!」

 眼鏡の医師とナース、なぜかフランケンシュタインみたいな大男が庭園に駆けつけて来る。医療関係の者は上野を探しているようだ。

「どうかしたのか?」

「検体である上野剣太郎が逃げ出したのですが、こちらに来ませんでしたか?」

 代表して医師が品川に訊ねるが、彼は目を伏せて溜め息をついただけだ。

「初対面で私を敵視していた彼がこちらに助けを求めて来るのだろうか? 疑問だ」

 そう品川が答えると、使用人達は青ざめて慌て始める。
 とっつき辛そうな御曹司にどうやって弁解に務めるか悩んでいる。

「とんでもございませんっ!」

 品川の厳しい視線と彼の母親の威圧的なオーラで泣きそうなナースがペコペコと頭を下げた。

「申し訳ございません、検査が滞ってしまいまして、なかなかデータを上げる事が出来ないでおります」

 手元のカルテを品川に渡した医師の眼鏡が不気味に太陽の光を反射している。
 光の反射の先には、『輝け球界の超新星!』というタイトルが付いた原稿の束がある。その束はフランケンから品川へと手渡された。

「拓海坊ちゃま、ゲラ(校正原稿)が刷り終わりました」

「ふむ、このまま印刷して構わない。更に修正するつもりは無いからな」

 品川は原稿の束に目を通す事無く、満足そうにフランケンに返した。
 彼は自らが描いたシナリオの内容を書籍にしようと動いている。ジャンルは『ノンフィクション』……タイトルの隅の方に小さく印字されていた。

「あなた方、騒がしいですわね」

 品川の母の浅海が眉間に皺を寄せて扇を扇ぎだした。
 使用人達の騒々しさに嫌気がさしている様だ。

「もういい、君達は下がってくれないか」

 あからさまに使用人をうざったそうな瞳をしながら、品川は無表情ながら「さっさと失せろ」と手を払ったのだった。
 ただの人間には興味がないのである。



 使用人を遠ざけ、品川と品川の母、上野だけが洋風庭園の中にいた。
 品川親子は優雅にアフターヌーンティーを続けている。
 半裸の上野は忌々しそうに大リーグボール養成ギプスを外そうと椅子の上で一人もがいていた。
 テーブルを挟んで向かいに座る品川が黙って上野を凝視し続けている。

 半裸のヤンキー、お姫様風の女、一見まともに見える金髪の貴公子が一つのテーブルを囲んでいた。
 ティーセットとお菓子の側にいた浅海が妙な沈黙に暇を持て余して耐え切れない。

「拓海さん、お茶のおかわりは?」

 上野に熱い(?)視線を送る無表情な息子のティーカップにお茶を注ぐ。
 
「お母様、あなたの為にアップルパイを焼きましたのよ。お食べなさい」

 ひたすら上野の動きを観察し続ける息子の口元に、フォークで小さく切ったアップルパイを持っていく。
 もぐもぐ。品川は母の焼いたアップルパイに関心を抱く事無く、ただ上野を穴が開くほど見つめていた。

「何ガン見してんだよ?」

 気分を害した上野は居心地が悪そうだ。
 因みに、上野にはお茶やお菓子は用意されていない。

「気にしないでくれたまえ」

 もぐもぐ。品川は母親にアップルパイを食べさせてもらっていた。

「……俺には、アップルパイとか、その、無いのかよ?」

「勿論、ありませんわよ」

 皿にホールで置いてあるアップルパイは全て品川の物だ。母の愛情がたっぷりねじ込まれたパイの表面が艶やかに輝いている。
 食べ物を見せ付けられ続けるのは、空腹の上野には耐えがたい光景だ。

 異様な品川親子の空気に巻き込まれた上野はその場にいるしかなかった。
 逃げ出しても良かったのだが、広すぎる品川邸の敷地で迷ったりでもしたら、使用人にすぐ捕獲される危険がある。捕獲されたら何をされるかわからなかった。
 だが、上野は忘れていたようだ。
 一番危険なのは、使用人を動かす品川だという事を。

「上野君、私の物にならないか?」

 唐突に話を持ってこられ、大リーグボール養成ギプスを外そうとしていた上野の手が勢い余って自らの顎にぶち当たった。

「あべし!」

 声を上げて椅子ごとひっくり返る。
 品川の先制攻撃に上野は疑問符と不気味さを感じている。

「私の所有物になるなら、アップルパイでも何でも与えよう」

 椅子から優雅に立ち上がった品川は、ひっくり返ったまま驚いている上野に優しく手を差し出すのだった。

「断る!」

 間髪入れずに上野は男らしく簡潔に答えた。しかしなぜかこの時の姿勢は女座りで。

「アップルパイが嫌ならケーキはどうだろう?」

「断る!」

「好きな物を言ってくれたまえ」

「嫌だ!」

 ことごとく品川の申し出を撥ね付ける。
 承諾してはいけない雰囲気を放っているので、上野は本能的に否定を続ける。

「楽園へ連れてってあげよう」

 自分の威圧感に気付いている品川が急に笑顔を上野に降り注ぐ。女性ならば誰もが惹かれそうな優美さと煌びやかさのオーラを放っている。
 南国の蝶が舞う背景つき。
 上野は紛う事無く男性なので、品川の笑顔は通用しな……。

「な、何もいらねーから、俺を解放しやがれ!」

 照れて頬を赤らめながら怒鳴る。
 貴公子品川の表情のギャップと美しさについ惹かれそうになったが、理性と危機管理能力が作動して踏み止まった。

「上野君は我が侭だなぁ」

 元の無表情に戻った品川が大げさな身振りで溜め息をついた。笑顔は営業用らしい。

「かーっ! テメー、訳のわかんねー奴だな」

「何を躊躇しているのだね? 私のペットになれば何でも手に入れる事が出来るのに」

「嫌だってんだろ」

「上野君は馬鹿だなぁ、欲が無いのかい?」

 品川の瞳の奥には虚無が渦巻いており、吸い込まれたら抜け出せそうも無い不気味さが見える。この世の中は全て金と権力と謀略で回っていると信じている者特有の濁った眼をしていた。

「馬鹿じゃねえよ!」

「ムキになる所が可愛いな」

 咽喉の奥から「ククク」と笑い声みたいな声を上げながら、眼球は見開いたまま無表情な品川。本来の笑い方らしいが、はっきり言って怖い。

「ちょ……キモッ!」

 素肌に鳥肌が立った上野だが、大リーグボール養成ギプスの拘束で思うように上肢が動かなかった。

「君は私にどうして欲しいんだ?」

 上野を持て余し、困り果てた様子の金持ちの御曹司は彼を見下ろしたまま、2度目の溜め息をついた。今度は本気で溜め息をついている。

 上野は暫し考える事にした。
 拘束を解いて欲しい。
 とりあえず今拘束されている上半身が開放されれば何とかなりそうだ。

「この変なギプスを外してくれ」

「ほう……」

「友達になる位なら考えてやってもいいからよ。頼む」

 その『友達』というワードに、品川本人ではなく、母の浅海が驚いている。
 手に持っていた扇子を大げさに落とし、椅子から立ち上がって震える。
 ガターン! 椅子が後方に倒れた。

「まあっ! 拓海さんにお友達が……」

 浅海は品川に友達が出来た事に純粋に感動して瞳に涙を浮かべ、目頭にハンカチを当てていた。

「良かったですわね、拓海さん!」

「……友達、か。まあいい」

 あっさり承諾した品川が上野の拘束を解くのを手伝った。

「友達成立の握手だ」

 品川が右手を差し出すと、上野が右手を出して彼の手を握った。
 握手……!
 物凄い握力で品川が握り返す。顔は無表情なのに威圧的だ。

「いだだだだだっ!」

 対して握り返す上野。裸の上半身は力が入ってほんのり桜色に染まり、青筋と汗が滲み出した。
 ぎゅうううううううっ。渾身の力で品川の手を握り締めた。

「この野郎、握手に乗じて力比べとはいい度胸じゃねえか」

 互いに握手で対抗するのに情熱を燃やす上野はなぜかちょっとだけ楽しそうだ。
 パキ……。乾いた音を立てて何かが折れた。
 急に品川の手に力が入らなくなった。

「凄い握力だね、上野君」

 嬉しそうに笑う品川だが、目は笑わずにほぼ無表情のままだ。
 品川は右手を複雑骨折して手袋から血を滲ませていた。だが、平気そうにしている。
 何か恐ろしいものを見た。

「うわ! すまねえ!」

 自分がやらかした事に気が付いた上野は即座に飛び退き、品川から離れた。

「ハハハ、気にしないでくれたまえ。君と握手出来たのだから、これしきの骨折なんて問題ない」

 問題がありすぎて上野が引きまくっている。
 友達になったのはやはり間違いだったんじゃなかろうかと、上野は後悔し始めた。
 しかし『友達』を彼の親が見ている前で骨折させてしまったのだから、親は驚きと怒りで友達解消を求めて来るだろう。

「あら、大変」

 浅海は狼狽もせずに、息子の負傷に慣れた様子で手持ちのハンカチで品川の右手首を縛りに動く。とりあえず止血したようだ。

「痛くはないかしら?」

「全く問題ありません、母さん」

 割と大怪我をしているのに和やかに会話する母子が不気味だ。
 上野が逃げ腰で腰を浮かすが、故意に怪我をさせてしまったのだから、謝罪の姿勢を見せなければいけないという心理が働いて逃げ出す事が出来なかった。やんちゃな外見に反して律儀な性格をしている。
 
「どうしたんだ? 上野君、青い顔をしているぞ」

「いや……、お前、本当に手大丈夫か?」

「私の事を心配しているのか。手はすぐに治るから心配要らない」

 ニコリ……。上野を安心させるために品川が美しく微笑んでみせる。
 本人は狙った訳では無さそうだが、水か氷のような恐ろしさを持った笑顔は上野を萎縮させるのには充分な威力を持っていた。

「そ……そうか」

 骨折させた代償として、何か請求されるのではないかと上野が怯えるが、

「今日はもう遅いし、親御さんも心配しているだろう」

 予期せぬ言葉が掛けられた。

「へ?」

「もう帰るといい」

 先ほどの品川の仕打ちなら、報復か何かされるかと思ったのだが、意外とまともな言葉が投げつけられだけで済んだ。
 拍子抜けする上野には、ここから抜け出すチャンスなので慌てて頷いた。
 丁度逃げ出したかったのだ。

「わ、わかった。じゃあな、お大事に……」

 上半身裸のまま、逃げるように品川親子から背を向けて庭園を後にする。









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