転校生・上野③
文字数 4,213文字
年度替り直前の変な時期に転入してきた上野は、山ノ手学園の制服ではない前の学校の制服のまま、担任の東から教室の生徒達へ紹介されていた。
「えー、彼が上野剣太郎君だ。みんな、仲良くしてくれよ!」
「てめえら、四露死苦!」緊張しながら上野がお辞儀をする。
時代遅れのバンカラスタイルはハイセンス過ぎて、普通クラスといえどお堅い優等生ばかりのいる山高生には受け入れられないみたいだ。ほぼ全員が上野の出で立ちに引いている。
「じゃあ、用意した席に座るように」
「押忍」
上野は急遽用意されたと見える空いた席に座る事になる。
規則的な6列の連なりのほぼ中央ラインにぽっかりと空席。どうやら、上野が来る前に席替えがあったらしい。東の粋な計らいというか余計な手間が見え隠れしている。
それぞれの生徒が馴染まない新しい席に座りながら、新入りを迎え入れようと戸惑いつつも見守っている。
上野が真ん中の席に座り、自習中に設けたホームルームが終了する。
「みんな、ちゃんと自習するんだぞー!」
東が「俺はこれでドロンするからな」と忍者のような薄ら寒いジェスチャーをしながら消えるのを誰も見てはいなかった。
自習と言われて教室で遊ばない生徒は誰もいない。
そう思うのは常識だと思われていた。
しかし、
ガリガリガリガリ……
みんな何かしら勉強している!?
誰もがふざけずに、静かに机に向かい勉学に励んでいる。中には数人で集まって談笑みたいな事をしている集団も見受けられるが、会話内容は受験の話で持ちきりだ。
これが進学校の静謐で平和な空気なのか。
「……(やべえ……居心地悪ぃ)」
悪ぶって机の上に脚を乗せていた上野は3秒でこの空気に窒息しそうになっていた。
静かなのは良いが、全くくつろげない。
キョロキョロと辺りを見回しても、「大学受験」で頭が一杯なクラスメイトは一向に話しかけてくる気配を見せない。
初日の転校生ってクラスメイトが集まってきて質問攻めに合うのがデフォルトだと思っていたが違うようだ。彼らは自分の事に精一杯で一切他人には目が行かない様子だ。
上野が溜息をついて居住まいを直し、後方を振り返ってもガリ勉だらけである。C組はここまで勉学に勤しむ生徒がひしめき合っているのだから、品川のいる特Aクラスはどんな感じなのだろうと考えようとしていたら……。
教室の後ろのドアから品川が現場を見てしまった悦子(家政婦)のようにこっそり覗いていた。
「はうあ!」
ところで、特Aクラスの人間が普通クラスを覗き見していて授業の成績は大丈夫なのだろうか?
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……
C組の教室に入りたそうなオーラを纏う品川は静かに、中にいる上野を見守り続けている。
上野はますます居心地が悪い。
「そこ、うるさい」
ガリ勉なのか普通の子だか判別が付かない強気な生徒が注意すると、
「スイマセン……」
上野は萎縮して謝るしかなかった。
黙って座っているのも限界に近づく。
なぜなら、上野は勉強道具を持ってきていなかった。暇つぶしになりそうな教科書は今まで悪には必要なかったからというより、中途半端にも程がある時期に転校してきたので校長に「教科書は見せて貰いなさい」と言われていたのだ。
仕方がないので、適当に教科書でも借りようと隣で熱心に本を読むイケメンに声をかける事にした。
意図が不明だがヒーローと正統派主人公を意識した前髪の角度にこだわる茶髪のイケメンの肩を掴んで注意を引き寄せる。
「あのさー、教科書貸し……!」
イケメンが本から顔を上げると上野の顔が側にあった。
が、上野はイケメンの顔ではなく、本の方を注視している。
「……近い」
イケメンの第一声。
まさに、腐った思考の女子がその場にいたら歓喜してしまいそうな顔の近さである。
正義の優等生と不良の組み合わせだが、教室には誰も彼らを注目する者はいなかった。 教室の外では品川がイケメンを睨み殺しそうな表情で彼らを見つめている。
「おお、オメーの持ってるの漫画じゃねえか」
急にイケメンに親近感が湧いた上野は安堵して彼の肩を組む。
それに驚くイケメンは硬直してしまった。
イケメンの読んでいる本は明らかに硬そうな勉学の本とは違い、頭の弱そうなイラストの付いた学童少年向け漫画である。
タイトルは『かっとばせ!キヨ●ラ君⑦』……。プロ野球っぽいネタが詰まった昔懐かしい野球漫画である。ちなみに、キヨ●ラ君が人気連載され隆盛を極めていた当時、上野達はまだ生まれていない。
「仲間!!」
なぜか上野は、漫画のタイトルに感動してイケメンを抱きしめるのだった。
「うひゅうっっ!」
甲高い声を出したイケメンは赤面して戸惑いつつも、歓喜した上野にされるがまま抱きしめられている。
「お前、名前何て言うんだ?」
「……新宿光利(しんじゅくひかり)ですけど」
「俺はさっき紹介された上野剣太郎だ。以後、四露死苦ゥ!」
嬉しそうに抱きしめられて頬ずりされた新宿は気後れしながら上野のペースに巻き込まれていった。
「キヨ●ラ君好きなんだね。あ、良かったら読む?」
キヨ●ラ君の①~⑥が、照れた新宿から上野に手渡される。
「おう! サン……」
嬉しそうに笑う上野が新宿から漫画本6冊を受け取ろうとすると、
バァーンッ!
教室の後方のドアが勢い良く開け放たる。引き戸の側面が壁面に叩きつけられて一度バウンドしていた。
品川がC組の教室に侵入して上野の席までモデルみたいに堂々と歩いてきた。
「私の名前は品川拓海だ」
┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨
品川は不自然なジョジョ立ちで新宿を威嚇しながら自己紹介を始めた。
その緊迫した空気は教室中に伝わり、いつしかC組生徒の視線は品川中心に集まってきている。
楽しい会話を中断されて固まっている上野と新宿に割って入った品川は躊躇せず、
ズキュウゥーン!
椅子に座ったままの上野の顎を持ち上げて当然のように接吻した。
「キャァァァァァァァァ!」教室の女性陣が黄色い悲鳴を上げ始め、きゃあきゃあと騒ぎだした。
クラスのほぼ全員が驚愕の表情で目を剥いている。
接吻された当人の上野でさえ驚愕の表情のまま品川を見る。
「上野君は私の所有物だ」
ドッギャァーン!
品川が衝撃的な発言を新宿に向かってすると、教室が静寂に包まれる。
まさに青天の霹靂のような衝撃が周囲に伝播した。
「ところで、今日からそこは私の席だ。どきなさい」
威圧的な表情と声色で新宿を見下ろす品川は幽鬼のように佇んでいる。
理不尽な物言いなのに、肝の小さい新宿は品川に従うしかない。
「ど、どうぞ……」
新宿は自分の勉強道具を鞄に入れて片付け、自分の席から立ち上がって品川に譲る。
品川はさも当然のように懐から真っ白なハンカチを取り出して椅子に敷いて新宿の席に座った。
「さあ失せたまえ、上野君にたかる淫らな蝿よ」
ちゃっかり上野の隣の席を強奪した品川は幸せそうに微笑みを浮かべながら、新宿を見る事もなく魔除けの塩を彼に撒き散らすのだった。
「あの……僕の席は……?」
品川に席を奪われた新宿は行き場を失って呆然と立ち竦んでいる。
「上野君、教科書は私が貸してあげよう。遠慮するな」
新宿を無視する品川は、上野の机に自分の物になった机をくっつけて一緒に勉強しようと申し出る。品川の崇拝者は周囲に沢山いるので教科書の心配は皆無で、彼らから手持ちの教科書を1冊ずつ品川に手渡されている。
「お……お、お、お…………」
さっき品川に接吻をされた上野は未だ驚きでろくに声が出ない。
「さあ、数学と古典どちらがいい?」
教科書を両手に2冊持った品川が真顔で上野に迫る。勉強しよう的な意味で。
ちなみに、品川に選ばれなかった教科書は既に持ち主にリリースされていた。品川は物を借りたら返さない横着者ではないのだ。
「オイィィィィィィィィィッッ!」
いきなり正気に戻った上野が咆哮するが、ツッコミが恐竜並みに遅い。
「どうしたんだい? 急に大きな声を出して」
そのツッコミは上野が品川に公衆の面前で大っぴらに初キスされた事に対してだが、完璧に空回ってしまい、騒音の罪等色々を着せられて周囲に呪い殺されそうな勢いで睨まれた。
「てめえ…………、もうい……」
完璧にアウェーの上野がイライラムカムカしていると、隣で席を奪われて取り残されていた新宿がメソメソしていた。
「いや、良くねーよ! コイツ、えーとお前名前なんだったっけ?」
「新宿光利ですけど……」
「そうだよ、新宿がテメーに席奪われて困って泣いてるぞ! 返してやれ。そして返してやれ今すぐ」
周囲の激しい注目を浴びながら上野が叫びきるが、品川は彼の叱責を全く聞き入れた様子もなく教科書を持ったままきょとんとしている。
「君、勉強が嫌いなのか?」
的外れな品川の質問に上野は眩暈がしそうだった。
「だーかーらー、お前の座ってる席は新宿の席だっつの!」
こめかみに青筋を立てた上野が品川の胸倉を掴んで怒鳴ると、やっと品川は理解したのか、ポンと両手を軽く叩いた。
「そうか。君は外敵と成り得る雑魚も気に掛ける優しい気心の持ち主だったね。君の気持ちに痛み入ったよ」
「さっさと自分の教室に帰れ」
上野は品川の胸倉を掴んだまま、小市民なら涙目で震えそうな得意のヤンキー睨みで威嚇する。
が、品川は全く動じる事ない。
疲れた上野は息荒くハーハー言いながら品川を開放した。
「新宿君だったか、君のような野豚野郎には少々不釣合いだろうが、私の席をくれてやろう。ここは交換という事で了承したまえ」
「えっ……?」
蝿や野豚呼ばわりされた新宿が驚くと同時に、品川の発言が戯れではなく本気だという事に周囲が再びざわついた。
小市民ごときに品川の席が宛がわれるなんてあって良いのだろうか?