懲罰房の正体

文字数 7,240文字








 防音設備のされた第二音楽室の内部は薄暗く、簡単な木材で組まれた低めのステージには照明が差されていた。その中央にパイプ椅子とメタリックな塗装がされたエレキギターが無造作に置かれている。
 照明の背後にはドラムセットが組まれ、音源用の機材が積まれ、室内で小さなライブなら出来そうな雰囲気を醸し出していた。間違いなくこの部屋は軽音部の部室なのだろう。
 
「……ょぅこそ…………」

 その声はぼそぼそして小さくて聞き取りづらかったが、確かにそう言っていた。
 野球部を引率していた東の前に立っていたのは、彼より身長を10センチほど低く見積もった小柄でピンク色の髪に渦巻き状の触角を持った気弱な女性と見紛う容姿の黒衣の青年だった。

「やあ、ぺー先生!」

 同僚の東が気さくに話し掛ける教師の服装はミュージシャンらしく、華美ではあるが統一感のある洗練されたファッションをしていた。彼の名はぺ・ヤンス。近年K-POPが日本にとって大事な音楽になり替わりつつあるので、韓国からわざわざ招かれたと生徒達は聞いている。

 見た感じもウサギか何かの小動物をイメージさせて人畜無害そうに見える先生である。鬼軍曹みたいな先生が出て来るのかと思ったが違った。
 この第二音楽室=軽音部がなぜ懲罰房と呼ばれているのかが上野には意味が解らない。他は理由を知っているのか、入室前から品川以外が震えていた。

「何か知らんけど、うちの子らが1日世話になりたいそうでな」

「…………………イヒッ」

 何か東にぼそぼそ言っていたみたいだが、最後の特殊な笑い声の「イヒッ」だけははっきりと聞こえた。
 不吉な予感だけが漂ってきている。が、上野はまだ気が付いていない。

「今日は軽音部の子達が買い出しに行っているそうでな、ぺ先生は丁度人手が欲しかったそうだ」

 東はニコニコしながら野球部の面々に説明すると足早に軽音部の部室を去ろうと踵を返した。

 ガッッ! 東の肩をぺが掴んだ。

「……お手本……帰る……ダメ」

 韓国訛りの日本語でぺが東を引き留める。彼の瞳は決して笑ってはいなかった。

「イヤアアアアアアア!」

 引き留められた東はぺに引っ張られ、あっという間にステージに設置されたパイプ椅子に座らされた。
 この時上野は、あの触角グルグル(ぺの事)意外と力があるんだなと単純に思った。外見は小動物でも男は男である。

 何が始まるのか?
 野球部員達は息を飲みながら第二音楽室の入り口で固まって立ちすくんでいる。

「テメエら! 縛る物持って来い。新曲のインスピレーションが湧きそうニダ!」

 それは日本語ではなかったが、ぺは固まっている野球部員に向かってスタンドマイクを使って大声で命令した。キーンというハウリングの音だけが後で反響した。

 何を言っているのか解らなかったが、母親が韓国ドラマを字幕で見ている影響でなんとなく韓国語を理解した大久保が即座に動いた。

「先生、荒縄です」

 部室の隅に置いてあった人を縛れそうな細さのロープを見つけてぺに献上するように跪いて手渡した。

「ゲヒャヒャ、気が利くじゃねえか!」

 ここは日本語だったので他の部員もマイク越しに聞き取ることが出来た。

 そして、東は手際の良いぺの手技によって亀甲縛りにされてパイプ椅子に縛り付けられた。
 この後一体何が始まるのか、芸能科の恵比寿以外は予想が出来ない。

 ぺはその場に打ち捨ててあったジャックの繋いでないエレキギターを手にすると、亀甲縛りにして座らされている東の上に座ってジャカジャカとギターを弾き始めた。

「な……何なんだ? あいつは?」

 いきなりの洗礼に度肝を抜かされた上野は言葉を失いかけたが、隣に立っていた恵比寿に説明を求めた。

「……ぺ先生は韓国では売れっ子の作曲家でRよ。だからああしてイメージが湧いた時に生贄を使って作曲を……」

 今回の生贄は東だったのだろうか……。

「ナニカチガウ、ナニカチガウ」

 ぺは日本語で呟きながら驚いて固まったままの東に座り続けている。
 どうやら作曲に行き詰っているらしい。

「ぺ先生、よろしかったら我々もお手伝いをしたいのですが、何かさせてもらえないでしょうか?」

 強烈なインパクトを放ち続けるぺに向かって自然な動作でエレガントに申し出に向かって行ったのはやはり品川だった。
 品川はこの懲罰房と呼ばれる第二音楽室に入室時も一切怯えていなかった。

 ぼそぼそ……。ぺは近づいてきた品川に何かを告げると人間椅子にしていた東から降りた。

「はい、承知しました」

 了承した品川は頷くと、未だ入り口に固まったままの野球部員達を呼び寄せた。

「君達、服を脱ぎたまえ。ぺ先生に失礼にならないようにな」

 ――――!?

 部員に命令をした品川は率先してユニフォームを床に脱ぎ捨てる。
 最後にバサッとズボンを下ろすと、品川の程よく引き締まった下半身に純白の布が現れる。だが、紳士のたしなみなのかいつもの白手袋は決して外さない。

 ――――ふんどし?

 品川は至極古風な下着を身に着けていた。布は上等な絹を使っているのだろう、微かに光沢を放っている。
 そのふんどしの前垂れには『品川』と豪快な筆文字が印字されている。所有者が誰のものか明確にする為にネーム入りだった。
 ネーム入りのふんどしに他の野球部一同はぎょっとする。
 そしてなぜか、上野は品川のふんどし姿にドキッとする……。

「品川、すげえ男らしいな!」

 ドキドキを隠そうと上野は照れ隠しに品川を褒める。

「…………ジャパニーズ……インナー」

 ぺはマイクから離れているのでぼそぼそと一人で歓声を上げている。

 品川は裸に白手袋はさすがにコーディネイト性に欠けると感じたのか、ユニフォームのポケットに忍ばせていた白足袋を履き始める。ふんどしと足袋……、そのコラボレーションは日本の裸祭りか何かを連想させた。

「ようし! 俺達も脱ごうぜ!」

 品川のふんどし姿で一人だけ士気が上がった上野は潔くユニフォームを一気に脱ぐ!
 労働で健康的に焼けた肌と、喧嘩で鍛えた傷だらけの逞しい肉体が露わになる。下着は元は黒いトランクスだったのだろうが、ずっと穿きつづけているのかくすんで灰色がかって見える。下着で彼の苦しい経済状況が垣間見えた。

「くううっ! 上野君が脱ぐなら俺も脱ぐよ!」

 上野の潔い脱ぎっぷりで決心した新宿は彼に続いて全部脱ぐ。
 日焼けが出来ない体質なのか、生白い肌が目立つ。毎日野球で鍛えているのに筋肉は付いておらず、鎖骨とあばら骨が浮いている。
 下着は真っ白なブリーフで、超過保護な親が用意した物なのだろう。ゴムの部分に学年と出席番号と名前が小さく記入してあった。

「なっ? 何このノリ? 脱ぐのでRか?」

 3人が脱いだ事により、自分も脱がざるを得なくなったと感じた恵比寿は引き気味にまっさらなユニフォームを脱ぐ事にした。

 脱がなければいけないのか……! 
 小動物然としているぺの視線は脱げと言わんばかりに恵比寿と大久保に行っている。見つめている彼の表情は穏やかだが、心なしか黒い視線である事に嫌でも気付かされる。

「でえAい!」

 ユニフォームを脱ぎ捨てた恵比寿の下着は縦縞の派手な柄のビキニパンツだった。股間の部分がもっこりとしており、俺は男だと主張している。
 ココナツの甘い香りがする肌は健康的で程よく鍛えた筋肉が浮いている。ギャル男と主張せんばかりのシルバーのネックレスが光を放つ。

「ふー、仕方がありませんね……」

 脱ぎ捨てた恵比寿と対照的に、大久保は脱いだユニフォームを丁寧に折り畳んで足元の床に置いた。
 文学少年と思わしき大久保だが、そこは野球部員である。筋肉は目立たないがそれなりに体は引き締まっている。下着はアニメキャラのプリントされた可愛らしいトランクスである。

「(…………何でRか? このときめきは……?)」

 恵比寿は隣で大人しくユニフォームを脱いだ大久保の肉体というか尻の部分の美少女がプリントされたトランクスの部分に視線が泳いでいた。
 もしかするとプリントされた2次元の美少女にときめいたのだろうと錯覚する事に決める。後で美少女キャラの名前を大久保に聞こうと考え始めた。

「先生、これで全員脱ぎ終わりました」

 品川がぺに話し掛けると、ぺはコクリと頷き、裸で直立している野球部員達をしげしげと眺め始め……。

 クンカクンカ

 花を愛でる様に野球部員達の匂いを嗅ぎ始める。
 ぺに品川以外が戦慄を覚える。

「……臭い」

 ぺは上野の前に立ち止まって鼻を摘んだ。

 上野の顔が茹蛸の様に真っ赤に染まる。

「…………貴様、毎日体洗っていないだろう? 野良犬みたいな強烈な臭いだな。何日目だ?」

 ぺは光彩の無い瞳で上目遣いに上野に明確な発音と低いしゃがれ声で尋ねた。

「え、えーと。3日目っす……」

 恥ずかしそうに上野が答えると、ぺは黒い表情でニヤリと微笑んだ。

「3日目でこうなるのか……ククク、最低な臭いだ……な。さて……」

 ぺはジャケットのポケットをまさぐると、ベルトが付いた所々穴が開いている黒いピンポン玉みたいな物を取り出した。
 それを品川に投げて渡す。

「それはお前に貸そう。……つけ方は知っている……な?」

「何ですかこれは?」

 品川はSMに使うアイテムを知らないようだ。

「ギャグボールですよ、品川先輩」

 漫画で博識になっている大久保が品川に耳打ちした。
 使い方を上野に恐怖を与えないよう、こっそりと品川に教えた。

 何か儀式めいた事が始まる――――

 この場にいたぺを除く全員が緊張感に包まれる。

 縛られてしばらく放心状態になっていた東は、いつの間にかドラムセット脇に放置されていたラバーマスクと呼ばれる通気性の悪い黒光りしたデスマスクを装着させられた。

「ふぐー! ふぐー!」

 何か言いたげに声を荒らげて抗議しているようだが、外部には全く通じない。

 ぺはそんな東に優しく微笑みかけると、パイプ椅子から緊縛を外した。だが、亀甲縛りはそのままだ。
 
 東は床の上に転がされて抵抗しようと体をくねらせるが、ぺの厚底靴がみぞおちに落ちた。

「ぐふぅ……」

 これから何が始まるのだろう?
 狂気と魔性に満ちた第二音楽室の一日体験はまだ開始されたに過ぎない。

 儀式だ……。
 これは悪魔召喚の儀式だと上野は思い始めた。

 喧嘩が達者で体の大きな上野でさえ、なぜか小動物みたいな外見のぺの邪悪で高圧的なオーラに逆らえない。
 黙ったまま、小声のぺに間接的に命じられるままに後ろからビキニパンツ姿の恵比寿に羽交い絞めにされる。

「ごめんYO!」

 恵比寿は苦笑いをしながら上野の両脇の下に腕を回して彼の二の腕を拘束された。

「暴れないで下さいね」

 力の強い上野を抑え込むのはさすがに一人だと無理だと考え、萌え柄トランクス姿の大久保が屈んで腰の辺りを前から抱くように抑え込む。上野が汗臭いのか顔は嫌そうにしかめ面だ。

「お……俺も手伝……」

「邪魔だ、どきたまえ」

 なんだか本人的に羨ましい構図(?)に新宿が飛び込んで行こうとしたが、上野の所有者と名乗っているご主人様の品川が阻止した。
 品川は上野に首輪(SMグッズのギャグボール)を装着させようと妖艶に微笑む。

 何か倒錯された濃密な空気が辺りに立ち込める……。
 この部屋の独裁者と化しているぺは、ラバーマスクを装着させられた東の這いつくばった背中に腰を掛けて縦笛を怪しい音階をつけて適当に吹きながら厳しい眼差しで下着姿にされた野球部員達を見守っている。

「ちょ……コレ……うぐ!」

「エレガントさに欠ける首輪だが、今度君に似合うアクセサリーをプレゼントするよ」

 品川は愛しい恋人にネックレスを装着させるように優しく、上野の口にギャグボールをはめ込んだ。
 装着させられた上野の口元から呑み込めなかった唾液が流れ落ちる。

「フフ、意外と似合ってるよ、上野君」

 つつっ、と上野の顎をひと撫でして零れた唾液を拭う品川は彼にだけ幸せそうな笑顔を見せた。

 そんな異様な空気に取り残されたブリーフ一枚の新宿は、

「う、羨ましくなんかないんだからね……」

 そう呟いて上野の恥ずかしい姿態をチラチラ横目で見ながら遠巻きに悔しがったり恍惚の表情で羨ましがったりしていた。今日も仲間外れだ……。

 全てぺの指示で上野の逞しい肉体を赤いロープを使って品川が縛る。
 キュッと上野を天井に縛り上げると、

「くっ……!」

 エビ反りにされて屈辱の表情で苦しそうに呻いた。

 その屈辱に耐えられない上野の頬は上気しており、何とも言えない色気を放っている。
「ああ、上野君可哀想に……」

 だが、品川はぞくぞくして満足そうに見つめている。どうやら彼にはSの素質があるらしい。余ったロープを雄々しくパンッと鳴らした。

「う、上野君……!」

 新宿は鼻血を垂らしながら目を見開いて豚の丸焼きの様に縛られた上野を遠巻きにガン見し続けている。

 ぺの命令で赤い蝋燭を吊るされた上野の周りの床に円形に並べさせられている大久保と恵比寿は正直上野の色気なんてどうでも良かった。

 恵比寿の視線は大久保の胸元へ……。

「あの、何か?」

 大久保から冷たい視線が恵比寿に返ってくる。

「いや、キャンドルが熱くないでRか……?」

 恵比寿は複雑な感情を誤魔化すのに必死だった。

 儀式の準備は整ったようだ。
 魔法陣の様に並べられた赤い蝋燭の熱で、天井に吊るされた上野は暑さに汗をかき始めた。と言うより、肌を熱でチリチリと焼かれそうで熱さで身をよじるのに必死で冷や汗を同時に流しているといった所か……。

「うぎぎぎぎぎぎぎ……」

 上野にMの気質は元来持ち合わせておらず、反抗的な瞳で独裁者状態のぺを睨み続ける。

「……僕の見立てが……間違っていた……のかな?」

 縦笛を辞めたぺは、人間椅子にしていた東から降りると、馬具のよくしなる鞭を片手に吊るされた上野の傍へゆっくりと近づいて行った。

 パアァン!

 乾いた音が上野の傷だらけの横腹に響いた。

「ぐぅ!」

 ギャグボールの穴から上野の唾液が噴き出す。

「ああ、上野君可哀想……」

 品川は上野の飼い主と名乗っている癖に、彼を守らず調教師然としたぺに鞭打たれた上野を至福の表情で見守っている。間違いないSだ。この場所で密かにSが開花していた。

「……いい音がしないなぁ」

 無抵抗の上野にぺが何発か鞭を打ち込む。
 乾いたいい音が辺りに響くのだが、鞭を鳴らす主は納得いかないようだ。

「もうやめて! もうやめて下さぁぁい!」

 上野が鞭打たれている姿を痛そうで見てられない新宿が鞭を振るうぺの前に飛び出した。

 パァン!

 鞭で頬を打たれた新宿がもんどりうち、蝋燭の魔法陣の中に突っ込んで行った。

「うぎゃあああああああああああああああああああ!」

 蝋燭の火に炙られたり溶けた蝋燭が新宿の肌に纏わりついた。
 断末魔のような悲鳴を聞いたぺはポンと手を打ち、上野に鞭を振るうのを止めた。

 ダッ! とぺが駆け出したのはパソコンに繋がれた電子ピアノの前だった。

「ああああああああああああああ……熱い!」

 蝋燭の火が新宿の頭に引火した。

「OH! 先輩っっ!」

「消火しますよ!」

 冷静に動いた大久保が消火器を持ち出して新宿目掛けて消火剤を勢い良く噴霧する。

「ヒィィィィィィィ」

 同時に上に吊るされていた上野まで新宿と一緒に真っ白になった。
 赤い蝋燭の魔法陣は消火剤塗れになり、火は全部消えた。
 天井に吊るされていた真っ白な上野は口をギャグボールで固定されているので咽られず呼吸困難になりかけてぐったりしていた。
 慌てて恵比寿が吊るしていたロープをカッターで切る。

 真っ白になって倒れて悶絶している新宿を踏みつけ、品川が天井から落ちてきた上野を抱き留める。

「大丈夫だったかい?」

 優しくギャグボールを上野の口から外した。

「大丈夫じゃねーよ! 畜生!」

 上野は泣きそうになって目頭に涙を溜めていた。

 消火剤で白くなった室内が一瞬静まる。異様でアダルトでSMな雰囲気が一変して地獄絵図の終わりのような有様になっている。

 すると一瞬の後、

 電子ピアノの音が警戒な旋律を付けて鳴り響いた。
 K-POPの王道を大言する様なぺの即興の演奏が室内に響き渡る。

「ありがとう!! そしてありがとう!!

 ぺの感謝を表す優しげな声はマイクを通してハウリングして聞こえてきた。
 どうやら新しい曲が思いついたらしい。

 後は「お前ら帰っていいぞ」とばかりに、ぺはヘッドフォンを付けて視線はパソコンのブラウザに固定された。
 彼のドSのオーラだけが野球部員に伝わってきた。

 目の前にやって来た豚を使えるだけ使って後は放逐するのがぺのSMプレイスタイルなのだろうか?

 ひとまず解放された事に安堵した野球部員達は、懲罰房と呼ばれる第二音楽室から逃げるようにして転がり出て行った。

 その数週間後、ぺが作り出した音楽がKーPOPアイドルによって情熱的かつ繊細に歌い踊られ、韓国でヒットチャートを叩きだした事は協力者達はまだ知らない……。



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