第2話 市長の憂鬱

文字数 2,253文字

 翌日―
 市長の執務室。
 ジョシュ・ロイスデールが自由都市サキアスの市長に就任してから七年。政治、経済、文化は大いに発展を遂げた。その手腕は内外より高く評価され、市民からの信頼は厚く、来年予定される選挙においても再選が確実視されている。
 そんな彼が、市長として今、最も強く望むことは、自前の軍隊を持つことであった。この日の朝も公聴会に出席し、自ら自説を論じたのだが、評議員の反応は冷淡であった。
「予算の無駄だ」
 そう一蹴(いっしゅう)する者さえいた。市長も内心かなり憤慨(ふんがい)したが、ぐっと気持ちを抑えて閉会を迎えた。議論の勝ち負け以前に、議論がまったく進展しないことが口惜しいのだ。
 昼食の時間になっても市長の(いきどおり)りは収まらなかった。
「評議会の連中は現実をまったく知らぬ」
 評議会に限らない。多額の予算を投じてまで軍隊を保持することに抵抗を感じる市民も多い。市長の望みは前途多難である。
 カール・クラウジニウスは市長が最も信頼を置く秘書官である。まだ二十八歳と若いが、とある共和国での軍隊経験を持ち、歴代最年少で少佐への昇進を果たした英才であった。
 なお、思想的にはかなりタカ派であるが、社交的で物腰の柔らかい好青年である。
 市長付きとなってまだ一年にも満たないが、持ち前の適応能力を発揮し、立派に重責を果たしていると言ってよい。
「市民のほとんどは、もう二度と戦争なんて起こらないだろう、と本当に思ってますからね。我々は地道に一歩づつ進んでゆくしかありません」
「まったくだ。この国の真実を知らぬ者たちは気楽でよいものだ。いっそ真実を全部ぶちまけてしまいたい。やつらの腰がどうやって砕けるか見ものだぞ」
 現在の国土防衛は、国家創立以来、専ら傭兵に依存しているのだが、その傭兵の質の悪さも大きな懸念事項である。兵士の素行は年々悪くなり、これに文句を言えば契約破棄だの、契約金を上げろだの、と逆に脅してくる始末なのだ。市民からの苦情も増加傾向にある。
 さらに、評議員の中には傭兵組織と繋がっている者さえいるのだから、本当にやっかいなのだ。
「憲兵隊だけではだめなのだ。自国の軍隊あってこそ、真の国家たりえるのだからな!」
 カールは軍事の専門家である。この市長の望みを叶えるために、今自分がここに在る、と自認している。
 もとはといえば娘婿を探していたら偶然出てきた男であったが、今や娘婿としてではなく、市長の政治的同志として欠かせぬ存在となっていた。
「ところで市長、一つ報告事項がありますが、よろしいでしょうか」
「かまわん」
「では。今朝、エレーナ様からの言伝(ことづて)がありまして、例のヤシマの青年が昨日付けで工房の職を解雇されたそうです。再び定職につくまでの間、監視対象といたしました」
 市長はまた不機嫌になった。評議会と並びままならぬもの、それがヤシマであった。ヤシマは蕃人(ばんじん)と呼ばれる種族による国家群の中に存在すると言われる傭兵組織である。拠点や規模、勢力、構成員など、その実態はほとんどが謎に包まれている。市長は過去何度かヤシマとの交渉に臨んだ経験があるのだが、満足な成果を挙げられたことはない。
「申し訳ありません。今お伝えすべき事柄ではありませんでした」
「いや、君は何も悪くはない。年を取ると気が短くなってしまって、どうもいかんわい。許せ」
「おそれいります」
 市長はワインを飲み、やや落ち着きを取り戻した。
「ところで、そのヤシマ人は何という名であったかな?」
「レイ・カヅラキ、十九歳。画家志望の青年と聞いております」
「そうそう、そんな変わった名前であった。君はそのカヅラ

に会ったことはあるかね?」
「はい。昨年の秋、エレーナ様の伴で工房を訪れた折りに」
「軍隊経験を持つ君から見て、どうだった?」
「どう?とは?」
「強そうかどうか、だよ」
 カールは首を横に振った。
「いいえ、まったく。蕃人にしては長身で華奢な男で、黙々と絵筆を動かしていましたね。ごく普通の画家の卵という印象でした。蕃人のすべてが狂暴な野蛮人というわけでもないのでしょう」
 だが市長の警戒心は尋常ではなかった。まるで幽霊でも見た人の恐れ方のように思われた。
「蕃人の中でもヤシマ人だけはちがうのだ。ここだけの話だが、その小僧、画家修行の目的で入国したことになってはいるが、実際は武官待遇だぞ。武器の所持も許されておる」
 初耳であった。だが、驚愕に値する。後でしっかり調査しておく必要があると思った。
 カールは軍歴もあるため、ヤシマの噂は何度か耳にしていた。しかし直接関わったことはなく、噂のほとんどは作り話か、過剰だと考えていた。
 しかし、やり手の市長をここまで怯えさせる存在であろうとは。
「市長が、よく、それを許可されましたな」
「それだよ」
 市長は当時の経緯を簡単に説明した。彼らは、こちらの機密情報をかなり正確に把握していた。それが脅しには一番有効なのだ。だが、不思議なところもあった。
「かなり有利な立場にありながら、度を越すような無茶なことは決して要求しないのだ。そこはゴロツキの傭兵共と大きく違うところだな。カヅラ

を武官待遇にした件もな、そうしてくれさえすれば、自らの身は自らで守れる、とぬかしおった。やつらなりの自国民を守るための交渉だったのだろうが、わしはくやしかったのだ!」
 カールは再び、あの華奢な青年のイメージを思い出していた。だが、やはり、ただの画家志望の若者としか思えない。 
「とにかくヤシマは危険だ。君も覚えておくといい」
「…はい。(きも)(めい)じておきます」
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