第5話 もう一つの歴史

文字数 1,939文字

 農場では五十人ほどが働いている。そのうち、レイと同じく臨時の作業員は三十名ほどであった。皆、社会階層の下位に属しており、高等教育を受けた者はおらず、読み書きが満足に出来る者はレイとその他数名だけであった。それらの者たちをリーダー格に任じ、そこを軸に班が組まれた。
 やはり当初は偏見があった。露骨に(さげす)む者や、陰口を叩く者、些細ないじわるをする者らもいた。
 ただし、もともと蕃人(ばんじん)への偏見が都市部ほど強くはないらしく、大方は、どこの世界においても見られる、よそ者への反感であった。
 だが、一日ごとに状況は良い方へと傾いていった。理由はレイがあらゆる面で頼りになったから、である。
 レイは誰よりも博学であったし、道理を見極めることに長けていた。人の適性を見極め、作業を分担し、指示を与える。レイに従うと仕事が早く終わる。だから従うだけである。そうなれば人種はもはや問題ではなくなる。
 レイは工房を辞めてから絵筆を握っていない。
 かわりに本をよく読む。
 その日、農場は休日で、一本木の下で農場の住人から借りた歴史の本を読んでいた。
 それは、この大地が『最後の大陸』と呼ばれる由縁(ゆえん)から始まる、人類の歴史物語であった。
 かつて地上には五つの大陸が存在したが、およそ千二百年前、突如発生した地殻変動により四つの大陸は水没した、生き残った人類は、それまで未開の地であった最後の大陸に結集し、かろうじて文明の命脈を後世へつないだ…。
 神話、伝説、英雄譚、偉人伝、奇跡。
 そして真実と嘘。
 読み物としてはよく出来ているが、学術的にはかなり疑問があるシロモノであった。
 そこに書かれている物語の、どの程度が真実であるかはさておき、様々なエピソードがおもしろく描かれていて読み手を飽きさせない。三日ほどで大部分を読み終わり、残すはあと一章のみとなっていた。
 最終章は第三次大陸戦争の物語であった。
 約七十年前、大陸全土を巻き込んだ大戦争が勃発した。勢力は東西に分かれ、西軍は新国家連合を標榜する西方諸国連合軍、東軍は蕃人諸国連合である。戦力差は歴然で西軍が圧倒していたが、なぜか、最初に手を出したのは東軍であった。そこに合理的な説明はなく、筆者にも明確な理由は分からないとされ、至極単純な知能の問題で片付けられていた。そのような謎解釈は随所にあり、知性に劣る蕃人は合理的判断ができない、ゆえにいたずらに戦線を拡大し続け、あげく、ほとんどの戦いに敗れ、そのおかげで人々は多大な損失を被ったのだ、と記されている。
 結局、無知で愚昧な蕃人が理由なき戦争を仕掛け、手痛いしっぺ返しを食らった。その結果、領土の約半分を失った。やつらの自業自得である、との結論に至る。
 自由都市サキアスは、蕃人から奪った領土の一部の港町が、戦後、独立してできた小国家である。戦前まで住んでいた蕃人またはその子孫は今は一人もいない。なぜなら、戦争ですべての家屋が破壊され、全土が焼野原になったためだ。その後、新国家連合から巨額の投資が集まり、近代的な都市が急速に造られた。今や、大陸一の港湾を持つ最も豊かな都市となった。
 しかし、この流れはどこか不自然だ。一方にだけあまりに都合が良すぎるのではないか。
 無論、レイが母国で学んだ歴史は異なる。ただ異なるどころではなく、ほとんど解釈が真逆なのである。母国側の主張がすべて正しいとも思えないが、同じ事柄について、ここまで解釈に差があるとなれば、双方の関係は永久に(こじ)れたままではないか、と思えてきた。
 自分はただ、画が上手くなりたいだけである。
 サムやアレフと仲良くやっていきたいだけである。
 それが難題だとは思われない。
 だが、複雑にからまり、ほどけなくなってしまった紐縄のように、意義や目的も見失って放置された様々な空虚な理屈や嘘が幾重にも折り重なって巨大な壁になった。
 その壁を破壊するのは実は容易だ。だが、破壊すべく行動することができない、いや、しないだけなのだ。行動しない理由は、どこかに『嘘』があるためだ。常に誰かが他人を出し抜こうと眼を光らせているからだ。
「だから嘘は嫌いなんだ」
 そうつぶやく。
 本を放り投げ、草の香りを嗅いでいるうちに眠りに落ちた。
 
 カールの手が本を(すく)い上げた。
 土を払い落し、パラパラとページをめくる。
 どこの家の本棚にでも置いてありそうな、ごく普通の歴史の本であった。
 眠りこけている青年に声をかけるか逡巡したが、やめておくことにした。
 本を元の位置に戻し、青年の寝顔をじっくりと眺めてみる。
「ただのガキじゃないか… 」
 不遇な境遇にあるただの青年に、今いらぬ詮索をするのは気の毒な気がした。彼に関する調査はこれで一旦打ち止めにしておこうと思った。
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