一緒の朝
文字数 2,690文字
翌朝、蒲田のいなくなった品川は朝の身支度をするのに大変な目に遭っていた。
上野宅にお泊りする事にして、使用人の人払いをしていた為、残されているのは身支度も料理も出来ない屈強な外国人ボディガードのみだけである。
上野が完全に覚醒すると、台所から不穏な煙が上がっていた。
「やあ、上野君! おはよう」
さわやかな挨拶をする品川だが、台所に立っている彼が何をしているかというと、髪にドライヤーを掛けているみたいだった。換気扇を回しながら。
「げっ! お前、何してんだよ?」
長い前髪の毛先がコンロに炙られて燃えている!
上野は慌てて品川をコンロ前から突き飛ばし、シンクの中に貯めていたたらいの水を頭から浴びせた。
コンロの火を消し、ドライヤーのコンセントを引っこ抜いた。
「ざけんな! 火事になったらどうすんだよ!?」
「火事? いや、私はあの独特な前髪を作るのに自らで努力していただけだ」
品川は水を滴らせて長い前髪を顔に貼り付けたまま顔を上げた。
独特な前髪……。そういえば、人物紹介の髪形は読者から見て右側が物凄い量の外ハネをしていた筈だ。現在、ただの長すぎるストレート前髪が少々焦げてチリチリになっている。
品川の考えでは、髪の毛を熱で何とかしようとしていたのだ。
そこまでは正しい。が、コンロの火を髪の毛に使うのは良くない。
「ハードスプレーという物を知らんのか?」
ハードスプレーを持ち出して品川の前に突き出す。VO5。
シンクの縁に置かれている手垢まみれのハードスプレーは上野があらかじめ持っている物だ。こういう消耗品は借金取りの人々に回収されずに済んでいる。
「知っているが、火の側で使うのは良くない。スプレー類は火気付近では爆発の危険が伴うからな」
「し、品川あぁぁぁぁ!」
何だか品川の感覚がよく解からないが、上野は品川の無駄な細心の注意に対して彼を抱擁してしまった。
とりあえず住居火事の危機は去ったのだ。
「苦しいよ上野君……」
きつく抱きしめる筋肉質の上野に対して、細くしなやかな体の品川は抱きしめられてもがき始める。上野の馬鹿力はギチギチと品川を締め付ける。
「あ、すまない!」
急に自ら品川を抱きしめている事に気がついた上野は頬を赤らめて急に飛びのいた。
抱擁から開放された品川はゲホゲホ言いながら咳をして上野が赤面して照れる様子を冷静に眺めている。
上野は気を取り直し、
「髪の毛をセットする時はまずはハードワックスからだぜ」
100均のタッパに入れたお手製のヘアワックスらしき怪しい物体を品川の前髪に塗り始めた。チリチリになった毛先をどうにかしてやろうと考えている。
妙にベタベタする感触だが、特に匂いも無く臭くは無い。
上野は品川の髪を好きなように盛る。
彼に髪の毛を好きなようにされている品川は、使用人に髪をセットされるのに慣れているみたいで、特に抵抗もせず黙っている。途中で上野に座るように言われると、黙って台所の床に座り込んで上野に髪の毛を整えられた。
そして、出来上がった頭は……。
「よし、完成したぞ! 我ながらいかしてるぜ」
パラリラパラリラパラリラ……。そんな効果音がとても似合いそうな、暴走族風とでも言えそうな前にせり出して自己主張する前髪が出来上がっていた。
サイドの髪まで前髪に盛り付けた髪型はフランスパンみたいなリーゼントに仕上がっている。
「昨日の朝に差し出したパンに似ているようだが、君はそんなに嬉しかったのか。上野君の表現力は芸術的で素晴らしいよ!」
とんでもない髪型にされた筈の品川が、なぜか上野を大絶賛している。
今までにない伝説のヤンキーみたいな髪の毛に新鮮味を覚えているのだろう。
「え……? 本当か?」
かつて、上野がセットしたこんな邪悪で古典的な髪型を絶賛する者は不良関係者以外誰も存在していなかった。しかも、自分の貧乏不良生活と対極の生活を送っている金持ちで優等生の品川に褒められるとは思ってもいなかったのだ。
「とても素敵な髪型だよ。気に入った、ありがとう」
品川はその場で上野を抱き寄せ、きつく抱擁する。
そんな突発的な抱擁に上野は戸惑うばかりで、照れながら頬を赤く染めた。先程は自ら品川を抱きしめに行ったのに、今の反応はえらい違いだ。
「ばっ、馬鹿野郎……ありがとうだなんて、そんな対した事……」
上野は照れる、照れまくる。
「そうだ、お礼にキスでもしようか」
「……マジか?」
頬を真っ赤にした上野が躊躇する。
化粧をしないでも美しく朱の指した品川の唇が迫る。
ここで、「何で男同士で?」という疑問符が上野の邪魔をする。
ひたすら頬を染めて戸惑う上野に対し、品川は表情も変えずに当然のように上野の後頭部を手のひらで支えて自らに引き寄せようとする。
ガッッ!
品川の頭のフランスパンの部分が上野の眉間に突き刺さった。
ガッッッ!
もう一度やってみたが、前髪の出っ張り部分が長すぎて近づけない。
意外にも髪の毛を固めたヘアワックスとハードスプレーの効果が利きすぎて品川の前髪は全く崩れようともしない。硬質の物体を額上部にくっ付けた品川の髪の毛は二人の距離を近づけようともしてくれなかった。
「…………あのよー、こういうのはもういいからよ」
そう言う上野の額からは血が細く流れて筋が出来ていた。
「そうか、前髪が邪魔をするならば仕方がない。着替えようか」
そんな品川だが、上野から離れると両手を広げだした。
どうやら、自ら着替えた事が無い様だったのだ。
上野が首をかしげながら、自分の制服である学ランに着替える、
その間も、品川は黙って両手を広げていた。
「もしかしてお前、自分で着替えた事が無いんか?」
「……いつもは蒲田が全て整えてくれていたのを忘れていたようだ」
その時、初めて品川は自らの恥ずかしさで頬が紅潮した。
今回、上野宅に突発に関わらず泊まりに来た際に、身の回りを任せる使用人は蒲田以外におらず、他はボディーガード等の外にいる黒服のSPが数人いるのみだった。
外で常駐するSPに品川の身の回りの世話は出来ない。
よって、上野が品川の服を着替えるのを手伝うことになったのだった。
……ついでに、朝御飯の支度も執事の蒲田さんがいなくなった事によって、上野が作る事になった。