第16話 ノラの助言

文字数 3,802文字

 レイの女装は見事なものであったが、一人だけ(だま)せない者がいた。
 ノラ・イシカワというヤシマ人の女性である。
 ホテルへ帰る途中の路地で、
「お前、気は確かか?」
 と声をかけられた。
 その時、彼女は転びそうになるほど笑った。
「まあ、清潔な分だけマシだな。今から、ちょっとつきあえ」
 彼女は、サキアスに住む、もう一人のヤシマ人である。髪はショートで、赤茶色に染めている。年齢は三十近く、明朗快活な性格で、普段は建築コンサルタント事務所で働く、キャリアウーマンである。
 二人はとある酒屋に入った。ノラの馴染みで上品な雰囲気の店であった。
「お前が清潔な恰好だったのは、好都合だった。普段のお前ならば、つまみ出されていたよ」
 個室に案内され、ようやく腰を落ち着けることができた。
「これが僕だって、よくわかりましたね」
 女装のときは意地でも口を開かないようにしていたレイが、ようやく口を開いた。
「すぐにわかるさ。所詮は男の子。女性の気持ちが分かってない。さて、君の女装のことなんてどうでもよいのだ」
 やがて食事が運ばれてきた。
「ここの食材は、すべて蕃人(ばんじん)から輸入したものだ。どうだ、なつかしいか?」
「おいしい、以外は何も感じません」
 レイの脳裏にシャリルの顔が浮かんだ。彼らの商売のおかげ、と思うと、とたんに不味くなった。
「ちなみに、ティンブル家から仕入れたのではないからな」
「それはよかったです」
 わずかな表情の変化も見逃さぬ、ノラの注意力は半端ではない、と思った。

 ノラがワインをうれしそうに、どんどん飲む。
 ワインを欠かせぬ体質だ、とも自白した。
「それで、シャリルの依頼はどうする?」
「断りましたよ」
「そうか。まあ、その気持ちはわかるな。だが、リリア嬢が可哀そうとは思わないか?」
「可哀そうなところもありますが、彼女が選んだ道ですし、少なくとも飢え死にすることはないでしょうし。もっと悲惨な境遇の人もたくさんいると思えば問題ないでしょう。可哀そうだと思うなら、あなたが依頼を受ければよいじゃありませんか?」
「そうしてもよかったんだがね」
「でも、断ったわけですよね。あなたもシャリルとはやってられないと思ったのでは?」
「それは確かにそうさ。あいつときたら…」
 ノラはシャリルと年齢が近く、幼少の頃から互いを見知る間柄であったという。シャリルは昔から一貫して傲慢で女癖が悪かった。
「これまでに何度、俺の女になれ、と言われてきたことか… 」
それでも、昔は正義を語るようなピュアな一面も持ち合わせていたのだという。
「あいつは出世して性格が変わった。残念ながら、人の上に立ってはいけない人間の典型だな」
 ノラは、なかなか辛辣な人でもある、と思った。
 
 ノラがグラスを置き、表情を少し引き締めた。
「さて、本題に入ろう… 」
 ノラは一枚の地図を広げた。
 大陸の白地図である。サイズはコンパクトであるが、かなり精密なものであった。レイがその点に関心を示すと、
「私は建築の専門家だからね。地図へのこだわりは誰にも負けないよ」
 と胸を張った。
「さて、ここがなんていう国か知っているかな」
「ガルム。その北がギルメス」
「さすがはマイスターだ」
 ノラは地図をレイの方へ寄せ、空いたスペースへ両肘を置き、両手を組みその上に(あご)を載せた。
「前回、君に会った時、君が私に語ったことを覚えているかい。そう、君は、こう言った。()は趣味だ。画家になることを夢見ることはあるが、人生の目的ではない。本当にやりたいことは大陸を(くま)なく旅することだ、とね」
「言いました」
「ならば、いい機会だと思うんだ。ねえ、どうして断ったの?」
「?」
 レイが任務の内容を聞く前に拒否した、と知って、ノラは(あき)れた。
「いくら拒否権があると言っても、何度でも有効、てわけじゃないからね。子供じゃないんだからさ… 」
 そう言って笑った。
「まあ、いい。今回の任務はね、この西の果ての国、ガルムへ行くこと。ある高貴なお方がサキアスからご帰国の旅に出るので道中の護衛をする、それが任務なの。君、西へ行きたいんでしょ。ちょうどよかったじゃない」
 レイは渋い顔をした。たしかに魅力はある。
「ですが、指揮官があれではねえ。あの人、きっと僕の背中を刺しますよ。絶対にやる」
 ノラは微笑んだ。その上、否定もしない。
 レイは、ふと、あることを思い出した。
「どうしたの?」
「二年前にクーデター騒ぎがあったのは、ガルムだったかな、と思って」
「そうだよ。だから今回の任務があるわけ」
 ノラの説明によるとこういうことである。
 二年前のクーデター未遂事件は失敗に終わったとはいえ、一次的に戒厳令が敷かれるなど、国内の状勢は不穏となった。当時、たまたま外遊中であった皇太子夫妻は帰国を取りやめ、東へ避難し、紆余曲折の後、サキアスに寄寓(きぐう)することになった。今回、その皇太子が家族共々、祖国へ帰ることを決意したのである。
「今回の任務は、その護衛だ。拘束される期間が長いだけで、さほど危険ではないと思うよ」
 レイの心は揺れた。とくに、アラン・フェルダー博士のことが気になっている。
「リリア嬢も別嬪だが、皇太子様の令嬢も美人揃いだ。どうだね? 少しはやる気になったかな?」
 女子のことはさておくとして、気持ちがだいぶ傾いていることは認めざるを得ない。
「まいったな… 」
 ノラは、にやついている。そらみたことか、所詮、男の行動原理はそれだけなのだ、と思っているに違いない。それが少し腹立たしい。
「アラン・フェルダー博士の消息をご存じですか?」
「うん、知ってるよ」
「本当に?」
「このあたりにいる」
 ノラが白地図の一点を指さした。
「レオール・デ・レ・シャーン公国…」
 そこは西の最果ての国。
 東の果てに住まうアズマ人にとって、最も疎遠な国である。
「もう一度、よく考えてみることにしますよ」
「そうしてくれると助かるよ。うちらの上も、皇太子殿下には格別の思い入れがあるそうで。ティンブルなんかに任せておけない、てね」
「そうなんですね。でも、ティンブルもなかなかやり手のように見えましたが」
 ノラは首を横に振った。
「全然! あいつら、金儲けしか頭にない。あいつらに外交なんて任せたら、我々の信用はすぐに地に落ちるよ」
「でも、シャリルが僕を監視対象から外してくれたと言っていました。外交だってできているのでは?」
「ハハハ。違う違う。それはヤシマが枢密卿(すうみつきょう)へ頼んだのさ。たく、シャリルのセコさはブレないね」
 なるほど、だいたいの構造が理解できた。
 そして、頭の中で全体を整理してみた。
 すると、一点だけ、分からないことがある。
「最後に一つ、お聞きしたいのですが」
「なんだね」
「あなたが護衛任務に就くべきではないですか? それくらい重要な任務のように思えるのですが、なぜ、僕なんです?」
「仕方ないじゃないか。もっと重要な任務があるのだから」
「さしつかえなければ、どのような?」
 ノラが顔を近づけて、可能な限りの小さな声で言った。
「ロイス市長の暗殺」
 レイの表情から笑みが消えた。
 その瞬間、殺気のような、ただならぬ気配が発せられた。
 ノラは驚き、
「まてまて!」
 と、身をのけぞらせた。
「我々は守る方だよ。もちろんね。びっくりさせないでよね、もう!」
「本当ですね?」
「本当だとも。ああ、冷や汗かいちゃったじゃないか」
 レイはノラのことは放っておいて、何やら思案を始めた。
「地図を、ちょっと見せてください」
 地図を手に取り、じっと眺めた。いつになく、真剣な表情である。
 ノラは静かに待った。
 レイは頭の中の戦史叢書を紐解き、地図に重ね合わせてみた。
「僕の記憶によれば、この行程には難所が二か所あります。仮に僕がクーデター派だったら、そのどちらかで一家を捕獲することを考えるでしょう。今回、その可能性はありますか?」
「ある。わずかだがね」
「だとすると、とても危険です。ご帰国は今じゃないといけないのでしょうか?」
「正直、そう思うよ。だが、人が故郷に思いを馳せることはごく自然の感情じゃないか。ましてや王族たるもの、いつまでも他国の庇護を受けている状態にあるのは、ある種の屈辱なんじゃないか。そうした細々(こまごま)とした理由まで、我々は踏み込まない。だが…」
 ノラは声のトーンが少し低くなった。その目にも力が込められた。
「だが、我々はヤシマの傭兵だ。それとも、君は勝ち目のない戦いはしないのかい?」
 ヤシマの掟は明文になっていない。
 だが、不文律というものが確実にある。
 『死ね』という命令は無効。
 無能な指揮官には服従しなくてよい。
 不義の戦いは参加しなくてよい。
 というものだ。
 だが、それらの中に、勝ち目がないことを理由とする命令拒否は含まれない。なぜなら、勝ち目なき戦いを強いられた人々に代わって戦うこと、それが傭兵集団ヤシマ創設の根本精神だからだ。
 シャリルが指揮官として無能であることは、ノラが証明してくれるだろう。だから、レイが命令を拒否することは正当な権利行使と認められるに違いない。しかし、そのような打算的思考をすることが、すでにヤシマの精神を汚しているのだ。
 ふと、リリアの泣き顔が胸に浮かんだ。
「わかりました。やりましょう」
 レイは地図をテーブルの上に戻すと、ノラを正面から見据えた。
「ただし、市長を必ず守ってくださいよ」
「ああ、まかせておけ」
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