第14話 月灯

文字数 2,162文字

 リリアの独白はさらに続く。
 それはそのまま彼女の身に起きている悲劇の話に他ならなかった。
 田舎の庶民の娘が、名門貴族の御曹司から求婚を受けた。それだけしか知らぬ者の反応は、だいたい予想がつく。彼らはこぞって、本人のためと言いながら、当の本人の気持ちなど、これっぽちも考えないものだ。
 結局、家族や故郷からも追い詰められ、ついに結婚を承諾した。だが、彼女の本当の絶望はその先にあった。
 シャリルは初婚ではなかったのだ。
 正式な結婚は四度。リリアは五人目の妻となる。以前の妻との子供は合わせて三人いたのだが、誰もカグヅチ家には残っていない。なぜなら、妻が子供を連れて逃亡したからだ。シャリルの身勝手さもさることながら、暴力、虐待が決定的な原因であった。
 リリアはその事実を、結婚承諾後に知った。
 そもそも、シャリルには人を愛おしむという感性そのものが欠落していると思われる。自らの野心にのみ忠実な愚かな男なのだ。
「私は、道を間違えた。でも、もうどうにもなりはしない。このままシャリルの奴隷として生きて行くしかないの」
 リリアはうつむいた。泪があふれだしている。
 リリアはそれから沈黙した。
 レイもそれにつきあって黙っていたが、やがて、静かに立ち上がると、バルコニーの扉を開けた。
「少し外の空気を吸わないか? ちょっと寒いけど」
 と言ってリリアの肩に上着を(かぶ)せ、部屋の外へ連れ出した。
「やっぱり、寒いなあ」
「…」
 レイは、輝きはじめたばかりの星を見た。そして妙な問いかけをした。
「ヤシマって、何だと思う?」
「え?」
「さっき夢の中で、昔、講堂でそういう話を聞いたときのことを思い出したところでね」
「ごめんなさい。何もわからないわ。私、まだ、あまりよその組織のことを知らないの。それにあまり頭がよくないから… 」
「そうでもないと思うけどね。まあ、聞いてくれるかな」
 リリアは「うん」と(うなず)いた。
「老師が弟子たちに、順に同じ問いかけをして回るんだ。『問う! ヤシマとは何だ!』という感じでね。それで、皆、思うことを答えるんだ。ヤシマとは、力だ、正義だ、善だ、とかね。アズマの守護、忠義、刃、盾、鉾、崇高な魂、精神の極致、あとは、なんだっけ」
「あなたも答えたの?」
「まあね」
「何と?」
「僕かい? 僕は『夢』さ」
「ウフフッ」
「そこはまだ笑うところではないけどね」
 レイは苦笑した。
「そうやって、順に訊ねておいて、老師は必ず『否!』てやるわけさ。僕は一度たりとも、それ以外の応答を聞いたことがない」
「そんな…」
「馬鹿なことしてる、て思うだろうね。僕もそう思うよ。ところで、最後に老師はこうおっしゃった。『ヤシマとは何か、と、常に問いかけを続けることが肝要なのじゃ』だって」
「…つまり、どういうことなの?」
「ヤシマとはこういうものだ、と決めつけた瞬間、ヤシマは消滅する。同時にヤシマは脅威ではなくなる。ヤシマたりし者、いかなるときも己への問いかけを忘れてはならない。しからば、いかなる境遇においても必ずや光明は見つかるものだ、ていう教えなんだけどね」
「…」
「むこうに月が出ている。僕は野宿するとき、あの月灯(つきあかり)を見ながら、問いかけをしていた。まったく、いやな習性を叩きこまれたものだ」
「…」
「そろそろ部屋へ戻ろう。体が冷えてきた」
 リリアを先に中へ入れ、レイは内側から扉を閉じ、振り向いた。すぐ目の前にリリアが立ち、こちらを見ている。レイは照れ隠しのために視線をあらぬ方向へ逸らした。
「さて、そろそろ晩餐の時間かな。ここの料理はどれもおいしいから、今夜も楽しみだよ」
「レイ…」
「…」
「ありがとう。あなたの話、とてもおもしろかった。私、自分が不幸だと決めつけてた。でも、私も問いかけをしようと思う。よりよい人生にするために…」
「それでいいと思うよ」
「あなたは不思議な人だわ。今まで出会ったことがない。それに、あなたはたった一人でサキアスの社会に乗り込んで、偏見や差別にも屈しなかったのよね。よくよく考えるとすごいことよ。普通の人はまず耐えられないわ。それに比べて私なんて…」
「我が家系は、どの家よりも狼を大量に喰って生きながらえてきたからね。孤独には滅法(めっぽう)強いのさ」
「…あなたに会えてよかった。でも、もうお別れね」
「そう? 僕はてっきり、説得にきたのかと思っていたのだが…」
 リリアは微笑んだ。表情から力みが消えて、とても柔らかくなっている。
「そんなの無理よ。私は義兄(あに)のように人を(あざむ)くことはできないし、あんな酷いことを言われたあなたに今さら頼む気にもなれない。義兄はこう言ったわ。あなたを説得できなかった場合、私にヤシマ人役をやらせる、て。本当に馬鹿な人よね」
「同意するよ」
「私がヤシマになるわ。だから、あなたはもう自由よ」
「分かった」
 とレイは答えた。
 リリアはうなずいた。
「でも、一つだけ、お願いがあるの」
 リリアはさらに一歩近づいた。リリアの泣き顔がすぐ真近にある。
「あなたに情報を渡すわ。一人になってから中を見て」
 リリアは封書をレイの懐へ差し込んだ。
 そのまま二人はしばらく見つめ合った。
「無理はするな…」
「ありがとう…」
 リリアの唇が頬にふれた。
 そしてリリアは去った。
 レイはソファに体を沈め、しばらくの間、天井の模様を茫然と眺めていた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み