第17話 決意

文字数 3,376文字

 冬が到来した。
 寒々とした街角にレイの姿がある。
 黒いコートに身を包み、中折れ帽を被っている。(ひげ)を剃り、髪に(くし)を入れ、雰囲気は若い紳士のそれであった。
 やがて文化庁の組合事務所の前にやってきた。
 くるりと向きを変えて進み、一階のロビーへ入り、以前、訪れていた時のように、掲示板をゆっくり眺めて周った。やがて展覧会の告知が貼ってあることに気づき、かつて出品を目標にしていた頃を懐かしんだ。
 その時、背後から声をかけられた。
「ひさしぶりね。元気にしてたかしら」
 エレーナ夫人であった。
「はい。おかげさまで」
「あなた、ずいぶんと感じが変わったわね。表情が柔らかくなったし、そういう恰好もとてもお似合いよ」
 レイは笑顔を返した。この夫人には厚い恩義がある。
「夫人にはいろいろとお世話になりました。御恩をお返しできなくて、申し訳なく思っています」
「あなたには才能があるわ。あきらめないでね。展示会もね、来年からまた規模が大きくなるのよ。是非出品するといいわ」
 その厚意には感謝しつつも、自分はもう別の道を歩き出している。
「もう()はやりません。そろそろ本分に帰ろうかと思いまして…」
 夫人は怪訝(けげん)な顔をした。
「まあ、どういうことかしら?」
「事情はそちらの方がよくご存じですよ」
「え?」
 と夫人が振り向くと、カール・クラウジニウスがいるだけである。カールの顔を(にら)む。また何か妙な詮索(せんさく)をしたのでないか、と(いぶか)しんだが、カールは即座に両手を上げ、懸命に首を振り、自らの潔白を訴えた。
 レイとカールは、アイコンタクトをわずかに交わした。
「では、用事がありますので、私はこれで」
 レイは風のように去った。

 それから、街外れの路地まで足を伸ばし、久々にサムの店を訪れた。到着したのは、日がすっかり落ちた後であった。
 店内のカウンター前に立ち、中折帽を取った。
「やあ、僕だよ」
「うん? お前、レイなのか?」
 別人に生まれ変わったかのようなレイの姿を見て、サムは目を丸くした。
「一体、何があった? とうとう金持ちの女を(だま)したのか?」
「そんなところですよ。まあ、騙されたのは僕の方ですけどね」
 レイはいつもの(すみ)の席を取った。
「今日のお奨めのメニューを。それとサムにお酒を。安心してください、お金はありますよ」
「ほう、めずらしいこともあるもんだ。もう少しで店が片付くから、しばらく待っていてくれ」
「わかった」
 店員がポテト料理とスープ、水を持ってきてくれた、それらを少しづつ口へ運びながら、読書を続けた。
 例によって『失われた文明についてのある仮説』である。
 失われた文明とは、すなわち、失われた大陸のことを暗示している。我々が今踏みしめている大地を『最後の大陸』と呼ぶが、その本当の起源を誰も知らない。この書は、大胆な仮説と共に、その謎を解こうとしていた。現在の定説は、天変地異起源説が主流である。つまり、天変地異が起こり、他の大陸は水没した。唯一水没を免れた大陸に、残された人類が結集し、文明の命脈を保った、という文脈である。
 だが、この奇書によれば、それはあり得ない、という。その根拠の一つに、大陸の民族分布の推移を挙げている。そこには地図と共に民族の勢力範囲の変遷が示してあった。その変遷を踏まえて、本書の売りである大胆な仮説が導き出されている。
「現在、蕃人(ばんじん)と呼ばれる種族がある。定説では、元来野蛮な彼らが、平和を志向する我々新たなる人類の平穏な営みを破壊し、争いを繰り返すうちに、やがて東方へ追いやられた、とされるが、それは正しくはない。むしろ真逆である。彼らが元来野蛮であったという根拠はどこにもない。そもそもの話、もともとこの大陸には彼らしかいなかったのだ。侵略者とは、すなわち我々の祖先たちなのである」
 レイは驚かなかった。なぜなら、彼の故郷ではそのように教えられたからだ。だが、新国家連合の地でこのような話をすれば、とんでもないことになるだろう。アラン・フェルダー博士が逮捕された理由は、本当はこういった主張に起因しているのではないか。
「何を読んでるんだ?」
 サムが脇から覗き込んだ。
「読めねえ!」
書はリール文字で書かれていて、一般市民はまず読むことができない。レイはタイトルと簡単な内容を教えてやった。
「最後の大陸に文明ねえ、そういう話はよくわからねえな」
 先ほどまでの喧騒は止み、店の中は閑散とし、いつの間にかテーブルの上に、料理がたくさん並べられている。
「さあ、遠慮せず、食べろ!」
 そう言いながら料理を口の中へ放り込んでゆく。
「なかなかお店は順調のようですね」
「まあな。最近、観光客が増えていてな。うちのような辺鄙(へんぴ)なところにまで宿を探しに来るんだよ。市長さまさまってところだ」
 それはけっこうなことである、と思った。
「来月、展覧会があるだろう?その関係で、すでに予約は一杯なんだぜ」
「そうなんだ」
 レイは先に組合事務所で見た展覧会の張り紙を思い出した。自分も展覧会へ足を運びたいところだが、その前に旅立たねばならない。
「お前の絵は展示されないのか?」
 レイは首を横に振った。
「そうか、残念だな。そういえばお前の()を一度も見たことがない。なにかいい画があれば店に飾りたいのだがな」
「残念ながら…。でも、どんな画がいいのかな。ここに飾る画は」
「わからん。お前が心から描きたいと思うような、そんな絵であれば俺は何でもいい」
「分かりました。では、いずれ描いてみることにします」
「よし、約束だぜ」
 時計を見た。日付がもうすぐ変わる。そろそろホテルへ帰ろうとも考えたが、その前にどうしても聞いておきたいことがある。
「実は、以前から訊いてみたかったことがあるんです」
「なんだ? 言ってみろ」
「どうして蕃人(ばんじん)の僕を、初めから何の抵抗もなく受け入てくれたのですか?」
「…」
 サムは即座には、何も答えられなかった。
「言いにくいならいいんです。ちょっと訊いてみたかっただけですから…」
「そうじゃない。実は、少し長い話なんだ…」
 サムは、亡くなった祖父から聞いた話を思い出しながら語り始めた。村が激戦地になり、住民たちが右往左往する事態に陥ったとき、その身の安全を守ってくれたのは蕃人の兵隊たちであったという。
「中にはどうしようもないやつもいたが、指揮官クラスになると、ほとんど全員が立派な人たちだった、と。村が残ったのは彼らのおかげだ、てな」
 レイはじっと耳を傾けていた。
「だから、蕃人には親切にしろ、と。俺の村の者はみなそう言い聞かせられて育ったはずだ。世間の常識とはまったく逆なんだがな。だから最初にレイを見たとき、何とかしてやらなくちゃ、て。そうしないと爺さんに顔向けできない、てな。でも正直言えば、はじめのうちは俺も警戒していたさ。でもすぐに爺さんの言ったことの方が正しい、て確信した」
「へえ、興味深い話ですね。ところで故郷はどこでしたっけ?」
「旧ヌランド公国のチテセという農村だ。今はインダステリア共和国に編入されたけどな」
「ずいぶん西の方ですね。そんなところまで蕃人は侵略したんですね。何ていうか、申し訳ないというか」
「しょうがないさ。もともとは蕃人の土地だったんだから」
「え、なんですって?」
 レイは耳を疑った。
 憲兵が聞いたら即捕縛されかねない問題発言であった。だが、サムは気にも留めない。
「盗られたものは取り返す。あたりまえの話だ」
 と平然と言った。
「それからな、お前が何で謝るんだ? 遠い昔の話だろ。ああだこうだ言って、どうにかなるもんでもあるまいに。そうだろう?」
 初めて出会った日から今日にいたるまで、サムは、やはりサムであった。この精神こそが、友好関係を築く上で一番重要な土台となるのだ。
 つまり、友好を深めるのに手練手管は必要ない。ただ胸襟を開き、肝胆相照らす間柄になれるよう双方が少しづつ努力するだけでよいのだ。
 別れ際のレイの笑顔は本物であった。
「実は、来月から旅に出かけるんです。相当な長旅になると思う。だから、次はいつ来られるか分からないんです。でも、また必ず会いに来ますから、どうかお元気で」
 その夜は折しも満月であった。
 どんな暗闇にいようと、そこを照らす月が必ずあるものだ。そんなロマンチックなことを、つい言ってみたくなる時があろうとは。
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