転校生・上野①

文字数 5,315文字






 いつものバンカラスタイルで、いつもの小さな缶詰工場に出勤する。
 普通の高校生ならばとっくに登校時間なのだが、上野は夜間の定時制高校に通っているのでまだ学校には登校はしていない。

「はよざーす」

 挨拶もいつも通り。
 毎度の事ながら遅刻ギリギリの滑り込み出勤である。
 事務所兼ロッカールームのドアを開けると、従業員のおっちゃんおばちゃんが上野に注目する。全員白衣に帽子とマスクで、目だけが出ている。

「おめでとう!」

「良かったな!」

 いきなり祝福の言葉が次々と上野に掛けられる。
 誰もが目だけ出していて誰が誰だかよく見ないと判らない。
 本人は訳も解からず、詰め寄った目だけ出した白衣の人間から握手の催促を受ける。

「名門の山ノ手学園に編入出来たなんて、お前って結構頭良かったんだな~」

 気さくなオッサンに頭をグリグリ撫でられて祝福の意味が判明する。

「?」

 だが、上野は山ノ手学園の編入試験を受けた覚えは無い。
 身に覚えが無いので、相変わらず訳も解からないままでいた。

 自社製品である昆布巻きの缶詰を持った社長が上野に話しかける、

「君、登校時間に働きに来て大丈夫なのか?」

「いや、いつも通りっすよ。俺、定時制だし」

「いやいや、全日制に転校したんでしょ? そもそも無理じゃないか」

「いやいやいや、そんな事ありえませんって。全日制なら学費も生活費も稼げませんし」

 不可解な事態に、上野は困惑しているが、本人に首を傾げられた工場の社長も困惑しているようだ。

「いやいやいやいや、昨日付けで保護者の方から辞表が出てたよ。もう働く必要が無いとかで」

「えーーーーーー!?

 どうしてそうなったのか、上野は解からない。
 ギャンブル大好きな親父が招いた災いで住居の家具が差し押さえられたばかりなのに、働く必要が無いというのはどういう事なのだろうか?
 働かなければ金が貰えずに飢えてしまうどころか、いずれ雨風を凌げる住処を失ってしまう。いきなり職が無くなって、上野はその場で路頭に迷い始めた。

「とにかく学校に行きなさい。折角名門の進学校に転入出来たんだから」

 社長に背中を押され、工場の白衣に袖を通さないまま退社する羽目になった。

 なぜ、工場の人々が言う「山ノ手学園」に入学できたのか解からないまま、午前中は比較的仕事が少ない営業のおっちゃんの軽トラの助手席に気が付いたら乗せられていた。
 膝の上にはビニールに入った昆布巻きと、(元)職場のおばちゃんが選別でくれたおにぎりがある。いつも弁当を所持しない上野を気遣って持たせてくれていた。
 上野が今まで働いていた工場は親切な人ばかりであった。

 当人である上野は狐に摘ままれた感覚に陥りながら、軽トラを下ろされた。

 赤いレンガ造りの西洋風の校門が前にある。
 金メッキに緑青が帯びた歴史ある校名の表札は『山ノ手学園高校』とある。
 やはり、地元でも有名な進学校である『山高』に違いない。
 本当に自分がこんな立派な学校の門をくぐって果たして良いのだろうか? そもそもこんな進学校に入ろうとも思っていなかったので、どうすれば良いのかなんて解からない。
「そんじゃ、頑張れよ」

 営業のおっちゃんは軽トラの窓から手を振ると、そのまま車を走らせてどこかへ行ってしまった。


 マジでこれからどうしたら良いんだ?


 上野は校門の前で頭を抱える。
 時代にそぐわない学ランにマント、下駄というスタイルの高校生を、山高の生徒が訝しげに不審人物を見るような目付きで一瞥しながら通り過ぎていく。男子はグレー地に黒で縁取りされたブレザーの制服で、女子はグレーのセーラーカラーのワンピースでお洒落だ。

 登校途中の山高の生徒の注目の的になってしまった上野は、居た堪れなくなって家に帰ろうと決心する。
 山高の制服も制服も無いし、何かの間違いだと思った。

 山高の校門に背を向けて汚れたマントを翻して肩で風を切って登校生徒の流れを逆流して歩く。
 時代遅れの学生上野は、登校中で現代風の山高生徒の注目の的になっている。

 いきなり、上野の前に銀のロールスロイスが阻むように停車した。

「のわっ」

 そして、静かに後部座席の窓が開いた。

「やあ、上野君!」

 ロールスロイスの窓から今朝も対面した品川が顔を出した。登校中も上野と会えて美麗な顔の表情が輝き始める。

「我が母校の前でも君と会えて嬉しいよ」

 嬉しそうな品川の反面、上野は不吉な予感を即座に抱いた。
 生活維持の為のバイトを辞めさせられたのは、強引で余計な施しをしようと色々してくるコイツの仕業なんだろうかと疑い始める。

「ううー……」

 本人には悪意が無さそうなので、どうやって品川の言葉に返答しようか困った。
 
「もしかして、我が校まで足を運んでくれたようだね」

「朝から行く場所が無くてな……」

 上野が品川を疑いながら居心地悪そうにしていると、運転席から運転手が降りてきて彼の前に立って丁寧に後部座席のドアを開けた。

「すぐそこまでだが、乗って行かないか?」

 品川はやんわりと言っているが目付きはご主人様の「乗れ」という命令に近い。
 どうやら上野は品川の車に乗って新しい学校に登校させられるようだ。

「いや、いい」

 頑張って拒否するが、運転手に腰を押されて結局車に乗ってしまった上野である。
 運転手によって音も無くドアが閉められる。
 上野は押し込まれた体勢でシートに顔面を付けていた。

「上野君、大丈夫かい?」

 車が緩やかに発進してしまい、上野は諦めてシートに座るのだった。

「暇ならば私が校内を案内するよ。授業以外の時間ならばね」

 山高の制服をきちんと着こなした品川は朝からすこぶる機嫌が良かった。



 あっという間というか、ものの30秒で山校の正面玄関入り口の前に辿り着いた。
 上野は結局山校に戻って来てしまい、車から出ようとした時に居心地の悪さを感じた。
 生徒の誰もが品川の乗りつけて来たロールスロイスに注目している。

 周りから羨望や嫉妬の念があからさまに入った「また新しい車だわ」とか、「この間の赤いフェラーリの助手席はどうした」とか「校門を壊した馬車はもう乗らないのか」だとか「セグウェイに乗った執事さんにおぶさって登校した品川が不覚にも可愛かったぜ」とかの話し声がざわついた喧騒の中から聞こえた。
 そのざわつきの話題は、品川が連れて来た空色の髪をしたおかしな格好の男に集中している。

「あの品川さんが誰か連れてる!」

 注目していた生徒の殆どが何やら騒いでいる。

「あの子誰?」

 品川のファンクラブらしき女やオネエが車の中に留まっていた上野を敵意のある表情でジロジロ見ている。喧嘩も吹っ掛けて来ずにねちっこく見ているだけなのが上品な人間のステータスとでもいうのか、相手側は何もして来ない。
 ヤンキーの視線には慣れていた上野だが、明らかに毛色の違う人種に睨まれたのは初めてだ。睨まれたら睨み返すのが真情なので睨み返すが、圧倒的な憎悪の視線と女の数に3秒で敗北した。

「どうしたんだい?」

 先に車から降りた品川に訊かれるも、上野は首を横に振るばかりで外に出ようとしない。
 上野にはどう考えてもいる場所が違う気がしてきた。
 柄が悪いが熱い反応や拳が返ってくる下品なヤンキーばかりの学校に戻りたい。

「……登校初日だけど帰って良いか?」

 既に上野の心は女子の視線によってへし折られていた。
 彼のバンカラスタイルについて、こそこそと悪く言い出す集団が現れ始める。自分でこだわり抜いた服装にポリシーがあるので、ガラス並みに繊細な心を持つ上野は傷ついていた。

「蝿や蚊がうるさいのは仕方がない事だろう。君は飛び交う羽虫をいちいち気にするのか?」

 長い髪の毛を掻き揚げながら上野を見下ろす品川は堂々としていた。
 自分に注目する校内の生徒に全く興味や関心、感情すら抱いていない様子だった。

「そ、そうだよな……」

 気後れした上野が車から錆びたロボットのような動作で這い出した。
 刹那、

「何見てんだよクソアマ共が!」

 上野をあらゆる感情でジロジロ見ていた男女の誰ともいわない所でメンチ切った。少々顎をしゃくらせているものの、反応の無い上品な男女に怯えている。
 
 やっぱり山ノ手高校の中に入る事にした。
 不本意ながら、堂々としている品川の後についていけば大丈夫だと考えた。



 上野は品川に付いてきた事を10秒で後悔する。
 大名行列のように品川の後を興味本位の生徒達がぞろぞろついて来たのである。
 それに、廊下で品川に傅く生徒達の誰もが彼を王様か殿様のように扱い奉ってしまっている異様な状態に陥っている。
 行列の外の人垣には悪そうな生徒達がおり、特に彼らは品川を神を見るように廊下に這い蹲って最敬礼している。

 ……一体、この学校に何が?

 品川って何なんだ?

 特に行列や敬礼を気にかけもしない品川の横を歩かされる上野は、背後の嫉妬と羨望が混じった突き刺さるような視線に今すぐ帰りたくなった。
 振り向くとハゲ頭のオネエの顔があった。
 すぐに視線を元に戻した。

 行列を引き連れてたどり着いたのは、

「上野君、ここが男子トイレだよ」

 職員用の男子トイレだった。
 立ち止まったので上野の背後で人が詰まり始めた。

「何でだ?」

 品川の意図は素晴らしい位に不明だ。
 特別教室などの施設を通り越して何故トイレなのだろうか?

「こんな所から先に案内する必要あんのかよ?」

「それは君が催した時に困らないように、最低限必要な場所から案内している」

「何で職員用なんだよ?」

「ここには痔主やあらゆるお尻のトラブルがある人には有難いウォシュレットが搭載されているんだ。今の所、上野君には必要無さそうだね」

 一瞬、品川の切れ長の瞳が怪しく光ったような気がしたが、それよりも勝る女達の殺気に掻き消されて気配が感じられなくなった。

 品川が踵を返して引き返そうとすると、行列を作っていた生徒達が廊下ですし詰めになっており、戻るのが困難かと思われた。
 が、構わず品川が前に進むと、人垣がモーセの十戒のように割れた。


 次に案内されたのは保健室だった。

「上野君、ここが保健室だよ」

 にこやかに微笑む品川の前には保健室のドアがある。
 保健医が来ていないので閉まっている。

「ああ、そうだな……」

 確かに喧嘩で怪我が日常茶飯事な自分には必要な場所な気がしてきた。
 親切に案内する品川なのだが、いちいち行列を引き連れているので移動に大変な思いをしており、時間も掛かるので効率が悪い気がした。
 施設は後で自分で探検すれば良いやと上野は思うのだった。

「ここでは治療療養以外はしてはいけない事になっている」

「何が言いたいんだよ?」

 上野の質問には答えない品川。彼は先に歩き出していた。
 多分、品川が言いたいのは、保健室でいかがわしい行為をしてはいけないと言う事だろう。思春期生徒の一般的なエロ妄想では、保健室がよく使われるからだ。
 言いたい事がなんとなく理解出来た上野はとりあえず品川を追いかけた。


「次は理科室だ」

 校内を案内する品川は気分が乗ってきたのだろうか、楽しそうに上野の手を掴んで引く。かなり積極的なアプローチだ。

 ギャアアアアアア!

 女やオネエの汚くて黄色い悲鳴が上がった。

 キーンコーンカーンコーン

 同時に、始業前のチャイムが鳴っていた。

「何で理科室……?」

 時間が来たので、周りを取り囲んでいた品川の取り巻きは散って行った。
 残されたのは理科室のドアに白手袋の手を添える品川と、疑問符を頭に沢山浮かべて眉根を寄せる上野だけだった。

「ここは許されざる愛が育まれた伝説のスポットだそうだよ」

「…………そうなのか」

 背後で「ウホッ」と効果音がしたような気がした。律儀に説明してくれる品川の背景には薔薇が飛び交う。
 直後に「やらないか」という渋くて甘い声の効果音は聞こえなかった。どうやら上野の気のせいだろう。どうせ、異性の教師と生徒が愛し合ってどうにかなったのが伝説として残ったのだろう。品川がこれ以上何も言わないのでそう思う事にした。
 なぜ、他の施設よりも早く理科室を案内したのかは良く解らないが、観光案内的に考えると、伝説のスポットとかのお勧めスポットは外せないのだろう。

「おや、少々遅刻をしてしまいそうだね。先生に見つかって不良扱いされるのも何だし、私が職員室まで連れて行ってあげよう」

 品川に肩を掴まれる上野は、なぜか優しくエスコートされる形で職員室まで導かれた。







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